2012年09月18日

●「300人も候補者を立てられるか」(EJ第3388号)

 日本維新の会が旗揚げしましたが、それに伴っていくつか重要
なことが確認されています。まとめておきます。
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 1.橋下市長は日本維新の会の代表であるが、次期衆院選には
   出馬せず、党本部を大阪に置いて大阪から指揮を執る
 2.松井知事は日本維新の会の幹事長であるが、やはり次期衆
   院選には出馬せず、代表と同様に大阪から指揮を執る
 3.日本維新の会からの立候補者は、選挙で必要になる費用を
   すべて自己資金で用意して、選挙戦を戦うことになる
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 橋下代表は、この日本維新の会を率いて、次期衆院選での過半
数獲得宣言を行っています。衆院の過半数は241議席です。そ
のため、全選挙区300と比例を合わせて300〜400人の候
補者を擁立する方針であるといいます。
 そんなことは可能でしょうか。
 確かに日本維新の会は、維新政治塾の塾員として立候補可能な
888人を既に確保しています。それらの塾員が国会議員の候補
者としてふさわしいかどうかは別として、頭数としては揃ってい
るのです。
 しかも、その888人全員に、選挙のために党からは金は出な
いが、自己資金で最低1000万円〜1500万円用意できるか
どうか、落下傘候補になるがそれでもいいかと聞き、イエスの返
事をもらっているというのです。要するに、日本維新の会の看板
は貸してやるから、金は自分で用意しろというわけです。確かに
それなら300〜400人の候補者の擁立は可能になります。
 しかし、1000万円〜1500万円の大金を300〜400
人もの政治塾の塾生が本当に用意できるかどうかは不明です。日
本維新の会の旗揚げのとき、会場のホテルでテレビ局の記者が政
治塾の塾生の何人かにインタビューしたところ、次のような返事
が返ってきているのです。
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 国政候補のテストの直前に、こんな噂が流れたのです。お金は
 用意できるかと聞かれるが、もし、ノーといえば落とされる、
 と。確かに自分のときも金のことを聞かれたので、金はなかっ
 たが「なんとかする」と答えて合格した。他のほとんどの塾員
 も同じだと思いますよ。   ──テレビ朝日のニュースより
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 9月15日、維新政治塾の塾生は、早速大阪の市街に出て、街
頭演説をはじめていますが、これはあくまで研修の一環です。維
新八策を訴えるのが課題です。実にうまい宣伝のやり方であると
思います。しかし、これらの人がすべて選挙に出てくるわけでは
ないのです。
 お金もあって、県(府)議や市議やなど、ある程度選挙の経験
のある人が中心になると思います。実際にはどのくらいの候補者
が立てられるかについて、政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏と山
田恵資氏は次のように述べています。
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 鈴木:(候補者として立ててくる人は)いろいろ言われてます
 けど、現実的には府議や市議といった地方議員と、既成政党か
 らの移籍組が中心になると思います。比例のほうで、選挙運動
 の顔になる有名人を少し立ててくるといったところでしょう。
 888人の維新政治塾の塾生については、次の次の選挙に向け
 て鍛えている人たちとみるべきです。次期選挙に候補者として
 立てる人数は、比例も入れて、120〜140人くらいという
 のが僕の予想です。
 山田:小選挙区だけで100人くらい。私もそれくらいだと思
 います。民主党はもちろん、自民党も強い候補者を立てられる
 と、かなり厳しいでしょう。
  ──『週刊現代』9/8日号掲載の山田恵資氏との緊急対談
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 問題は、そこから、どのくらい当選できるかです。似たような
ケースとして上げられるのが、かつての日本新党です。まったく
組織がないところからの立ち上げだからです。
 1992年5月9日、元熊本県知事の細川護煕氏は、『文藝春
秋』に、次の論文を書いて新党参加を呼び掛けたのです。
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       「『自由社会連合』結党宣言」
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 この呼びかけに応えて、松下政経塾関係者、ブレーントラスト
(各分野の知能顧問団)、知事時代の秘書、後援者などの人材が
集まってきたのです。このときの参加者の1人が現総理大臣野田
佳彦氏です。
 このとき集まった数少ないメンバーで協議し、基本政策、党則
選挙対策、党名などを決定し、1992年5月22日に日本新党
を結党したのです。代表には細川護煕氏が就任し、6月に高輪に
党本部を設置しています。
 1992年7月の第16回参院議員選挙で、比例区に公認候補
17人を擁立し、4人当選を果たしています。この当選者のなか
に、細川氏と小池百合子氏がいるのです。
 1993年6月に宮沢内閣が解散すると、自民党から離党者が
続出します。武村正義氏は離党して新党さきがけを結党し、小沢
一郎氏らは新生党は結成します。細川氏率いる日本新党は、新党
さきがけと政策合意し、選挙後に1つの政党になることを宣言し
ています。
 そして、1993年7月、第40回衆院議員総選挙には、既に
参院議員だった細川、小池両氏も含め、57人を公認・擁立し、
35人が当選しています。このなかには野田佳彦氏をはじめ、約
500人の公募生から2人が立候補し、1人が当選しています。
この1人が現経産相の枝野幸男氏です。このとき、日本新党には
「風」が吹いており、日本維新の会の当選予測にはきっと役立つ
と思われます。          ── [橋下徹研究/50]

≪画像および関連情報≫
 ●日本新党非自民の連立政権で政権与党へ
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  1993年7月23日に「政治改革政権」溝想を発表、キャ
  スティングボートを行使する形で小選挙区比例代表並立制の
  導入など連立政権参加の条件を非自民勢力と自民党に提示し
  た。両勢力ともに受け入れを表明したが、結局、非自民を掲
  げて選挙戦を戦った議員の意向や新生党代表幹事であった小
  沢一郎が細川に首相就任を打診し、細川が受諾したことで非
  自民勢力と連立政権を組むことになった。こうし8月9日、
  38年ぶりの政権交代が実現し、政治改革を掲げる細川を首
  班とする非自民・非共産8党派連立内閣(細川内閣)が発足
  した。               ──ウィキペディア
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第79代内閣総理大臣/細川護煕氏.jpg
第79代内閣総理大臣/細川 護煕氏
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 橋下徹研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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