2006年10月13日

モーツァルトはどのロッジに属したか(EJ1940号)

 モーツァルトが活躍していた頃のウイーンには、次の8つのフ
リーメーソンのロッジ(支部)があったのです。
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  ≪薔薇十字団系≫     ≪その他≫
   1.「授冠の希望」    5.「聖ヨーゼフ」
   2.「堅忍不抜」     6.「三羽の鷲」
  ≪啓明結社系≫       7.「棕櫚の樹」
   3.「真の調和」     8.「三つの焔」
   4.「恩恵」
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 同じフリーメーソンといっても、ロッジによってその団体の性
格はかなり異なっており、当時のフリーメーソンのロッジには、
大別すると2つの系統――「薔薇十字団系」と「啓明結社系」が
あったのです。
 薔薇十字団というのは、17世紀のはじめから世にあらわれる
ようになり、いったんは姿を消してしまい、再び19世紀に復活
するのです。これは神秘主義と錬金術に関心を寄せた一派だった
のですが、近代科学の黎明期の時代であり、錬金術にはかなりの
関心が集まっていたのです。
 これに対して啓明結社というのは、1776年にドイツのバイ
エルン(英語名:パヴァリア)地方で、アダム・ヴァイスハウプ
トによってはじめられた秘密結社であり、モーツァルトの活躍し
ていた地域と時期が一致しています。この啓明結社は、やがて選
帝侯によって禁止されてしまいます。
 ウィーンでは、薔薇十字団系としては「授冠の希望」と「堅忍
不抜」ロッジ、啓明結社系としては「真の調和」と「恩恵」ロッ
ジが属し、その他に属する結社は、単なる気の合う仲間同士の懇
親クラブ的色彩の強いものが多かったのです。中には「聖ヨーゼ
フ」ロッジのように、とくにこれといった思想もなく、貴族たち
の単なる夜の宴会的なロッジもあったのです。
 モーツァルトが入会したのは、啓明結社系の「恩恵」という小
さなロッジです。このロッジは、オットー・フォン・ゲミンゲン
という人物が創立したロッジです。このロッジは「真の調和」ロ
ッジと同系統であり、モーツァルトはむしろ「恩恵」よりも「真
の調和」の会合の方に多く出席していたのです。
 「真の調和」ロッジは、イグナーツ・ボルンという人が創設者
であり、大親方を務めていたのです。このロッジは、ウィーンで
最も大きな中心的なフリーメーソンのロッジだったのです。会員
には、有能な作家、科学者、芸術家が多く、さまざまな会合や演
奏会が開催されていたのです。
 モーツァルトは、1784年12月14日に「恩恵」ロッジに
第1段階の「徒弟」として入会し、次の年の1月7日に「恩恵」
ロッジの依頼によって「真の調和」ロッジで第2段階の「職人」
の進級儀式を受けています。その後、第3段階の「親方」に昇進
しているのですが、日付けの記録は残っていません。
 また、モーツァルトはかなり熱心な会員であり、父のレオポル
トやヨーゼフ・ハイドンまでも説き伏せて、フリーメーソンに入
会させています。ヨーゼフ・ハイドンは、結社への入会志願の書
類に次のように書いています。
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 フリーメーソン主義は私に大変好ましい印象を与えてまいりま
 した。そうした印象があるために、私はこの人道主義的原理を
 備えた結社の一員になりたくて仕方がなかったのです。そうい
 う望みを抱いて久しくなります。  ――ヨーゼフ・ハイドン
      ――キャサリン・トムソン著/湯川新/田口孝吉訳
   『モーツァルトとフリーメーソン』より。法政大学出版局
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 モーツァルトは、フリーメーソンのための音楽を多く作曲して
います。その代表的なものを3つご紹介しておきます。いずれも
1785年の作品です。
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 3月26日/『結社員の旅K468』
 4月 4日/カンタータ『フリーメーソンの喜びK471』
 7月   /『フリーメーソンの葬送音楽K477』
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 とにかく1785年はモーツァルトにとってフリーメーソンに
入れ込んだ年といっても過言ではないのです。しかし、その後は
まるで熱意を失ったように見えるのです。会合出席の記録は激減
し、この団体のための作曲は1791年7月までの5年半という
ものはまるでなくなってしまっています。一体、モーツァルトに
何があったのでしょうか。
 その原因は、1785年12月11日にヨーゼフ2世から出さ
れた宮廷勅令にあったのです。ヨーゼフ2世はいわゆる改革派で
あり、フリーメーソンの力を利用して宗教改革に手を染めようと
していたフシがあるのです。その結果、カトリック教会が強く抵
抗した修道院の廃止や、教会を国家機関のひとつに過ぎないもの
と、その位置づけを変更するなどの改革を実現しています。
 しかし、あまりに会員が増え過ぎたことと、一部のロッジに怪
しげな錬金術や秘密主義が流行し、また、フリーメーソンに名を
借りた山師的な動きが出てきたため、そういったものを排除し、
合理的な団体として存続させるためにも、それを国家の管理下に
置く必要性があると考えて宮廷勅令を出したのです。
 その結果としてモーツァルトの属するロッジ「恩恵」は、「授
冠の希望」や「三つの焔」と一体化され、「新・授冠の希望」と
なったのです。「真の調和」は、「棕櫚の樹」と「三羽の鷲」と
一体化され、新たに「真理」という名のロッジになったのです。
そして「聖ヨーゼフ」と「堅忍不抜」は解散させられています。
しかし、これはモーツァルトにとっては大打撃であったのです。
「新・授冠の希望」はモーツァルトと合わない貴族が多く属して
いたからです。        ・・・・ [モーツァルト18]


≪画像および関連情報≫
 ・モーツァルトとフリーメーソンについて
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  モーツァルトがフリーメーソンの会員であったことは周知の
  事実である。しかし、これについては意外に資料が不足して
  いる。そういう意味で本テーマでよく引用しているキャサリ
  ン・トムソンの本は貴重である。しかし、このテーマについ
  てきわめて詳しく取り上げているのが、藤沢修治氏の次のサ
  イトである。大変な労作であり、参考になる。ぜひ一読され
  ることをお勧めする。
       http://homepage3.nifty.com/wacnmt/part2.html
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1940号.jpg
posted by 平野 浩 at 06:49| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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