大統領──この人はそのとき何を考えていたのでしょうか。彼が
ヤルタ会談でソ連のスターリン首相と裏議定書など結ばなければ
日本は北方領土を奪われることはなかったのです。
第2次世界大戦は1939年9月1日、ドイツ軍がポーランド
に侵攻したことからはじまっています。そのときドイツはソ連と
独ソ不可侵条約を結んでいたのです。
9月3日にイギリス、フランスはドイツに宣戦布告したのです
が、形勢がきわめて不利で、ドイツは、ノルウェー、ベネルクス
フランスを次々と攻略し、ダンケルクの戦いで連合国をヨーロッ
パ大陸から追い出したのです。
一方ソ連は、ポーランドを東から侵攻し、ポーランドはドイツ
・ソ連両国により、分割・占領されたのです。さらにソ連軍は、
フィンランドにも侵攻し、領土を割譲させ、バルト三国に軍隊を
駐留させて三国を併合しています。まさにやりたい放題です。
しかし、1940年9月27日に日独伊三国同盟が、日本、ド
イツ、イタリアの間で締結されると、ドイツはソ連に侵攻をはじ
めたのです。三国同盟では、日独伊でヨーロッパを制圧し、イギ
リスを降服に追い込んで、米国などと交渉して、停戦に持ち込む
作戦だったのです。
そのとき米国は、世界恐慌からの脱却を図るため、ルーズベル
ト大統領がニューディール政策を展開していたのですが、必ずし
も、うまくいっているわけではなかったのです。
ドイツ軍に追い詰められ、降伏寸前の英国のチャーチル首相は
何回もルーズベルト大統領に救援を求めたのです。つまり、米国
の戦争への参加要請です。しかし、当時の米国の世論は厭戦ムー
ドが漂っていて、とても戦争に参加できる状態ではなかったので
す。しかし、ルーズベルト自身は、米国は世界の平和を実現する
ため、先頭に立って大掃除をする覚悟はできているという思いを
こめて、次の演説を行っているのです。これは「隔離演説」とい
われ、有名です。
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世界の9割の人々の平和と自由、そして安全が、すべての国際
的な秩序と法を破壊しようとしている残り1割の人々によって
脅かされようとしている。不幸にも世界に無秩序という疫病が
広がっているようである。身体を蝕む疫病が広がりだした場合
共同体は、疫病の流行から共同体の健康を守るために病人を隔
離することを認めている。 ──フランクリン・ルーズベルト
──ウィキペディア
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しかし、ルーズベルトとしては、参戦するもっと直接的な理由
が欲しかったのです。それは、日本からの宣戦布告です。そのた
め、ルーズベルトは、日本が宣戦布告してくるようさまざまな手
を打ったといわれています。結局、日本はその罠に嵌るかたちで
米国に宣戦布告します。1941年12月8日のことです。
1945年になって、日独の敗戦が濃厚になった時点でも、日
本は一向に戦争をやめようとはせず、本土決戦に挑もうとしてい
たのです。本土決戦になれば、中国大陸にいる関東軍──日本軍
の大部隊が日本本土に戻ってくることを考えると、米軍側に膨大
な死傷者が出ることは必至です。ルーズベルト大統領としては、
戦死者の数をこれ以上増やすことは、早期の戦争終結を望む米国
世論の反発を招くと考えたのです。そこで、ルーズベルト大統領
は、次の2つのことを実現しようとしたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
1.中国大陸の関東軍を釘づけにする
2.原子爆弾により戦争を終結させる
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「1」に関しては、ソ連を参戦させることによって北から日本
を攻めれば実現できるとルーズベルトは考えたのです。そのため
の代償がスターリンの望む南樺太と千島列島全島の返還です。こ
のさい、千島列島の定義が問題になるのですが、これについては
後で詳しく述べます。
「2」は、当時米国が密かに開発を進めていた原子爆弾を完成
させ、それを投下することによって、日本を降伏させるという作
戦です。しかし、ヤルタ会談が行われた1945年2月の時点で
は、完成直前ではあったものの完成していなかったのです。
この2つの作戦は、トルーマン大統領にも引き継がれ、トルー
マンはポツダム会談に臨んでいます。トルーマンはその回顧録で
次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
我々の軍事専門家は、日本本土に侵入すれば日本軍の大部隊を
アジアと中国大陸に釘付けにできた場合でも、少なくとも50
万人の米国人の死傷を見込まなければならない。したがって、
ソ連の対日参戦は、我々にとって非常に重大なことであった。
──「トルーマン回顧録」/孫崎亨著
『日本の国境問題/尖閣・竹島・北方領土』/ちくま新書
―――――――――――――――――――――――――――――
結局原子爆弾は、ポツダム会談の最中に完成し、爆発実験も成
功しているのです。米国としてはその時点でソ連に参戦してもら
わなくても戦争は終結できると考えたのですが、別の目的もあっ
て、ソ連の参戦への要請を撤回しなかったのです。その別の目的
については後述します。
ソ連としては、たとえ米国から参戦不要の要請があっても、こ
んなおいしい話に乗らない手はないので参戦したはずです。その
証拠にソ連は、米軍が1945年8月8日に広島に原爆を投下し
た同じ日に、日本に対して宣戦布告し、満洲に攻め込んでいるの
です。そして、ソ連軍は千島列島の中に入っていない歯舞群島と
色丹島まで占領してしまったのです。これはとんでもないことで
あり、ロシアのずるさをあらわしています。日本が日露戦争で得
たのは南樺太だけであり、千島列島は入っていないのです。
── [日本の領土/09]
≪画像および関連情報≫
●ルーズベルト大統領の急逝についての日独の反応
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ルーズベルト大統領の急逝に対して、徹底抗戦を決意するア
ドルフ・ヒトラーは「ルーズベルトは今次の戦争を第2次世
界大戦に拡大させた扇動者であり、さらに最大の対立者であ
るソ連を強固にした大統領として史上最悪な戦争犯罪者とし
て歴史に残るだろう」と声明を発した。一方、日本の鈴木貫
太郎内閣は敵国であったにも拘らず、戦争終結を模索する立
場であり、「今日の戦争においてアメリカが優勢であるのは
ルーズベルト大統領の指導力が極めて優れているからです。
その偉大な大統領を失ったアメリカ国民に、深い哀悼の意を
送るものであります」と同盟通信社の短波放送で、ルーズベ
ルトの死を悼む内容の声明を発表した。スターリンは、ルー
ズベルトの死を米国のハリマン駐ソ大使から聞かされたとき
非常な衝撃を受け、大使の手をつかんでしばらく離さなかっ
た。猜疑心の強いスターリンは、おそらく彼は暗殺されたと
思い込んだという。 ──ウィキペディア
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ルーズベルト/トルーマン


