2006年11月15日

『レクイエム』とモーツァルトの死(EJ1962号)

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 ちょうど今、僕の忠実な召使の一世殿が持ってきてくれた値の
 はる蝶鮫を一切れ食べたところだ。今日はなんだか食欲がある
 ので、できればもう少し何か買って来てくれるよう、彼を使い
 に出した。 ――アントン・ノイマイヤー著/
礒山稚・大山典訳 『ハイドンとモーツァルト/現代医学のみ
          た大作曲家の生と死』 より。東京書籍刊
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 これは、1791年10月8日にモーツァルトが、バーデンに
温泉治療に行っているコンスタンツェに出した手紙です。文中に
「一世殿」とあるのは従僕のダイナーのことです。手紙の内容が
本当かどうかはわかりませんが、これを見る限りではこの時点で
モーツァルトは食欲もあって大変元気だったようです。ところが
モーツァルトは、それから58日後の12月5日に亡くなってい
るのです。35歳の短い生涯だったといえます。それにしても何
が原因の急死なのでしょうか。
 20回にわたって、『魔笛』の謎について分析しましたが、今
日からこのテーマの最後として、「モーツァルトはなぜ早死にし
たか」について述べていきます。
 モーツァルトの死と不思議な依頼人によって彼が死の直前まで
書いていた「レクイエム」とは不思議な関連があるのです。映画
『アマデウス』では、仮面をつけたサリエリがモーツァルトを訪
ねてきて「レクイエム」の作曲を依頼する話になっていますが、
これは事実ではないのです。
 モーツァルトに「レクイエム」の依頼をしてきたのは、フラン
ツ・ヴァルゼック伯爵であるといわれています。しかし、依頼者
の名前は依頼者の希望によって伏せられており、モーツァルトの
友人でホルン奏者のライトゲープを通し、ブフベルクの仲介によ
り依頼がもたらされたのです。相当高額の手付金を支払う条件で
あり、完成時期についても厳しい注文はなく、モーツァルトにと
って悪い仕事ではなかったのです。
 ヴァルゼック伯爵は若くして亡くなった妻を悼むために鎮魂の
ミサの作曲をモーツァルトに依頼したのです。しかし、モーツァ
ルトは、依頼を受けた当時『魔笛』の作曲を行っており、その他
プラハでの戴冠式のためのオペラ『皇帝ティトスの慈悲』を書く
仕事もあって忙しかったのですが、コンスタンツェの積極的な勧
めもあって引き受けたのです。
 ヴァルゼック伯爵がなぜ自分の名前を隠して依頼したかについ
ては理由があります。ヴァルゼック伯爵は、シュトゥパハ城に住
んでいて、ここに客を招いて室内楽の夕べをよく催したのです。
そういう折に、そのとき演奏された曲の作曲者をお客に問い、当
てさせることを好んだといわれます。
 したがって、妻の鎮魂ミサを演奏するとき、作曲者を隠してお
くことによって、それを当てさせる楽しみのために依頼者の名前
を伏せたのではないかと考えられています。実は、モーツァルト
の財政の危機をたびたび救っているブフベルクの家の持主はヴァ
ルゼック伯爵であり、そのつながりでモーツァルトへの作曲の依
頼があったのです。
 しかし、この「レクイエム」はいろいろな意味でモーツァルト
を精神的に不安定にしたのです。な゛゜なら、モーツァルトは、
「レクイエム」の作曲に驚くほど熱心に真剣に取り組んだのです
が、そうすると必ず体調が悪くなり、不快な気分になることが多
くなったからです。そういうモーツァルトの様子を心配してコン
スタンツェは夫から譜面を取り上げたこともあるのです。
 ヴァルゼック伯爵の使者はときどきモーツァルトの前に現われ
て「レクイエム」の進行状態を聞きにきています。忙しさに追わ
れてなかなか「レクイエム」を完成のできないモーツァルトは、
催促の使者の影に次第に怯えるようになっていきます。
 1791年6月のある日、モーツァルトとコンスタンツェは、
ウィーンのプラーター公園を散策中にモーツァルトはコンスタン
ツェに次のようにいったのです。
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 僕は自分のために「レクイエム」を書いている。僕はもう長く
 ない。きっと毒を盛られたんだ。その考えを振り払えない。
                     ――モーツァルト
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 この話の真偽はわかりませんが、モーツァルトはその毒の名前
までいったというのです。その毒の名前は「アクア・トファナ」
――18世紀によく知られた毒薬です。『モーツァルトとコンス
タンツェ』の著者であるフランシス・カーは、「アクア・トファ
ナ」について次のように述べています。
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 この毒薬は、17世紀にシチリアの女性テオファニア・ディ・
 アダモとその娘のナポリのジュニアが発明したのである。16
 59年、ローマで大勢の男が死ぬという事件があった。ローマ
 警察が死因を究明したところ、彼らはその妻たちによって毒殺
 されたことが判明したが、この大量殺人に使われた毒薬がじつ
 はアクア・トファナだった。毒薬の発明者である2人の女性は
 その年ローマで逮捕された。   ――フランシス・カー著/
     横山一雄訳『モーツァルトとコンスタンツェ』より。
                       音楽之友社刊
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 アクア・トファナは白砒素、アンチモン、酸化鉛の混合物なの
です。すぐに死にいたることはなく、徐々に効果をあらわし、自
然の苦痛のように診断される特徴を持っているのです。
 しかし、モーツァルトは死の数ヶ月前から、しきりと毒を盛ら
れたというようになっていたのです。ちょうどそれと時期を同じ
くして「レクイエム」の作曲に取り組んでいたので、とくにそう
いう妄想を抱くようになっていたのです。モーツァルトは誰が毒
を盛ったと考えていたのでしょうか。・  [モーツァルト40]


≪画像および関連情報≫
 ・死とレクイエムについて
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  キリスト教では死者のためのミサ曲であるレクイエムが用い
  られる。死者の霊が最後の審判に当たって、天国に入れられ
  ることを願う目的で行なうミサのことである。レクイエムと
  いう言葉は、カトリック教の式文が「彼らに永遠の安息を与
  えたまえ」で始まることから取られた。死者が天国に入れる
  ように神に祈る典礼であって、死者の霊に直接働きかけるも
  のではない。したがって、鎮魂曲、鎮魂ミサという呼称は適
  当ではない。
  http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199006.html
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1962号.jpg
posted by 平野 浩 at 06:11| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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