子として入門したいと大勢申し出るはずです。しかし、当のモー
ツァルトは極力弟子はとらない方針でやってきたのです。
一曲でも多くの曲を作曲して曲を残したい――モーツァルトはそ
う考えていたからです。
モーツァルトは、若いときから死と正面から向き合う独特の死
生観を持っており、漠然とではあるものの、自分の人生は短いと
悟っていたふしがあります。したがって、弟子の指導に時間を取
られるよりもその時間に作曲したいと考えていたのです。
そのため、モーツァルトは宮廷などに職を得ることによって、
定収入を得ようと必死になったのです。幸いモーツァルトにとっ
ては、皇帝ヨーゼフ2世のバックアップがあったのです。少なく
とも、1790年2月20日にヨーゼフ2世がなくなるまではそ
の方針でやってこれたのです。
モーツァルトは、ヨーゼフ2世に代わって皇帝を襲位したレオ
ポルト2世に対して、宮廷の副楽長を与えてくれるよう請願書を
出しています。その理由として、サリエリ楽長は教会音楽には精
通していないが、自分は若い頃から教会音楽の様式を熟知してい
るので、副楽長としてやっていける――こういう主張を請願書に
盛り込んでいたのです。
このモーツァルトの要求は、彼の実力からいっても当然過ぎる
ものだったのですが、モーツァルトは宮廷のエスタブリッシュメ
ントたちに警戒されていたのです。それにレオポルト2世はヨー
ゼフ2世と違って、音楽についての関心も低く、サリエリ楽長の
一派にまかせ切りだったのです。そのため、モーツァルトの請願
書は無視されてしまったのです。
宮廷の副楽長の地位が得られないとわかったモーツァルトは、
弟子を取ることを決意して、ブフベルクに依頼の手紙を出してい
ます。それに応じて弟子として志願してきたのが、24歳の美青
年で、後でいろいろと問題になる次の弟子です。
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フランツ・クサヴァー・ジュスマイヤー
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その頃モーツァルトが疑心暗鬼になっていたことがあります。
それはモーツァルトの締め出しの動きが、単に宮廷からの追い出
しに止まらず、自分の周辺にまで及んでくる気配だったのです。
具体的にいうと、モーツァルトとコンスタンツェの間を意図的に
引き裂こうとする反対派の動きです。
というのは、コンスタンツェには浪費癖があり、人づきあいに
にも問題があって、モーツァルトとしては、彼の反対派がそこに
つけ込んでくることを恐れていたのです。
それは、コンスタンツェを残してモーツァルトが少し長い旅に
出るときなどに、モーツァルトが妻に対して送った異常ともいえ
る内容の次の手紙を見ればわかると思います。ここでいう長い旅
とは、1789年にリヒノフスキー侯爵に要請され、同行せざる
を得なかった2ヶ月間にわたる北ドイツへの旅のことですが、こ
れについては、EJ第1939号をご覧ください。
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ねぇ、お前、ぼくから、たくさんのお願いがあるんだよ。第一
に、淋しがるな。第二に、からだに気をつけ、春の外気に気を
許すな。第三に、独りで出歩くな。一番いいのは、全く出歩か
ないこと。第四に、僕の愛情を確信すること。ぼくはお前のか
わいい肖像を目の前に置かないでお前に手紙を書いたことは一
度もない。
――真木洋三著、『モーツァルトは誰に殺されたか』より
読売新聞社刊
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モーツァルトはこれ以外に妻の親戚や自分の友人に、ときどき
家に行って、コンスタンツェの様子を見てくれるよう頼み、コン
スタンツェ自身には手紙で、どういう人が訪ねてきたかについて
出来るだけ頻繁に手紙で知らせるよう書いています。頼んだ人が
本当に行ってくれているのか知りたかったのでしょう。
最愛の妻を心配する夫の行為といえなくはありませんが、少し
常軌を逸しているといっても過言ではないと思います。そこには
コンスタンツェの軽率な言動をモーツァルト反対派につけ込まれ
ることを恐れていたものと考えられます。
モーツァルトは、弟子に応募してきたジュスマイヤーにいくつ
かの質問をしています。「今まで誰かに教わったことはあるか」
という問いに対して、ジュスマイヤーは「自己流」と答えている
のですが、モーツァルトはそれをうそと見抜いたのです。ピアノ
の弾き方を見れば自己流では絶対にできない相当の腕前であった
からです。そういうことから、モーツァルトはジュスマイヤーは
反対派から送り込まれたスパイと考えていたふしがあります。
ジュスマイヤーはモーツァルトの弟子になると、作曲の手伝い
をしたり、写譜をしたりして、モーツァルトをサポートしていま
す。モーツァルトには他にも何人か弟子はいたのですが、現在で
もジュスマイヤーの名前が残っているのは、彼がモーツァルトの
未完の「レクイエム」を補筆完成させたことにあるといえます。
さらにもうひとつ、ジュスマイヤーはモーツァルトの指示を受
けて、コンスタンツェのバーデンでの脚の治療のサポートをして
います。しかし、このコンスタンツェの病気というのが今ひとつ
はっきりしないのです。
モーツァルトの作品がますます輝きを増して、『魔笛』が大成
功しているにもかかわらず、モーツァルトが依然として多額の借
金をしなければならなかったのは、コンスタンツェの病気の治療
費の支払いが巨額であったことが原因であるといわれています。
それもウィーンから25キロ離れた郊外にあるバーデンでの温
泉治療であり、馬車代や宿泊代など、多額の費用がかかったので
す。モーツァルトはこともあろうに妻の治療のサポートにジュス
マイヤーを同行させているのです。・・ [モーツァルト41]
≪画像および関連情報≫
・「レクイエム」にからむ2人の人物
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CD業界には不思議な偶然が重なることがある。今回もまさ
にそう。モーツァルトのレクイエムに絡む二人の作曲家の珍
しい作品が同時期に登場することになったのである。ジュス
マイヤーとアイブラー。有名なのはもちろんジュスマイヤー
で、現在彼は“モーツァルト・レクイエムの補筆完成者”と
して世界中で知られる。だが、彼の作品がCDとして登場す
ることはきわめて珍しい。もちろんレクイエムのCDは現在
存在しない。そしてもうひとりはアイブラー。モーツァルト
のレクイエムの補筆完成を最初に依頼されながら、断念した
人である。
http://www.aria-cd.com/oldhp/yomimono/vol30.htm
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