2006年11月29日

モーツァルトの4男をめぐる謎(EJ1971号)

 昨日のEJでも述べたように、モーツァルトとコンスタンツェ
の間には6人の子供が生まれましたが、次のように次男と四男の
2人の男子しか育っていないのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   次男 ・・・・・    カール・トーマス
   四男 ・・・・・ フランツ・クサーヴァー
―――――――――――――――――――――――――――――
 EJ第1932号で、2人の男の子のうちの四男、「フランツ
・クサーヴァー」の名前を覚えておいて欲しい――そのように私
は書きました。モーツァルトのテーマがはじまってちょうど10
回目のときでしたが、やっとそれが何を意味するかについて書く
ところまできました。
 モーツァルトの弟子であるジュスマイヤーのフルネームは、次
のようにいうのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     フランツ・クサーヴァー・ジュスマイヤー
―――――――――――――――――――――――――――――
 モーツァルトの四男もフランツ・クサーヴァー――すなわち、
フルネームは次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
  フランツ・クサーヴァー・ヴォルフガング・モーツァルト
―――――――――――――――――――――――――――――
 なぜ、モーツァルトは四男にこのような名前をつけたのでしょ
うか。真木洋三氏の本から引用します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 モーツァルトの眼には涙が光った。すべり落ちる涙を振り払っ
 て、微かな、つぶやくような声で彼は続けた。
 「きみの名前をつけて、あの子は、フランツ・クサーヴァー・
 ヴォルフガング・モーツァルトとしよう。こんなことになるだ
 ろうと思って、去年の9月30日付でコンスタンツェはこの住
 所に引っ越したことにしてある。世間的には、わたしの子とな
 るだろう。だが、・・・」
 「先生、お許し下さい!」
 ジュスマイヤーは両頬に涙を迸らせて、両膝をついて涙に咽ん
 でいた。彼はキリストのかくれている場所を、わずかの金に釣
 られて役人に告げ、キリストを裏切ったユダの立場に自分が立
 たされているのを知った。
   ――真木洋三著、『モーツァルトは誰に殺されたか』より
                       読売新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 もちろんこれは四男の名前に着眼した真木洋三氏の推理です。
確たる証拠があるわけではありませんが、あってもおかしくない
説得力を持った説であると思います。
 真木洋三氏はもうひとつジュスマイヤーは、しかるべきところ
から意図的に送り込まれたスパイであると推理しています。映画
『アマデウス』では、サリエリが女中をスパイとして送り込むと
いう設定になっているので、あり得ないことではないのです。
 それなら、ジュスマイヤーは誰から送り込まれたスパイなので
しょうか。
 おそらくそれはサリエリであろうと思われます。何をもってそ
う判断するかというと、ジュスマイヤーはモーツァルトの死後、
コンスタンツェの前から姿を消し、サリエリの弟子になっている
のです。
 この事実からジュスマイヤーとサリエリは事前に繋がりがあっ
て、サリエリの特命を受けてモーツァルト家に入り込み、モーツ
ァルトに毒を盛る――まさかコンスタンツェと不倫を働くという
のは特命でないと思うが――そういう疑いが出てくるのです。サ
リエリのモーツァルト服毒説はこういう観点から出てくるのであ
れば、あってもおかしくない話なのです。
 実際問題として、サリエリらの宮廷貴族の一派は、『フィガロ
の結婚』をはじめとするモーツァルトのオペラの公演を物理的に
妨害して失敗させようとしたことは動かし難い事実です。貴族た
ちにとってモーツァルトは危険な存在だったのです。
 しかし、それでいながら、サリエリはモーツァルトの音楽を高
く評価していたのです。1791年4月17日にはサリエリが自
ら指揮して、モーツァルトの交響曲第40番ト短調を演奏してい
ます。サリエリはこの曲がとても好きだったといわれます。
 『魔笛』に関して、モーツァルトはコンスタンツェへの手紙に
おいて次のように伝えてもいるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 昨日13日の木曜日・・・6時に、僕はサリエリとカヴァリエ
 リを馬車で迎えにいき、彼らを桟敷席に案内した。2人がどん
 なに感じよかったか、僕の音楽だけでなく、台本も何もひっく
 るめて全部をどれだけ気に入ってくれたか、お前には信じられ
 ないだろうよ。(中略)サリエリは、序曲から最後の合唱まで
 一心に聴き、見ていたが、彼からブラヴォーとか、ベッロ(素
 敵だ)とかいう言葉を誘い出さない曲は、一曲もなかった。彼
 らは僕の好意に対し、ほとんどきりのないくらい礼をいった。
 ――アントン・ノイマイヤー著/礒山稚・大山典訳、『ハイド
    ンとモーツァルト/現代医学のみた大作曲家の生と死』
―――――――――――――――――――――――――――――
 これほどモーツァルトを買っていたサリエリがモーツァルトを
殺すはずはない――これはひとつの説得力のある意見です。サリ
エリとしては、宮廷音楽家としては最高の地位を得ており、モー
ツァルトを恐れる必要は何もなかったからです。しかし、貴族と
してみた場合は、モーツァルトはやはり危険分子なのです。
 サリエリは、ジュスマイヤーを弟子として迎え入れただけでな
く、四男のクサーヴァー・モーツァルトの面倒まで見ているので
す。もし、四男ががジュスマイヤーの子供だとした場合、これは
何を意味しているのでしょうか。・・・  [モーツァルト49]


≪画像および関連情報≫
 ・フランツ・クサーヴァー・モーツァルト
  ―――――――――――――――――――――――――――
  フランツ・クサーヴァー・モーツァルトはドイツのピアニス
  トで作曲家。モーツァルトの生き残った2人の子供のうちの
  次男(実際には四男)。母コンスタンツェの意向もあり、ヴ
  ォルフガング・アマデウス・モーツァルト2世として活動。
  しかし、生まれた直後に父親が他界したため、父から直接、
  卓越した音楽教育などを受けた事実はない。アントニオ・サ
  リエリとヨハン・ネボムク・フンメルに師事。《ディアベリ
  の主題による50の変奏曲》に、フランツ・リストなどとと
  もに名を連ねている。ピアノ・ソナタやポロネーズ、ロンド
  変奏曲などの作品があり、作品は洗練され、繊細であるが、
  ウェーバーやシューベルトと同世代にもかかわらず、作風は
  ウィーン古典派の域を出ない。    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

1971号.jpg
posted by 平野 浩 at 04:47| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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