2006年11月27日

モーツァルトは誰に毒を盛られたのか(EJ1969号)

 モーツァルトの毒殺説が出てきた最初のキッカケは、当のモー
ツァルト自身が口にしたからだといわれています。それは、17
91年6月のことで、コンスタンツェとウィーンのプラーター公
園を散策中のことだったといわれています。
 モーツァルトの伝記作家たちは、このプラーター公園における
モーツァルトによる告白を次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1791年6月、モーツァルトは、コンスタンツェとウィーン
 のプラーター公園を散策中、自分は毒を盛られたと言い、「だ
 れかがぼくにアクア・トファナを飲ませた」と語った。
                    フランシス・カー著
      横山一雄訳『モーツァルトとコンスタンツェ』より
                       音楽之友社刊
      ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 しかし、彼の不快な気分は眼に見えてつのり、彼を陰気な憂鬱
 へと陥らせた。妻はそれを感じとり、気が重かった。彼の気を
 紛らわせ、元気づけるために、彼女はある日彼とともにプラー
 ター公園を馬車で走った。彼らが公園で2人きりで座った時、
 モーツァルトは死について語り始め、僕は自分のために≪レク
 イエム≫を書いているんだ、と言い張った。感じやすい夫の目
 に涙が浮かんだ。「僕にはよく分かる」と彼は続けた。「僕は
 もう長くない。きっと毒を盛られたんだ!この考えを振り払え
 ないんだよ」。
 ――アントン・ノイマイヤー著/礒山稚・大山典訳、『ハイド
    ンとモーツァルト/現代医学のみた大作曲家の生と死』
―――――――――――――――――――――――――――――
 この頃モーツァルトは2つの気分に支配されていたようです。
『魔笛』やフリーメーソン関係の曲を書いているときはとても元
気なのに、『レクイエム』の作曲をはじめると、なぜか元気がな
くなって、うつ状態になってしまうのです。
 しかし、そうかといってうつ病とは考えられない――このよう
に医師のアントン・ノイマイヤーはいうのです。それは精神異常
を示す兆候――食欲不振とか、それによる体重の減少、睡眠障害
などが当時のモーツァルトには何も見られないからです。
 もし、モーツァルトが本当に毒を盛られたとしたら、それは遅
効性のある毒であり、少しずつ効いてくる毒を飲まされていたと
いうことになります。問題はそういう毒薬を誰が盛ったかという
ことです。モーツァルトの身近にいる人でないと、それを果たす
ことはできないと考えられます。
 ところで、例のプラーター公園でのモーツァルトの告白を『モ
ーツァルトは誰に殺されたか』の著者、真木洋三氏は次のように
より踏み込んで書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 モーツァルトの没後7年目の1798年、プラハのニーメチェ
 ックは、最初のモーツァルト伝を出版したが、その伝記による
 と、彼が妻に毒殺を打ち明けた場所は、プラター公園であった
 という。
 「誰が、毒を盛ったの?」
 コンスタンツェは驚いてモーツァルトに詰め寄った。彼はひと
 呼吸もふた呼吸も置いて、呟くように言った。
 「お前、気がついてなかったのか?」
 「なんのこと?」
 「とぼけるのもいい加減にしろ、お前のほれ・・・」
 お抱え道化師さ、と言おうとして彼は顔をそむけ、ゆっくりと
 歩き始めた。彼女の顔から血の気が一挙に引いた。
   ――真木洋三著、『モーツァルトは誰に殺されたか』より
                       読売新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 「お抱え道化師」とは誰のことでしょうか。
 オペラ好きの人であれば、「お抱え道化師」と聞いてすぐ頭に
浮かぶのはリゴレット――歌劇『リゴレット』のタイトル・ロー
ルです。モーツァルトは、コンスタンツェに宛てた手紙で、よく
この言葉を使っているのです。1791年6月にバーデンで温泉
治療をしているコンツタンツェに宛てた手紙の最後に次のように
使っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
    お前のお抱え道化師に、ぼくからよろしく
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここで「お抱え道化師」といわれているのは、モーツァルトの
弟子のジュスマイヤーのことなのです。そうすると、ジュスマイ
ヤーによってモーツァルトは毒を盛られたことになります。その
ような可能性は考えられるのでしょうか。
 確かにジュスマイヤーであれば、モーツァルトの食べ物に毒を
盛ることは可能です。しかし、ジュスマイヤーにモーツァルトを
殺す動機が見つからないのです。
 そこで考えられるのは、コンスタンツェのジュスマイヤーとの
不倫疑惑です。真木洋三氏はそれを前提として、モーツァルト毒
殺の推理を組み立てているのです。それならば、ジュスマイヤー
はコンスタンツェと一緒に暮らすことを夢見てモーツァルトを毒
殺したのでしょうか。
 確かに不倫疑惑は否定できないし、あっても不思議はないので
す。コンスタンツェの脚の病気は妊娠に伴うものであり、頻繁に
温泉治療が必要なほどの重症ではないといわれます。それをコン
スタンツェは、モーツァルト家の家計の厳しい中で2年以上も続
けて行ない、モーツァルトを苦しめたのです。モーツァルトの借
金の主要な原因はコンスタンツェのこの病気治療にあるのです。
 その温泉治療のバーデンでは、ジュスマイヤーが付き添ってい
たのです。モーツァルトの命を受けてです。しかし、ジュスマイ
ヤーが宮廷貴族が送り込んだスパイと考えた場合は、少し事情が
違ってきます。       ・・・・  [モーツァルト47]


≪画像および関連情報≫
 ・コンスタンツェのジュスマイヤーの不倫疑惑
  ―――――――――――――――――――――――――――
   モーツアルトの弟子がなぜ自分の師匠を毒殺しなければな
  らなかったのでしょうか。実は、モーツアルトの妻コンスタ
  ンチェと弟子のジュスマイアーは不倫をしていたのではない
  かと疑われています。モーツアルトは、もともとコンスタン
  チェの姉のアロイジアにプロポーズをしていましたが、結果
  的にふられてしまいました。それでもモーツァルトは、コン
  スタンチェと結婚した後も、アロイジアにずっと好意を寄せ
  ていたようです。それを不満に思ったコンスタンチェは若い
  弟子のジュスマイアーと不倫をしてしまったというのです。
  しかし、コンスタンチェはジュースマイアーにモーツアルト
  の殺害を依頼したわけではなく、むしろ、自分の不倫相手が
  夫を殺害してしまったのを知って、罪の意識から葬儀に参加
  できなかったのではないかと推論できます。
  http://www2.ocn.ne.jp/~lemonweb/story_pages/s_page4.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

1969号.jpg
posted by 平野 浩 at 06:40| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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