す。これにより、それまで西欧においてソ連と対峙していたNA
TOの米軍は引き上げることになったのです。
そのため経済統合だけを考えていればよかったECは、欧州の
秩序安定のために政治統合や軍事統合の必要性が高くなり、EC
を新しく編成することになったのです。
そこでEC12ヶ国は、1991年12月に新条約について合
意に達し、翌年の1992年2月に、オランダの古都マーストリ
ヒトで調印が行われたのです。このようにしてECは、EUに発
展することになるのですが、このマーストリヒト条約についての
説明は改めて述べることとして、ここではERM危機について述
べることにします。昨日のEJの続きです。
まず、狙われたのは、英国のポンドなのです。英国はERMに
1990年10月に加入しています。1990年10月といえば
サッチャー政権の末期であり、サッチャー首相はERMに加入し
た直後の11月28日に退任しています。
ときあたかも西ドイツ・マルクが統一ドイツ・マルクに切り替
えられ、ERMの混乱期がはじまろうとする1990年に加入す
るというきわめてタイミングの悪い時期の加入です。
東ドイツと統合し、統一マルクになったドイツの経済運営は、
非常に厳しいものになったのです。なぜなら、統一ブームが統一
バブルになるのを避けるため、ドイツは徹底的な金融引き締めを
やったからです。
しかし、当時不況色を強めていた英国の経済は、それでもER
M平価を守ろうとしたのですが、この金融引き締めには耐えられ
るはずがなかったのです。それを見抜いた投機筋は、徹底したポ
ンド売りを仕掛けたので、英国はたまらず、ERMから脱退した
のです。1992年9月16日のことです。
英国のERM撤退をメディアは「ブラック・ウェンズデイ」と
呼び、批判したのですが、皮肉なことにそれからの英国経済はポ
ンド安によって輸出主導成長を謳歌するようになり、1993年
から実に16年間にわたる長期の景気拡大がスタートすることに
なったのです。
一方、英国以外の国はどうなったかです。これについて浜矩子
氏は次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
ポンドとリラが急降下を続ける一方、ERM内にとどまった相
対的に弱い諸通貨が次々と投機の波に飲み込まれていった。市
場の最終的な標的はフランス・フランだったが、さしあたりは
アイルランド・ポンド、スペイン・ペセタ、ポルトガル・エス
クードといった周辺通貨が餌食となって(平価の)切り下げを
余儀なくされることになったのである。 ──浜矩子著
「分裂する欧州経済〜EU崩壊の構図」/日本経済新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
投機筋が英国の次に襲ったのは、イタリア、アイルランド、ス
ペイン、ポルトガルなのです。これにギリシャが加わると、これ
らの国は、PIIGSとなります。ところで、ギリシャはどうし
たのでしょうか。
実は、ギリシャはERMを経験していないのです。当時のギリ
シャは統合欧州としての通貨体制に加わる条件をクリアすること
ができなかったのです。ギリシャがユーロ圏のファースト・イレ
ブンになれなかったのはこのERMを経験していないことにあっ
たのです。
そのためギリシャは、ユーロ圏入りに先立って、2年間のER
M体験をさせられているのです。どういう体験かというと、ユー
ロに対して平価を設定し、自国通貨ドラクマの変動を平価の上下
15%の範囲に収めるというものです。このようにしてギリシャ
は、他のユーロ圏各国のように、十分なトレーニングなしにユー
ロという一軍に参加することになったのです。ユーロ圏でのギリ
シャのほころびは起こるべくして起こったといえます。
それでは、ERMはどうして崩壊したのでしょうか。
マーストリヒト条約においては、経済・通貨同盟に向けて次の
3段階のアプローチを採ることになっていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
1段階:すべての国のERM参加と経済政策の協調
2段階:欧州中央銀行の機構づくりの準備スタート
3段階:1999年に統一通貨を導入/ECB稼働
―――――――――――――――――――――――――――――
しかし、通貨統合の経験を積むERMの最後のステップにおい
て、大きな問題が発生したのです。ERM諸国の間の不均衡が累
積し、イタリア、スペイン、イギリス、北欧諸国のような高イン
フレ、高金利国を含んだ固定為替相場圏に一体何が起こったので
しょうか。
投機筋のやったことは、ドルを売りマルクを買い、マルク資金
を入手します。次にそのマルクで、英国、イタリア、スペインな
どの高金利諸国の国債の購入を行うのです。
この場合、ドルとマルクについては、変動為替制なので為替リ
スクをヘッジするものの、マルクと高金利通貨の間の為替相場は
安定が維持されるとみなしてヘッジはしないのです。予想通りに
為替相場が維持されると、マルクと高金利通貨の金利差を投機筋
は収益とすることができるのです。
このような投機筋の投資行動は、ERMの調整機能を麻痺させ
てしまうのです。投機筋は、高金利通貨建ての投資物件を手放し
さらに高金利通貨を売り、マルクを買います。その結果、ERM
内部で高金利通貨は暴落し、逆にマルクは暴騰します。英・ポン
ド、イタリア・リラ、北欧通貨はマルクに対して限度まで下落し
ドイツがマルク売り介入を繰り返しても、投機は止まらなかった
のです。英国、イタリアはERMを離脱し、スペインは中心レー
トの5%を切り下げたのです。─── [欧州危機と日本/08]
≪画像および関連情報≫
●マーストリヒト条約とは何か
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マーストリヒト条約は欧州連合(EU)の創設を定めた条約
である。1991年12月9日、欧州共同体(EU)加盟国
間での協議がまとまり、199年2月7日調印、1993年
11月1日にドロール委員会の下で発効した。協議は通貨統
合と政治統合の分野について行われた。本条約の正式名称は
欧州連合条約であり、その後の条約で修正が加えられた。条
約によると、EUの目的は経済通貨同盟(EMU)の設立、
共通外交安全保障政策の実施、司法・内政領域での協力とさ
れ、ヨーロッパ中央銀行の設立や単一通貨の導入がきめられ
たほか、加盟各国の市民にヨーロッパ市民権が付与された。
これによって、EU各国の市民は域内の国々で生活し、働き、
学ぶ自由が拡大され、国境管理も緩和された。EUは199
3年から域内市場を完全に統合し、アメリカをうわまわる人
約3億7000万の市場が登場した。このため282項目の
統合措置が提案され、域内資本移動は自由化されたが、法人
税の高いドイツとイギリス、フランス、イタリアとの調整が
難航し、企業税制の統一は見送られた。また人の移動に関し
ては、95年3月に発効したシェンゲン協定によって特定8
カ国間ではあるが、国境がなくなった。
──ウィキペディア
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マーストリヒト


