の男はどういう人物なのでしょうか。
ジュスマイヤーは1766年にオーストリアのシュヴァーネン
シュタットで生まれる――父に音楽の手ほどきを受け、1779
年〜84年、クレムスミュンスター修道院で学んでいます。
この修道院では、オペラやジングシュピールがよく上演された
ため、グルックやサリエリのオペラを研究する機会に恵まれ、修
道院のための教会音楽や舞台音楽を大量に作曲するなど、それな
りの音楽的才能を発揮しています。
1790年にモーツァルトの弟子になりますが、そのときジュ
スマイヤーは24歳であり、なかなかの美青年だったといわれま
す。モーツァルトは、ジュスマイヤーを自分の仕事のアシスタン
トとしてに使うよりも、むしろコンスタンツェの面倒をみさせて
いたといわれます。
コンスタンツェが脚の治療と称してバーデンに行きたがるとき
も家計が苦しいにもかかわらずそれを許し、ジュスマイヤーを世
話役として同行させたのも、わがままなコンスタンツェの面倒を
ジュスマイヤーに押し付け、作曲に専念するための自分の時間を
作りたかったというのがモーツァルトの本音だったと思います。
なぜなら、そのときモーツァルトは「自分にはもうあまり時間
がない」ことを本能的に知っていたように思われます。その当時
モーツァルトが書いていたオペラは、歌劇『皇帝ティトゥスの慈
悲/K621』です。
この当時のモーツァルトの心情を理解しようと思うなら、この
オペラ『皇帝ティトゥスの慈悲/K621』について知る必要が
あります。ところがかなりのモーツァルトファンでも、『魔笛』
は知っていても、『皇帝ティトゥスの慈悲』については知らない
人が多いのです。
このオペラは『後宮からの誘拐』に似ています。『後宮からの
誘拐』は実は当時の皇帝ヨーゼフ2世に対して愛と寛容を訴える
ものだったのですが、『皇帝ティトゥスの慈悲』は同じ愛と寛容
を皇帝レオポルト2世に対して訴えるものなのです。レオポルト
2世はモーツァルトに対して、どちらかというと冷たい人であっ
たからです。
『皇帝ティトゥスの慈悲』とは、人間関係が複雑に入り組んで
いるオペラです。EJ風に要約してみます。
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ローマ皇帝ティトにはセストという親友がいる。ティトはセ
ストの妹のセルヴィアを愛しており、求婚するが、セルヴィア
はセストの友人アントニオを熱愛していたので、ティトの求婚
を断わる。そこで、ティトは先帝の娘であるヴィテリアと結婚
することを決意するが、ヴィテリアはセストを愛している。
セストはヴィテリアにそそのかされて、皇帝ティトの暗殺を
企てるが失敗する。ティトは親友のセストを何とか救ってやろ
うと理由を聞くが、セストはヴィテリアを庇って黙秘する。
ローマ元老院はセストに死刑を言い渡し、刑が執行されるこ
とになった。しかし、ヴィテリアは正式に皇妃の座につくこと
になるが、その席で群集の面前でかかる悪事を企んだのはセス
トではなく自分であると告白してセストの命を救う。
皇帝ティトは、愛がすべての原因であることを悟り、この事
件にかかわったすべての者を許すと言明する。しかし、セスト
は、皇帝は許しても自分の良心は許してくれないと罪に伏すこ
とを願い出る。しかし、ティトは悔い改めたその心こそ変わら
ない忠誠よりも尊いとしてセストを許すのである。
この皇帝ティトの深い慈悲に、ティトを除いた全員が「永遠
の神」を称える大合唱が歌われ、オペラの幕が閉じる。
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このオペラの最後の大合唱は、モーツァルトの持っているエネ
ルギーが天に向かって噴出するかのような大迫力に満ちたものに
なっています。おそらくモーツァルトは、自らが皇帝ティトにな
り代ったような気持ちで作曲したものと思われます。
この『皇帝ティトゥスの慈悲』の作曲と同時平行して『魔笛』
の作曲も進めていたモーツァルトは、『皇帝ティトゥスの慈悲』
の一部をジュスマイヤーにまかせているのです。そこがあとでこ
の作品の弱点ともなるのですが、モーツァルトにとっては、『魔
笛』の方が大切だったと思われます。
1791年7月26日に、コンスタンツェは6番目の子供を出
産するのです。男の子です。モーツァルトの子供は6人ですが、
結局2人しか育っていないのです。このとき、モーツァルトは、
ジュスマイヤーを呼び出して次のようにいっているのです。真木
洋三氏の本から引用します。
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ジュスマイヤーが彼(モーツァルト)に呼ばれた。弟子は緊張
し切っていた。
「あの子は、わたしの子ではないよ」
「でも、先生の子なのは、たしかです」
「莫迦なこと、言うんじゃない。十か月前、君は、コンスタン
ツェとずっと一緒だった。わたしは、昨年、9月23日、フラ
ンクフルトへ出発した。しかも、9月はいちどもバーデンには
行っていない」。
ジュスマイヤーの顔色は蒼白となった。両手がかすかに震え
ている。
「なにもかも知っているよ。きみが特別の仕事のために、わた
しのところへ来たのも・・・」
――真木洋三著、『モーツァルトは誰に殺されたか』より
読売新聞社刊
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「特別の仕事のために」とは何を意味しているのでしょうか。
ジュスマイヤーは誰かの命によって送り込まれたスパイだったの
でしょうか。 ・・・・ [モーツァルト48]
≪画像および関連情報≫
・『皇帝ティトゥスの慈悲』について
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『皇帝ティトゥスの慈悲』が音楽的に弱々しい作品だという
のは絶対に正しくない。そこには最高の技術を持った名匠の
美しい音楽がみちみちているのである。問題は、すべてテキ
スト自体が、真の人間の感情と劇的な形を持つような作品を
生み出す可能性を、まったくといってよいほど殺してしまっ
ていることなのだ。―スタンリー・サディー著/小林利之訳
『モーツァルトの世界』より。東京創元社刊
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