2012年10月30日

●「局面を変えたイルクーツク声明」(EJ第3417号)

 北方領土の最北端は択捉島です。よく「国後・択捉」と表現し
ますが、これは日本に近い順に島を数えています。EJでは、国
境線に接する択捉島を中心に、それより以南が日本領という考え
方で「択捉・国後」という表現を使っています。
 日本という国は、四方が海に囲まれている島国なので、もとも
と国境という観念が薄いのです。もし、国境を意識すれば、日本
領の最北端である択捉島と得撫島(ウルップ島)間を重視するこ
とになります。橋下龍太郎首相は、ここに国境線を引き、一定期
間、島の施政権を預けるという提案をしたのです。これが「川奈
会談」であり、戦後の沖縄と同じ扱いにしようとしたのです。
 この川奈会談について、川奈会談の事務方を務めた丹波実外務
審議官(当時)は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 川奈会談でいわゆる川奈提案を行った。この川奈提案は日本と
 してできる譲歩の最大のものであったが、同時に日本側が19
 91年以来、ソ連・ロシアに対して「北方四島の日本の主権が
 認められるのであれば、返還の時期、態様及び条件については
 柔軟に対応する」と一貫して言い続けてきたことの延長線上に
 あるというのが私たちの考え方であった。   ──丹波実著
              「日露外交秘話」/中央公論新社
                       ──孫崎亨著
   「日本の国境問題/尖閣・竹島・北方領土」/ちくま新書
―――――――――――――――――――――――――――――
 川奈提案での橋下首相の提案にエリツィン大統領は、明らかに
心を動かしたのです。それは、記者会見でのエリツィン大統領の
次の言葉によくあらわれています。
―――――――――――――――――――――――――――――
   今回はリュウから追加的な、興味深い提案があった
―――――――――――――――――――――――――――――
 このときのロシアは、日本との領土問題を解決して日本と緊密
な関係を築きたいと考えていたのです。エリツィンとしては、自
分がそれを解決して、歴史上に名前を残したいと考えても不思議
ではなかったのです。
 これを見て、慌てたのは、会談に出席していたエリツィンのス
タッフです。そして、大統領補佐官のヤストロジェムスキーがエ
リツィンを説得して提案の持ち返りが決まったのです。
 1998年11月11日に橋下首相の後任の小渕首相は、ロシ
アを訪問し、川奈提案の返事を受け取りに行ったのです。これに
ついて、既出の丹波実外務審議官(当時)は、自著で次のように
述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小渕総理の最大の目的は19年4月の川奈提案に対するロシア
 側の検討結果を受け取ることであった。12日クレムリンで会
 談され、エリツィン大統領から、川奈提案に対する回答を文書
 で手交された。この回答についての自分の考えは、率直に言え
 ば、失望を禁じ得ないものであった。     ──丹波実著
              「日露外交秘話」/中央公論新社
―――――――――――――――――――――――――――――
 そして、2000年にプーチン政権が誕生します。この大統領
は、今までとは少し違っていたのです。そのときロシアはソ連崩
壊からの混乱期を脱却し、再生しつつあったのです。これによっ
て、ロシアの人々の意識も変化を見せてきています。当時のロシ
アの人々の意識の変化を次の世論調査は明確に示しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 設問「ロシアにおける望ましい統治体制とは何か」
       民主的政権   強い指導者   分からない
 1991年   51%     39%     10%
 2002年夏  21%     70%      9%
 2005年春  28%     66%      6%
      Russia’s Weakened Democratic Embrace’PEW
                       ──孫崎亨著
   「日本の国境問題/尖閣・竹島・北方領土」/ちくま新書
―――――――――――――――――――――――――――――
 これを見ると、7割近い国民が「強い指導者」を求めているこ
とが明瞭に読み取れます。プーチン大統領はそういうときに登場
したのです。
 2000年5月に大統領に就任したプーチン氏は、同年7月の
沖縄サミットに出席し、同年9月に公式来日しているのです。と
にかくやることが早い。そして、そのときの森首相との首脳会談
で、あのゴルバチョフやエリツィンでも認めなかった次のような
驚くべき発言をしているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     1956年共同宣言は有効であると考える
               ──プーチン大統領
―――――――――――――――――――――――――――――
 2001年3月25日、ロシアのシベリア地方の都市イルクー
ツクにおいて、森・プーチン会談が行われたのです。そして、次
のイルクーツク声明が出されたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.択捉・国後については「東京宣言に基づき、四島問題を解
   決することにより、平和条約を締結する」という鍵になる
   合意が再び確認される
 2.歯舞・色丹については「56年宣言が平和条約締結に関す
   る交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であ
   る」ことが確認される   ──保阪正康・東郷和彦共著
       『日本の領土問題/北方四島、竹島、尖閣諸島』
                  角川ONEテーマ21刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 日ソ交渉の歴史上はじめて56年宣言を確認し、択捉・国後を
交渉の対象として協議する体制が整ったのです。まさに画期的な
ことといえます。         ── [日本の領土/21]

≪画像および関連情報≫
 ●プーチン大統領の譲歩/あるブログより
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  尖閣問題や自民党総裁選の陰に隠れてしまった感があります
  が、北方領土交渉が動き始めています。ニューヨークを訪問
  中の玄葉外務大臣はロシアのラブロフ外相と会談し、会談後
  12月に野田総理がロシアを訪問する際に、北方領土問題を
  含めた協議の成果を文書で交わす方向で調整していることを
  明らかにしました。プーチン大統領は大統領職に就く前から
  2001年に自民党・森総理との間で締結したイルクーツク
  声明に立ち戻ることを示唆し、北方領土交渉に前向きな姿勢
  を示していました。イルクーツク声明が採択されてから既に
  10年以上が経過しています。当然、日ロをとりまく国際状
  況も激変しています。また、プーチン大統領の権力基盤も、
  以前のように強固なものではありません。イルクーツク声明
  は日本に歯舞、色丹両島を先行して返還し、残りの国後、択
  捉両島については交渉を継続するとしたものなので、ロシア
  国内のナショナリストにとっては許されざるものです。これ
  を利用して、ロシア政権内の反プーチン勢力が巻き返してく
  る可能性もあります。
   http://ameblo.jp/gekkannippon/entry-11364565966.html
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プーチン大統領.jpg
プーチン大統領

posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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