り、日本軍は23日に武装解除されています。ソ連軍はさらに兵
力を集め、8月28日に北方領土の最北端の択捉島に上陸してい
ます。択捉島には1万3000人の日本軍がいたのですが、彼ら
は一切抵抗せず、ソ連軍に降伏しています。既に大本営から「降
服せよ」との命令が出ていたからです。
ソ連の共産党史によると、9月1日にソ連軍は国後島に上陸し
ています。そして色丹島にもソ連軍は入っています。それでは、
歯舞群島にはいつ上陸しているのでしょうか。これについては共
産党史に記述はないのですが、ロシア政治の専門家である木村汎
・北海道大学名誉教授は、自著で歯舞群島への上陸は9月3日で
5日までに終わっていると記述しています。
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択捉、国後、色丹の3島へ上陸した後の時期となってはじめて
ソ連最高司令部は歯舞群島も占領する決定をくだした。9月2
日に北太平洋艦隊司令官がその旨を命令し、9月3日、ソ連部
隊は歯舞群島を構成する島々への上陸を開始し、9月5日まで
に全島の占領を完了した。 ──木村汎著
「新版・日露国境交渉史/北方領土返還への道」/角川選書
保阪正康著/「歴史でたどる領土問題の真実」/朝日新書
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これによると、歯舞群島へのソ連軍の上陸は、日本が降伏文書
に調印した後なのです。そうなると、ソ連軍はポツダム宣言受託
表明後はもちろんのこと、降伏文書に調印した9月2日以降にお
いても、堂々と軍事行動を続けていたことになります。これは、
北方領土に居住していた人からの情報でも、8月28日から9月
5日の間に占領されたことを証言しているのです。しかし、ロシ
アはこの事実を認めていません。理由としては共産党史には書い
ていないの一点張りです。しかし、領土交渉のさい、問題にする
ことは可能です。
さて、ここまで触れてこなかったことがあります。カイロ宣言
は、1943年11月22日に行われたのですが、同じ月の28
日から12月1日まで、テヘラン会議というものが行われている
のです。出席者は、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、
ソ連のスターリン首相の3人です。1945年2月8日にはヤル
タで、この3人で会っています。それがヤルタ会談です。
テヘラン会談の主なテーマは、ヨーロッパ大陸のナチス・ドイ
ツに対する第二戦線(西部戦線)を作ることであり、フランスへ
の連合軍上陸などが検討されたのですが、日本軍への対処も話し
合われています。そのとき、ルーズベルトはスターリンに対して
次のことをいっているのです。
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米国にとってソ連の対日参戦は極めて重要である
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この時点でルーズベルト大統領は、スターリンに対し、対日参
戦を促していますが、その見返りについては具体的には言及して
いないのです。
孫崎亨氏の本には、ヤルタ会談のとき、スターリンが対日参戦
についてルーズベルトと話し合う前に、スターリンの部屋を訪ね
たさいのグロムイコ元ソ連外相の話を彼の回想録(「グロムイコ
回想録」/読売新聞社)から紹介しています。
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(ヤルタ)で彼の書斎にいくとスターリンは一人でいた。彼に
心配事があることを察知した。スターリンに英語で書かれた書
簡が届いたところだった。彼はその書簡を私に渡し、「ルーズ
ベルトからだ、彼との会談が始まる前に、彼が何を言ってきた
か知りたい」と言った。私はその場でざっと翻訳した。米国は
サハリンの半分(この時点で北半分はすでにソ連のもの)とク
リル列島についての領有権を承認すると言ってきたのだ。スタ
ーリンは非常に喜んだ。「米側は見返りとして次にソ連の対日
参戦を求めてくるぞ」と言った。 ──孫崎亨著
「日本の国境問題/尖閣・竹島・北方領土」/ちくま新書
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ルーズベルトはスターリンに宛てた手紙では、対日参戦の代償
として、サハリン(樺太島)の半分──南半分と表現しており、
それは合理性のある提案といえます。というのは、そのとき日本
が領有していた南樺太は、日露戦争の結果日本領になったものだ
からです。
カイロ宣言にもあるように、敗戦国は、戦争並びに暴力や貪欲
により略取した地域の返還を求められていますが、国際法上自国
の領土になったものは返還する必要はないのです。ところがルー
ズベルトは、それに千島全島を加えることを裏議定書で密約して
いることについては、ここまで述べてきた通りです。
戦争を1日も早く終わらせたいと考えていたルーズベルト大統
領は、勘違いでソ連のスターリンにいくつかの重要な言質を与え
てしまったことは事実です。しかし、当時の米国は次の2つのこ
とを考えていたのです。
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1.領土問題を利用し、日ソを近づけないようにする
2.「米国は約束を反故にする国」と思われたくない
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「1」の考え方は、領土問題を利用して日ソの間にくさびを打
ち込むという発想です。ジョン・フォスター・ダレスは、択捉・
国後島をあえてソ連に取らせておいて、その返還を主張するよう
に重光外相にアドバイスしています。
「2」の考え方は、米国は戦後ソ連と戦略核兵器などで合意す
る必要があります。そのためには、米国は、「約束を反故にする
国」とはソ連に思われたくないのです。そう思われたら、合意な
ど形成できないからです。したがって、米ソ間でヤルタ協定は生
きており、米国としては日本の北方領土については曖昧な態度を
取らざるを得なかったのです。 ── [日本の領土/14]
≪画像および関連情報≫
●孫崎亨著『日本の国境問題』/ちくま新書・読書メモ
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尖閣、竹島、北方領土に関するニュースが絶えない昨今です
が、それらの問題について、まったく無知であるのもどうか
と思い購入した書籍。とても面白く、興味深く、同時に、非
常にショッキングな内容でした。僕自身、これらの問題には
無知であるがゆえに、これまでの新聞・テレビ・ネットなど
の報道に触れても、何もかも表面上のことしか見ていなかっ
たですし、恥ずかしながら、日本の政府が固有の領土だと言
っている島々に対して、外国が勝手に主権領有を主張するな
んて、ただただ「ケシカラン」と感じる程度でしたが、問題
は、もっと深いところにあり、知らなかった歴史的事実が大
変多い。本書では、尖閣、竹島、北方領土問題がどのような
経緯で発生し、これまでどのような経緯や見解を元に交渉が
なされ、今に至っているか、日米同盟がそれらに与えてきた
影響と今後、はたしてそれらの解決に機能するのかといった
点や、世界的な領土問題の事例などに触れつつ、最後に、解
決するための九つの方策をまとめる形で占めています。
http://www.enjoy-com.com/b/2011/08/post-140.html
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孫崎 亨著「日本の国境問題」/ちくま新書


