2012年10月11日

●「ポツダム会談で何が決まったか」(EJ第3404号)

 1943年のカイロ宣言と1945年のヤルタ会談──盟友の
チャーチル英首相と一緒に太平洋戦争の終結とその戦後処理に意
欲的に取り組んでいた米国のルーズベルト大統領は、1944年
11月には、大統領選で共和党のトーマス・デューイ候補に勝利
し、先例のない4選を果たしています。
 ところが、ルーズベルト大統領はヤルタ会談の2ヵ月後の19
45年4月12日、脳卒中で帰らぬ人になったのです。直ちに、
副大統領のトルーマンが大統領に就任します。そして、同年7月
17日からベルリン郊外のポツダムで会談を行い、7月26日に連
合国は米国、英国、中国の合意に基づいて、大日本帝国(当時の
日本)に対し、降伏を促すポツダム宣言を発したのです。
 しかし、このポツダム会談は、今までとは違った雰囲気のなか
で行なわれたのです。それは、まず主役であったルーズベルト自
身が急逝してこの場におらず、トルーマン大統領が急遽出席した
ことがあります。主役が交代したのです。
 それにチャーチル英首相は出席していたのですが、会談の途中
で本国から総選挙に敗北したという知らせが入り、帰国してしま
い、後継のアトリー首相が急遽出席したのです。
 さらに中華民国の蒋介石主席も会談には参加していなかったの
です。米英中の合意文書ですから、出席は不可欠なのに参加せず
トルーマン大統領は蒋介石主席と電話で確認を取って、大統領自
身が、中国に代わってた署名しています。
 さらに奇妙なことは、ポツダム会談の席には、関係国でないソ
連のスターリン首相が参加していたのです。この時点でソ連は、
太平洋戦争に参戦しておらず、関係国ではないからです。
 ソ連としては、ヤルタ会談でドイツが降伏した直後に日本に宣
戦布告して戦争に参加すれば、南樺太や千島列島がすべて手に入
るというおいしい裏議定書にサインしているので、その確約を取
るために参加したものと思われます。
 しかし、トルーマン大統領はスターリン首相の参加を好ましく
思っていなかったようです。そのため、ポツダム宣言そのものの
作成に当っては、米英が主導権を持って内容を決定し、スターリ
ン首相には、まったく内容を知らせていないのです。
 さらにもうひとつ重要なことがあります。ポツダム会談中、ト
ルーマン大統領は、本国からのある秘密電報を心待ちにしていた
のですが、それが入ってきたのです。その秘密電報の内容は次の
ようなものだったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       ワレ原子爆弾爆発実験ニ成功セリ
―――――――――――――――――――――――――――――
 原爆があれば、ソ連の日本への宣戦布告などは必要がなくなり
ます。トルーマン大統領は、この秘密電報の内容をそのときまだ
会議に参加していたチャーチル首相には伝えたものの、スターリ
ン首相には伝えていないのです。
 しかし、スターリンは、途中からトルーマンの態度が一変し、
出席者を何となく威圧的に見るようになったので、「これは何か
ある」と確信し、密かに調べさせたといいます。おそらくスター
リンのことですから、米国が原爆を成功させたことを掴んだもの
と思われます。
 問題はポツダム宣言を受けた日本政府の対応です。日本政府は
ポツダム宣言を論評なしで公表し、当時の鈴木貫太郎首相は、記
者会見で「黙殺」の意を表明しています。これは、ポツダム宣言
が天皇制存続について触れていなかったからであるとといわれま
す。日本のメディアも次のように書いていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     笑止、米英蒋共同宣言、聖戦あくまで完遂
―――――――――――――――――――――――――――――
 とくに鈴木首相の「黙殺」は、ポツダム宣言拒否と連合国側に
受け取られ、8月8日に広島に原爆が投下され、9日に長崎にも
落とされたのです。ソ連はその間隙を縫って8月8日に日本に宣
戦布告しています。そして、日本はこれによって、不当にも南樺
太と千島列島全島を奪われることになるのです。
 さて、ポツダム宣言は、全部で13項目から成るのですが、日
本の領土に関して言及した項目は第8項であり、そこには次のよ
うに記述されていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 カイロ宣言の条項は履行されるべき。また、日本国の主権は本
 州、北海道、九州及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に限
 られなければならない       ──ポツダム宣言第8項
―――――――――――――――――――――――――――――
 1945年9月2日、日本は、ポツダム宣言を受託して無条件
降伏したのです。そのため日本は、日本帝国大本営の一般命令第
一号として「千島列島ニ在ル先任指揮官並ビに各部隊ハ『ソビエ
ト』司令官ニ降伏スベシ」という命令を発したのです。
 しかし、ポツダム宣言における領土に関する記述はいかにも曖
昧であり、米軍が日本を占領統治するに当って、もっと具体的に
領土を特定する必要があったのです。そこで、次の連合軍最高司
令部訓令を出しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の範囲に含まれる地域は、四主要島と対馬諸島、北緯30
 度以北の琉球諸島等を含む約1000の島」とし、竹島、千島
 列島、歯舞群島、色丹島等を除く
        ──連合軍最高司令部訓令(昭和21年1月)
  ──孫崎亨著/『日本の国境問題/尖閣・竹島・北方領土』
                     ちくま新書905
―――――――――――――――――――――――――――――
 これによると、日本の領土は四主要島に加えて「対馬諸島、北
緯30度以北の琉球諸島等を含む約1千の島」とさらに具体的に
なっています。しかし、ここでは竹島は除かれています。この定
義は、連合国側の単なる行政的便宜から行われたものであるに過
ぎないのです。          ── [日本の領土/08]

≪画像および関連情報≫
 ●ポツダム宣言と領土問題
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ソビエト社会主義共和国連邦(現在のロシア)については対
  日宣戦布告の8月8日にポツダム宣言への参加を表明してお
  り、これは、日ソ中立条約の廃止通告後の処理に違反してい
  る。ソビエトはポツダム宣言や降伏文書に参加したものの、
  サンフランシスコ平和条約に署名しておらず、南樺太および
  千島列島の領土権は未確定である。ソビエトは1945年9
  月3日までに歯舞諸島に至る全千島を占領し、1946年1
  月の連合軍最高司令官訓令SCAPIN第677号(指定島
  嶼部での日本政府の行政権停止訓令)直後に自国領土への編
  入宣言を行った。この時点での占領地の自国への併合は形式
  的には領土権の侵害であり、とくに北方四島については18
  58年の日露修好通商条約以来一貫した日本領土であり平和
  的に確定した国境線であったため、台湾や満州・朝鮮などと
  は異なり、カイロ宣言およびその条項を引き継ぐポツダム宣
  言に明白に違反している。一方でソビエトはヤルタ会談にお
  ける協定による正当なものとする。その後、返還を条件に個
  別の平和条約締結交渉が行われることになっていたが日ソ共
  同宣言の段階で停滞しており、2010年現在も戦争状態が
  終了したのみで平和条約の締結は実現していない。
                    ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

「ポツダム会談」の3首脳.jpg
「ポツダム会談」の3首脳
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 日本の領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
入力ミスの連絡

X ドイツ郊外のポツダム
◯ ベルリン郊外のポツダム
Posted by 黒木正幸 at 2012年10月14日 02:38
入力ミスの連絡 その2

X 台湾や満州・挑戦
◯ 台湾や満州・朝鮮
Posted by 黒木正幸 at 2012年10月14日 02:45
黒木様。入力ミスのご指摘有難うございました。
Posted by 平野 浩 at 2012年10月14日 03:46
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