誕250周年の前年ということで、モーツァルトについては、3
つのオペラ――『魔笛』、『ポントの王ミトリダーテ』、『コシ
・ファン・トゥッテ』が新演出で演奏されたのです。
そのうち、『魔笛』に関しては、次の指揮者、演出者によって
演奏されています。
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モーツァルト作曲/歌劇『魔笛』
リッカルド・ムーティ指揮/グラハム・ヴィック演出
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
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2005年の『魔笛』の新演出の模様のご紹介は、広島大学大
学院文学研究科論集/第65巻による河原俊雄氏の論文に基づい
ています。
『魔笛』では、序曲が終わって第1幕の幕が上がると、うっそ
うとした奥深い森の中のシーン。そこに、いきなり、タミーノが
「助けてくれ!」と叫びながら、舞台の奥から飛び出してくるの
です。その後から、巨大な蛇がタミーノを追いかけてきます。
演出によりますが、多くの場合、大蛇は中に人が入ったぬいぐ
るみで、ぜんぜん怖さを感じないのです。まさに子供騙しそのも
のです。いかにもシカネーダーらしい演出といえます。
ところが、ヴィックの演出はぜんぜん違うのです。幕が上がる
と、そこは森の中などではなく、小さな部屋――すなわち、タミ
ーノの部屋なのです。そこには、熱帯魚の水槽があり、サーフボ
ードが置いてあり、PCまであるのです。
そこに蛇が登場してきます。それも小さな青大将ぐらいの蛇な
のです。しかし、タミーノは大げさに救いを求めます。「助けて
くれ!」「助けてくれ!」と。そして、ベットの上で気絶してし
まうのです。
もっとも、蛇の好きなことは別として、舞台の上で明らかにぬ
いぐるみとわかる大蛇が出てくるよりも、自分の部屋に青大将程
度の大きさの蛇があらわれたときの方が怖いとは思います。しか
し、気絶までするのは大げさではありますが・・・。
それでは、蛇を退治するために登場する3人の侍女はどこから
出てくるのかというと、壁からスルリと出てくるのです。衣装は
部屋の壁紙の柄や色と同じなのです。3人の侍女は蛇を退治する
と、気絶しているタミーノを眺め、あれやこれや美少年を賛美し
て、触りまくるのです。
それならば、パパゲーノはどこから出てくるのでしょうか。そ
れは東京ガスのCMのように洋服ダンスから出てくるのです。例
のガス・パッ・チョです。毛皮のようなタッチの緑色の長いコー
トを着て、どことなく、ヒッピー風のスタイルで登場します。
こういう展開でわかるように、ヴィックは『魔笛』の台本で指
定されている状況をできる限り、日常的な世界に置き換えようと
しているわけです。
それでは、パミーナの肖像画を見せられてアリアを歌う場面は
どうなっているのでしょうか。ヴィックは肖像画をパミーナのポ
スターにしているのです。そのポスターを部屋の床の上に広げて
見入るタミーノ。そして、思わずアリアを歌う。10代後半の年
齢のタミーノであれば、あってもおかしくはないといえます。一
目惚れです。
どちらかというと『魔笛』では、最初からタミーノを神々しい
特別な青年としてとらえ、オペラの主役にして、王子が数々の苦
難を乗り越えて理性と道徳と叡知を身に着けてザラストロの後継
者となるプロセスを画く演出をするのが多いのです。
しかし、ヴィックの演出では、タミーノを若くて未熟な青年と
して突き放し、客観的に見ているところがあります。この演出は
正しいのです。10代後半の若者は未熟であって当然であり、そ
ういう若者が、最終的にザラストロの後継者になるということが
観客に素直に納得できるかどうか。それは、以後のさまざまな試
練を彼が乗り越える演出にすべてがかかっているといえます。
タミーノの未熟さ、軽薄さは、音楽の付かないパパゲーノとの
次の対話でよく表現されています。『魔笛』の台本は、もともと
そのように表現されているのです。
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タミーノ :君は陽気な人なんだね。誰なのか教えてくれる?
パパゲーノ:誰なのかだって。ばかな質問だね。あんたと同じ
人間さ。それじゃ、今度はこっちが誰なのかって
聞いたら?
タミーノ :そうしたらこう答える。王家の血筋の者だって。
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タミーノにとっては、「王子」とは自分を他人と識別できる唯
一の社会的属性だと思っています。しかし、同然のことながら、
それはパパゲーノにとっては何の意味もないことなのです。王子
である前に人間である――これが重要なのです。
これと関連あるやり取りが、弁者とザラストロの間で行われて
いるのです。
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弁者 :・・・私はこの若者のことが心配なのです。もし
もです。もしも苦痛に打ちひしがれ、精神に見捨
てられ、厳しい戦いに屈するようなことにでもな
ったら、彼は王子ですよ。
ザラストロ:それ以上だ。彼は人間だ。
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「王子である以前に人間である」――タミーノとパパゲーノと
のやり取り、弁者とザラストロとのやり取り、ともに同じことを
いっています。この意味において、パパゲーノはザラストロの考
えは同じであり、タミーノにそれを気づかせる存在となっている
のです。ヴィックの演出はそのあたりのことを意識してやってい
ると考えることができます。 ・・・・ [モーツァルト37]
≪画像および関連情報≫
・ザルツブルグ音楽祭について
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ザルツブルク・フェスティヴァル/ザルツブルク音楽祭は、
オーストリアのザルツブルグで開かれる音楽祭である。毎年
夏に行われる。モーツァルトを記念したフェスティヴァルと
して、世界的に知られている。ウィーン・フィルを始め、世
界のトップオーケストラ、歌劇団、指揮者が集うこのフェス
ティヴァルは、世界でもっとも高級かつ注目を浴びる音楽祭
であるが、あくまで演劇部門が大きなウェイトを占めており
本来ならば「音楽祭」と呼ぶのは不適当(原語であるドイツ
語名称は「ザルツブルクの祝祭」という意味でしかない)で
あるが、日本では慣習上「音楽祭」と呼称している。ここで
も、以降は便宜上「音楽祭」と呼称する。
――ウィキペディア
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