2012年05月29日

●「チャーチルの欧州合衆国構想」(EJ第3310号)

 今後ヨーロッパはどうなるのでしょうか。そのかぎはドイツが
握っていると思います。現在ユーロ圏の中心国はドイツとフラン
スです。いやドイツとフランスは、もう一つ大きな「世界最大の
国家」ともいわれるEUの中心国家でもあります。
 とくに現在のドイツの経済は堅実そのものであり、ユーロ圏は
もちろんのこと、ユーロに入っていないEU諸国に対してもヨー
ロッパ全体を支える中心的存在になっています。
 しかし、EUやユーロにおけるドイツの存在は、他のヨーロッ
パの諸国とは微妙に違うポジションにあります。それは、ドイツ
が2つの世界大戦──第1次世界大戦(1914〜1918)と
第2次世界大戦(1939〜1945)の敗戦国であることと無
関係ではないと思います。
 ドイツは、実質上はユーロの中心国でありながら、一歩引いた
感じのある国です。そういう意味でこれまでEUやユーロを牽引
してきた国はフランスということになるでしょう。それはドイツ
があくまでフランスを立て、他のEU諸国に対しても謙虚な態度
で接してきているからです。それは、ヨーロッパ統合の歴史を調
べてみると一層はっきりします。
 さて、EUとユーロは不可分な関係にあります。フランスの前
大統領のニコラ・サルコジ氏は、EUとユーロの関係について次
のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ユーロという制度は絶対に崩壊させてはならない。もし、崩壊
 すればEUも崩壊することになる。 ──ニコラ・サルコジ氏
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、そのサルコジ氏は選挙に敗れ、社会党のオランド氏が
フランスの大統領になっています。オランド大統領とドイツのメ
ルケル首相とは、経済財政の考え方がかなり異なり、ユーロ圏内
の政策について意見の一致が見られるかどうかが不安視されてい
ます。先のEU首脳会議では、オランド大統領の提案するユーロ
圏共同債について意見が合わず、激しいやり取りがあったことは
昨日のEJで述べた通りです。
 このように、あまりにも意見が合わないことが続くと、最悪の
場合、ドイツのEUからの離脱もありうるのです。離脱の恐れの
あるのはギリシャだけではないのです。
 そもそもヨーロッパ統合の構想の原点は何なのでしょうか。
 それは、1946年にウィンストン・チャーチルが「ヨーロッ
パ合衆国構想」を唱えたことにはじまるのです。チャーチルとし
ては、鉄のカーテンの向こうにはソビエトを中心とする巨大な社
会主義陣営があり、大西洋の向こうには超大国に成長したアメリ
カが君臨する。こういう状況において西ヨーロッパ諸国は統合し
一体化する必要がある──このように考えたのです。
 このチャーチルの構想にしたがい、1949年には「欧州評議
会」が設立されています。欧州評議会は、初めての汎ヨーロッパ
機関ということになります。
 そして、1950年5月9日、当時のフランスの外相のロベー
ル・シューマンは、戦争の兵器の素材として不可欠な石炭と鉄鋼
に関する産業を統合することを目的とした共同体の設立を趣旨と
する「シューマン宣言」を発したのです。
 1951年に、このシューマン宣言に基づいて、フランス、イ
タリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、西ドイツの6ヶ
国は、「欧州石炭鉄鋼共同体」を設立するパリ条約に署名してい
ます。実はこのとき、ドイツは工業生産を厳しく制限されていた
のですが、この共同体の発足によって、その制限は緩和されるこ
とになったのです。
 この欧州石炭鉄鋼共同体の発足により設置された「最高機関」
と「共同総会」は、それぞれ後の「欧州委員会」、「欧州議会」
となっていくのです。その後この欧州石炭鉄鋼共同体に加えて、
さらに2つの共同体ができたのですが、これら3つを「欧州諸共
同体」(EC)と呼ぶのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      1.欧州石炭鉄鋼共同体/1952
      2.  欧州経済共同体/1958/EEC
      3. 欧州原子力共同体/1958
―――――――――――――――――――――――――――――
 1973年1月にデンマーク、アイルランド、イギリスが欧州
諸共同体に参加したのです。さらに1981年にはギリシャが、
1986年にはスペインとポルトガルが参加します。このように
ECには全部で12ヶ国が参加したのです。
 現在、ECという言葉に代って「EU(欧州連合)」という言
葉が使われており、EUの前身はECといわれています。これは
別に間違いではないのですが、そうかといって正確な表現である
ともいえないのです。
 結論からいうと、ECの3つの共同体のうち、欧州石炭鉄鋼共
同体は2002年7月に消滅したのです。なぜかというと、その
共同体の設立条約第97条において、存続期間は50年と定めら
れていたからです。この共同体の設立は1952年であり、50
年後の2002年に廃止されたのです。しかし、他の2つの共同
体──欧州経済共同体と欧州原子力共同体については存続期間が
定められておらず、もちろん現在も残っています。
 EUは1993年に発足したのですが、EUには次の3本柱と
いうものがあり、ECは、「超国家的共同体」の第1の柱として
現在も残っているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       1.      超国家的共同体
       2.  共通外交・安全保障政策
       3.司法・内政分野における協力
―――――――――――――――――――――――――――――
               ── [欧州危機と日本/39]


≪画像および関連情報≫
 ●「シューマン宣言」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  シューマン宣言は第二次世界大戦後の仏独協調体制の始点と
  位置づけられ、また西ドイツが西側陣営に付く契機ともなっ
  た。西ドイツ首相コンラート・アデナウアーはシューマン宣
  言を「西ドイツの転換点」と述べている。欧州石炭鉄鋼共同
  体が発足したことで共同石炭・鉄鋼市場が導入され、これに
  より市場価格の自由な決定が可能となったり、輸出入にかか
  る関税や補助金が撤廃された。しかしながら、異なる経済が
  このような状況にいたる移行期間にはおよそ1年以上かかっ
  た。特筆するべき点として、シューマン宣言では各国政府か
  ら独立した再考機関の創設がうたわれている。また欧州統合
  の観点からシューマンは次のようにも述べている。「ヨーロ
  ッパは一日にして成らず、また、単一の構想によって成り立
  つものではない。事実上の結束をまず生み出すという具体的
  な実績を積み上げることによって築かれるのだ」。
                    ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ウィンストン・チャーチル.jpg
ウィンストン・チャーチル
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州危機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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