有名な人であったようです。はっきりとした記録があるわけでは
ないが、モーツァルトの友人のひとりであったようです。このク
ロセットは、1789年にモーツァルト家を訪れていますが、そ
のときは、コンスタンツェの脚の感染症の往診だったようです。
その頃コンスタンツェは脚の具合が悪く、その治療と称して、
バーデンへの温泉治療を何回も行い、モーツァルト家の家計の足
を引っ張っていたのです。
しかし、クロセット医師の診断では、コンスタンツェの脚は妊
娠に伴ってあらわれる静脈炎であり、少なくとも温泉療法を何回
も行うほどの重症ではないことははっきりしているのです。しか
し、人の好いモーツァルトは妻のいうことを真に受けて、大金の
かかる温泉治療に何度も行かせたり、クロセット医師にも往診を
頼んでいるのです。
ここでモーツァルトの亡くなる前の晩、すなわち、1791年
12月4日のことです。モーツァルトが苦しみ出し、その様子が
尋常ではなかったので、モーツァルトを看護していたゾフィーは
必死になってクロセット医師のところに駆けつけたのです。しか
し、彼は家を留守にしていたのです。
そのときクロセットは、ある劇場で観劇中だったのですが、ゾ
フィーはそのことを聞いて劇場まで行ったのです。そして、観劇
中のクロセットに、モーツァルトの様子がおかしいので診察して
やって欲しいと頼み込んだのです。
しかし、返事は冷たいものだったのです。クロセットは「劇が
終わってから行くから・・」といったそうです。時刻は午後8時
頃であったと思われます。当時ウィーンではオペラや芝居は、午
後7時頃から始まるのが通例でしたから、ゾフィーがクロセット
に往診を依頼したのは、劇が始まって1時間ほど経過した頃だっ
たはずです。
何度頼んでもクロセットが聞き入れてくれないので、ゾフィー
は家に戻ってクロセット医師を待つことにしたのです。しかし、
待てど暮らせどクロセットはやってこなかったのです。
劇が終るのは午後9時頃と考えられるので、それからすぐモー
ツァルトの家に駆けつければ、遅くとも午後10時には着いてい
るはずなのですが、クロセットがモーツァルト宅にやってきたの
は、日付が変わった12月5日――つまり、モーツァルトの死の
直前であったのです。おそらくクロセットは劇が終ってから友人
と食事をし、酒を飲んで、それからモーツァルト宅にやってきた
ものと思われます。
ピアニストで、熱烈なるモーツァルトの崇拝者であるヴィンセ
ント・ノヴェロという人がいます。彼はモーツァルトの死後、妻
のメアリーと一緒にモーツァルトの関係者――コンスタンツェや
息子のフランツ・クサーヴァー、妹のゾフィー、かつての恋人ア
ロイジアなどを訪ねて克明にメモをとったのです。
後年、このノヴェロ夫妻の手記をまとめて「モーツァルト巡礼
――1829年ノヴェロ夫妻の旅日記」という本が出版されてい
ます。モーツァルトの伝記としては、コンスタンツェの第2の夫
であるニッセンのものがありますが、その中身は省略や誤りが多
くあり、とくに謎の多いモーツァルトの臨終から死・埋葬につい
ての記述は、ほとんど書かれていないのです。
むしろニッセンの伝記よりも、ノヴェロ夫妻の手記は夫妻が直
接関係者に会ってビンセント自身が書いているので、内容が正確
であり、モーツァルトについて書くときよく引用されています。
以下は、ノヴェロ夫妻が直接ゾフィーに聞いて、ヴィンセント
・ノヴェロが、メモをしたモーツァルトの臨終の様子です。
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医者はやって来るとゾフィーに、酢を入れた冷水でモーツァル
トの額とこめかみを冷やすように命じた。彼女は、病人の手足
が、炎症を起こしてむくんでいるので、急に冷やすのはよくな
いのではないでしょうか、と言ったが、医者が強く命じたので
濡れたタオルを当てると、途端にモーツァルトは軽く身ぶるい
して、間もなく彼女の腕の中で息を引き取った。この時部屋の
中にいたのは、モーツァルト夫人と医者と彼女だけだった。死
んだのは二階の表通りに面した部屋だった。
――藤澤修治氏論文「モーツァルトの遺品」より
http://homepage3.nifty.com/wacnmt/part6.html
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これによると、モーツァルトが息を引き取ったのは、コンスタ
ンツェではなく、ゾフィーの手の中だったのです。一体コンスタ
ンツェは何をしていたのでしょうか。
ゾフィーによると、モーツァルトに対するクロセットの処置は
短く、ひどくそっけないものだったというのです。それは、何と
か助けようという態度ではなく、もうだめだという諦めが医師に
あったのではないかと考えられます。
モーツァルトの死因がアクア・トファナによる毒殺ではないか
という説が一方にありながら、病死説がそれを押さえ込んでいる
のは、高名で優秀な医師であるクロセットがモーツァルトの最後
を看取ったという事実があるからなのです。
もし、死因がアクア・トファナによる中毒であるならば、クロ
セットほどの医師がそれを見逃すはずがないからです。しかし、
クロセット自身がそのとき相当酒を飲んでおり、時刻は深夜――
当時の薄暗いランプの光で、アクア・トファナによる中毒の特徴
――歯茎に浮かぶ青い線や皮膚の色の変化などが短い診断で判断
できるものとは思われないからです。
おそらくクロセットは、昨日のEJでご紹介したグルデナー博
士による何らかの脳内発症による死亡と考えていたのでしょう。
まさか医師としては、アクア・トファナによる毒殺などは考えな
いと思われるので、死因を間違ってとらえたのではないかと考え
られます。脳に異常をきたすにしては、モーツァルトの意識は死
の直前まではっきりしていたのです。・ [モーツァルト44]
≪画像および関連情報≫
・ヴィンセント・ノヴェロによるコンスタンツェ像
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コンスタンツェの顔は、ニッセンの伝記で描かれている人物
像と似ていない・・・。彼女が有名な夫について語るときの
話しぶりは、彼にきわめて近く、親しい人間の中に私が当然
期待したほど熱っぽいものではなかった。
――ヴィンセント・ノヴェロ
フランシス・カー著
横山一雄訳『モーツァルトとコンスタンツェ』より
音楽之友社刊
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