韓国との領土をめぐる争いについて、名指しこそ避けたものの、
問題は武力ではなく法にのっとって解決されるべきであると強調
して、中国や韓国を牽制しました。野田首相としては、いうべき
ことをいったというところでしょう。
しかし、その後で演説した中国の楊外相は、次のように反論し
たのです。その後、ほとんど誰もいない国連会場で、再反論が2
回にわたり、日本と中国の間で繰り返されたのです。
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釣魚島(尖閣)と付属する島々は、昔から中国固有の領土であ
り、中国はこれに対して争うことのできない歴史的、法的根拠
を持っている。1895年、日本は日清戦争末期に、これらの
島を盗み取り、この島やその他の領土を日本に割譲するよう、
中国政府に不平等条約の締結を強制した。第2次大戦終了後、
「カイロ宣言」や「ポツダム宣言」などに基づき、釣魚島など
の島は日本が占拠した他の中国領土と一緒に中国に返還された
のである。 ──楊中国外相の国連演説より
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日本があえて名指しを避けているにもかかわらず、中国はそう
いう配慮は一切なく、「日本は日清戦争末期にこれらの島を盗み
取り」という表現で、野田首相の演説に反論したのです。
多くの日本人は、楊外相はいうに事欠いてデタラメいっている
と感じたと思います。しかし、中国が国連の場でこのようにいう
以上、何らかの歴史的事実に基づいて発言していると考えられる
のです。「カイロ宣言」や「ポツダム宣言」を持ち出しているの
で、調べてみる価値はあります。
昨日のEJで、日本の領土は約38万平方キロメートルと述べ
ましたが、かつての日本はそのピーク時には、昭和18年(19
43年)の朝日年鑑によると、約68万1千平方キロメートルも
有していたのです。しかし、太平洋戦争終結に伴う一連の処理に
よって約38万平方キロメートルになったのです。
つまり、日本の領土とは、日本が敗戦国であるがゆえに戦勝国
──米国を中心とする連合国の決めたことに日本がしたがった結
果、決まったことなのです。日本の領土については、次の4つの
宣言、会議、条約によって決まっています。
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1. カイロ宣言
2. ヤルタ会談
3. ボツダム宣言
4.サンフランシスコ平和条約
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中国の楊外相は、「カイロ宣言」や「ポツダム宣言」の2つを
演説のなかで引用しています。それは、4つの宣言、会議、条約
のうち、中国が参加しているのはその2つだけだからです。
「カイロ宣言」とは何でしょうか。
この宣言は、1943年11月にエジプトのカイロで次の3人
が集まって、対日方針などが話し合われたといわれています。そ
してこの会議内容を確認するかたちで、出されたのが「カイロ宣
言」というわけです。
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米国/ルーズベルト大統領
英国/ チャーチル首相
中華民国/ 蒋介石主席
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この会談に蒋介石を引っ張り出したのは、ルーズベルトだった
といわれています。そのとき蒋介石は、抗日戦に手こずっていて
日本と休戦協定・単独講和を結んで、連合国の戦線から離脱する
可能性があったのです。それに、蒋介石は英米からの支援が少な
いことに不満を持っており、米英は中国(中華民国)が日本に寝
返ることを心配していたといわれます。
しかし、米英としては、中国にもう少し頑張って日本と戦って
もらう必要があったのです。そこで、蒋介石夫妻をカイロに招き
十分な支援の約束と台湾の返還や常任理事国入りを条件にして、
日本を無条件降伏に追い込むまで戦うことを蒋介石に約束させた
のです。
カイロ会談では、3大国(米英中)は、自国のための利得や領
土拡張などの野心はないことを前文で述べたうえで、日本に対し
ては次のように述べています。
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日本国が一九一四年の第一次世界大戦の開始以後において奪取
し、又は占領したる太平洋における一切の島嶼を剥奪すること
並びに満州、台湾及び澎湖島のごとき日本国が清国より盗取し
たる一切の地域を中華民国に返還する。また日本国は暴力及び
食欲により略取したる他の一切の地域より駆逐されるべし。
る。 ──保阪正康著/「歴史でたどる領土問題の真実
/中韓露にどこまで言えるのか」/朝日新書
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これを見ると、中国の楊外相が国連演説で「盗み取り」と表現
したのは、「カイロ宣言」の中に書かれている表現をそっくりそ
のまま使ったに過ぎないのです。しかし、そのことがわかる日本
人がどれだけいるでしょうか。
日本人は、中国人よりもはるかに自国の歴史──とくに現代史
を勉強していないのです。野田首相は、カイロ宣言やポツダム宣
言という言葉は知っているでしょうが、どのような経緯でそれが
行われ、そこに何が書かれているかきっと知らないでしょう。
しかし、このカイロ宣言──時間や日付が記されておらず、3
首脳の署名もないので、その有効性に疑問符がつけられているの
です。2008年に、時の台湾の陳水扁総統はインタビューで、
このことを指摘し、単なるプレスリリースに過ぎないと発言して
話題になったのです。(≪画像および関連情報≫参照)
── [日本の領土/05]
≪画像および関連情報≫
●陳水扁総統:「カイロ宣言」は署名がないニセモノ
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陳水扁総統は2008年3月13日、英国紙「フィナンシャ
ルタイムズ」のインタビューに応じ、その内容が同紙インタ
ーネット版に掲載された。このなかで陳総統は、4年前に中
国の温家宝・総理が「中国が台湾の主権を有していることは
『カイロ宣言』できわめて明確に示されている」と発言した
ことに関して、「多くの人は『カイロ宣言』に、中国が台湾
の主権を有することが明確に言明されていると信じている。
過去、われわれが学生のときも、国民党政府の教育はわれわ
れにこう教えてきた。国際社会もそのように認識していた。
(カイロ宣言が発表された)1943年からいまに至るまで
60年もの間、1943年に蒋介石、チャーチル、ルーズベ
ルトの3カ国の首脳が中国は台湾の主権を確かに有している
と決定したと多くの人々が信じて疑わなかった」と述べた。
そのうえで、陳総統は「1943年12月1日の『カイロ宣
言』についてはっきりしているのは、時間と日付が記されて
おらず、蒋介石、チャーチル、ルーズベルトの3首脳のいず
れも署名がなく、事後による追認もなく、授権もない。これ
はそもそもコミュニケではなく、プレスリリース、声明書に
過ぎないのだ」と指摘した。
http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=52675&ctNode=3591&mp=202
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「カイロ宣言」


