2006年11月24日

ゾフィーはなぜ臨終の席にいたのか(EJ1968号)

 モーツァルトの臨終の席の主役は、どう見てもコンスタンツェ
ではなく、妹のゾフィーです。モーツァルトはゾフィーの腕の中
で息を引き取っています。ゾフィーはどのような経緯でモーツァ
ルトの臨終の席にいることになったのでしょうか。
 1791年12月4日の話です。モーツァルトの亡くなる1日
前の話です。そのときゾフィーは、母のセシリアと一緒に生活を
していたのです。ゾフィーは11月の後半にモーツァルトが病床
から起き上がれなくなってからは、姉のコンスタンツェを励ます
ため、毎日のようにモーツァルトの家に行っていたのです。
 12月4日にいつものようにモーツァルトの家に行くと、モー
ツァルトはゾフィーに対して「今晩は一日自分に付き添っていて
欲しい」と頼んだのです。ゾフィーは、今晩は戻れなくなるので
母の面倒を一番上の姉であるヨーゼフ・ホーファーに頼んでくる
からといって家に戻ろうとしたのです。
 そのとき、コンスタンツェが家の外まで追いかけてきて、次の
ことを頼んでいます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 聖ペテロ教会の司祭様のところに行って、司祭様に来てもらう
 ように頼んでちょうだい。それも、偶然のようにして来て欲し
 いと頼んで欲しいの。         ――コンスタンチェ
―――――――――――――――――――――――――――――
 ゾフィーは姉のいう通りに教会に行って頼んだのですが、司祭
の返事は次のように冷たいものでした。
―――――――――――――――――――――――――――――
 あの音楽家さんは、カトリック教徒としてはいつも芳しくない
 方でしてね。ですから、行くのはお断りします。
                  ――フランシス・カー著
      横山一雄訳『モーツァルトとコンスタンツェ』より
                       音楽之友社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 モーツァルトが司祭から疎まれていたのは、おそらくモーツァ
ルトがフリーメーソンとして、かなり派手に活動をしていたから
ではないかと思われます。
 ゾフィーがモーツァルトの家に戻ってきたときは、かなり遅い
時間になっていたはずですが、そのときの模様をゾフィーはニッ
センに宛てた手紙で次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ジュスマイヤーがベットのそばにいました。有名な「レクイエ
 ム」が毛布の上に置いてあり、モーツァルトはジュスマイヤー
 に自分が死んだら、どうやって書き終えたらいいか自分はこう
 考えているからと言って説明していました。それからあの人は
 姉さんに自分が死んだことをアルブレヒツベルガーに知らせる
 までは秘密にしておくように言いきかせました。というのは、
 この方に神と世のつとめがすべて任されていたからです。
             ――フランシス・カーの前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 驚くべきことは、この時点でモーツァルトはまだ元気であり、
仕事をしていたということです。しかも、モーツァルトは自分が
今晩死ぬということを自覚していたようです。ゾフィーに今晩は
泊まってくれと頼んだのも自分が明日まで持たないことをモーツ
ァルト自身がよくわかっていたからなのでしょう。
 実は、ゾフィーが母の面倒や教会との掛け合いをして走り回っ
ている間に、モーツァルトは病床で「レクイエム」の試演をやっ
ていたのです。その試演に参加していたのは、次の3人です。
―――――――――――――――――――――――――――――
         ベネディクト・シャック
         フランツ・ホーファー
         フランク・ゲルル
―――――――――――――――――――――――――――――
 シャックは、そのとき公演中の『魔笛』でのタミーノ役ですが
彼がソプラノを、ヴァイオリン奏者のホーファーはテノールを、
『魔笛』でザラストロ役をやっているゲルルはバスを、そしてモ
ーツァルト自身がアルトを担当して「レクイエム」の試演をやっ
たのです。
 しかし、リハーサルが始まって、「デイエス・イラエ」までは
進んだのですが、「ラクリモサ・ディエス・イラ(涙の日)」の
描写になったとき、モーツァルトは泣き出してしまって、そこで
中止になったのです。
 それにしても死の直前まで、モーツァルトは意識はしっかりし
ており、最後の最後まで「レクイエム」の完成を目指していたの
です。しかし、モーツァルトは午後11時頃に意識がなくなって
昏睡状態に入り、12月5日午前〇時55分にこの世を去ってい
ます。クロセット医師がモーツァルト家にやってきたのは、おそ
らく日付けの変わった5日早々であったと思われます。
 クロセットは、モーツァルトに対して瀉血を行い、依然として
熱が下がらないので、ゾフィーに額を冷やすように命じたところ
ゾフィーは次のように反対しています。それは、クロセット医師
がさんざん遅れてやってきて、あまりにも誠意のない治療をした
ことも手伝ってのことと思われるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 病人の手足が炎症を起こしてむくんでいるし、急に冷やしても
 大丈夫なのですか。             ――ゾフィー
―――――――――――――――――――――――――――――
 おそらくクロセットはゾフィーの言葉にはカチンときたに違い
ないのです。この高名な医師に対して素人が何をいうか――クロ
セットは強引に「やれ!」とゾフィーに命じたのです。
 そうしたところ、モーツァルトは痙攣を起こし、ゾフィーの腕
の中で息を引き取ったのです。瀉血で最後の体力を奪われていた
ことが死の原因だったと思われます。以上がモーツァルトの病死
説の全貌です。       ・・・・  [モーツァルト46]


≪画像および関連情報≫
 ・モーツァルト作曲/レクイエム
  ―――――――――――――――――――――――――――
   1曲:入祭唱        8曲:涙の日
   2曲:キリエ        9曲:主イエス・キリスト
   3曲:怒りの日      10曲:賛美の生け贄と祈り
   4曲:奇しきラッパの響き 11曲:サンクトゥス
   5曲:恐るべき御稜威の王 12曲:祝福されますように
   6曲:思い出したまえ   13曲:神の小羊よ
   7曲:呪われたもの    14曲:聖体拝領唱
   8曲:涙の日
  ―――――――――――――――――――――――――――

1968号.jpg
posted by 平野 浩 at 06:42| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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