本気で解決しようとしていたと思います。なぜなら、今後ロシア
が経済的に発展していくためには、日本の協力が不可欠であると
プーチン大統領が考えているからです。
そのためには、日ロの間に刺さった骨を抜いて、領土問題を解
決し、平和条約を締結する必要がある──プーチン大統領はこの
ように考えているのです。彼は今までのロシアのトップとは明ら
かに違うタイプの大統領であるといえます。
この思いは、首相を経て再び大統領になった現在でも、変わっ
ていないと思います。ただ、ひとつ大きく変わったことがありま
す。それは、イルクーツク声明当時とは比べ物にならないほど、
プーチン氏の政権基盤が弱くなっていることです。足元が盤石で
はなくなってきているのです。アンチ・プーチンの勢力が拡大し
てきているわけです。
イルクーツク声明のとき、森喜朗首相(当時)がプーチン大統
領に対し、次の問いかけをしたのです。
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歯舞・色丹と国後・択捉について並行的に協議しようではな
いですか ──森喜朗首相
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これに対してプーチン大統領は「承っておきます」と答えたの
です。今までソ連やロシア側は、日本側が択捉・国後両島の話を
持ち出すと、それだけで態度を硬化し、交渉打ち切りになってし
まったのです。それから考えると、「承っておきます」といって
否定しなかったことは大きな前進なのです。
現在、再び大統領に就任したプーチン氏は、日本との領土問題
に関して「引き分け」という言葉を使っています。そのプーチン
大統領と朝日新聞の若宮主筆の対談では、「引き分け」発言に関
して、次のようなやり取りがあったのです。
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若宮主筆:引き分けというのなら、2島では不十分ですよ
プーチン:お互いに外務省に対して「はじめ!」の号令をか
けようではありませんか
―――――――――――――――――――――――――――――
このやり取りを考えても、プーチン大統領の考え方はあまり変
わっていないようです。そういう意味ではチャンスですが、もし
失敗すると、これが最後のチャンスになる可能性もあります。
せっかくプーチン大統領が、柔道の言葉を使って「引き分け」
や「はじめ!」といって日本側を誘っているのに、野田首相や玄
葉外相はまったく動こうとしていないのです。こんなことでは、
日本はやる気がないとロシア側に疑われても仕方がないと思いま
す。新党大地・真民主幹事長代行の浅野貴博氏の「イルクーツク
声明に立ち返るべきである」との質問に対して、玄葉外相も国会
では、次のような気のないというか、きわめて抽象的な答弁しか
していないのです。これでは、外相の熱意というものがまるで伝
わってこないのです。
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イルクーツク声明をはじめ、またイルクーツク声明を含め、
すべての過去の諸合意を基に交渉を進めてまいります。
──2011年3月7日の玄葉外相答弁
http://ameblo.jp/asanotakahiro/entry-11185746549.html
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問題は、2001年3月25日のイルクーツク声明から10年
以上経過しているのに、北方領土問題は一歩も進展しないことに
なったのです。
それは日本側に責任があるのです。その責任は、2001年4
月に誕生した小泉内閣にあります。最大の失敗は、小泉首相が田
中真紀子氏を外相にしたことです。この人事はいたずらに外交の
混乱を招き、外交の継続性は無視されてしまったのです。おまけ
に田中外相は中途で罷免されてしまっています。
これによって日ロの領土交渉は完全に中断し、森首相が提案し
た歯舞・色丹と択捉・国後の併行協議は一度も行われることなく
空しく10年が経過してしまったのです。これについて、東郷和
彦氏は次のように外務省を批判しています。
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歴史上初めて、国後・択捉の問題をどうするかという話し合い
のテーブルにつこうとしているロシアを前に、政局の混乱を理
由に交渉の場から事実上消えてしまった日本側について一体ロ
シア側はどう思ったか。ロシア人にとつてみれば、政局とは、
スターリニズムの下での暗殺である。日本内部の政局による混
乱は、その意味では子供の喧嘩の域をでない。そういう問題が
ゆえに、積年主張してきた領土問題についての交渉上の立場を
事実上放棄する日本が、今後ともに尊敬できる交渉者たりうる
のか。 ──保阪正康・東郷和彦共著
『日本の領土問題/北方四島、竹島、尖閣諸島』
角川ONEテーマ21刊
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2005年のことですが、モスクワで第二次世界大戦終結60
周年の記念行事が開かれたのです。そこには、当時のブッシュ大
統領をはじめ、G8諸国の指導者のほとんどや中国の胡錦涛主席
などの旧連合軍諸国のトップが勢揃いする一方、ドイツのシュレ
ーダー首相も参列し、ロシアとドイツの歴史的な和解と親密な戦
略的関係を構築する約束が交わされたのです。
プーチン大統領は、ドイツだけではなく、日本とも和解すべき
と考えて、小泉首相に招待状を出すと同時にその前提となる領土
問題について協議しようと呼びかけたのです。
しかし、小泉首相はこれに応じず、一度は多忙を理由に断った
のですが、出席すべきだという内外の圧力に負けて、結局は渋々
出席しています。プーチン氏に対して小泉首相は冷たく、来日す
るというプーチン大統領に対し、小泉首相は来ても歓迎しないと
までいっているのです。 ── [日本の領土/22]
≪画像および関連情報≫
●北方領土解決に関する鈴木宗夫氏の外務省への質問
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2001年3月、ロシアのイルクーツクで、森喜朗首相(当
時)とプーチン・ロシア大統領との首脳会談が行われた際に
歯舞、色丹、択捉、国後の四島の一括返還を求めるのではな
く、歯舞、色丹の二島については具体的な返還時期の交渉を
行い、残りの国後、択捉の二島については日ロ間で帰属確定
の交渉を並行して行うという、いわゆる「2プラス2」の方
針を決めた声明(以下、「イルクーツク声明」という。)が
発表されたが、「イルクーツク声明」についての右の認識に
間違いはないか。確認を求める。続いて、橋本、小渕、森内
閣では、「イルクーツク声明」の根底にある考え方を交渉の
基礎に、歯舞、色丹二島の返還を実現し、その上で国後、択
捉両島の帰属の問題の解決を図る段階的な北方領土問題の解
決を目指したという事実はあるか。また、その後の小泉政権
では、それまでの段階的な解決を目指す路線から、歯舞、色
丹、択捉、国後の四島の我が国への帰属の確認を求め、ロシ
アとの交渉が停滞したという事実はあるか。外務省の認識如
何。(最後まで読む)
http://blog.goo.ne.jp/taraoaks624/e/3a2c3f3de8e58b1aa55ab8477c7c549
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ロシアに強硬な小泉元首相


