トの弦楽五重奏曲について知っておいても損のない話をしたいと
思います。
クラシックファンでも、室内楽曲というと敬遠してしまう人が
少なくないようです。地味ですし、聴いていると眠くなってしま
うからでしょうか。
しかし、モーツァルト・イヤーの今年にぜひ聴いていただきた
い室内楽曲に次の2つがあるのです。
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1.弦楽五重奏曲ハ長調K515 ・・・・ 1787年
2.弦楽五重奏曲ト短調K516 ・・・・ 1787年
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モーツァルトの五重奏曲は弦楽器だけで演奏されるものは6曲
あるのですが、その編成は次のようになっています。
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ヴァイオリン 2 ヴィオラ 2 チェロ 1
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上記2曲の弦楽五重奏曲がなぜ注目されるのかというと、モー
ツァルトの死の3年前に完成している3大交響曲のうちの次の2
曲と対比されるからです。
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交響曲第40番ト短調K550 ・・ 弦楽五重奏曲ト短調
交響曲第41番ハ長調K551 ・・ 弦楽五重奏曲ハ長調
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見ていただくとわかるように、弦楽五重奏曲と交響曲の調性が
一致しています。父レオポルトが死んだ1787年にこれらの弦
楽五重奏曲が作曲され、次の年の1788年に交響曲の2曲が完
成しているのです。
もっとも3大交響曲には第39番変ホ長調K543も同じ17
88年に作られており、しかも、6月に第39番、7月に第40
番、8月に第41番と、まるで狂ったように立て続けに作曲され
ているのです。そして、交響曲第41番の「ジュピター」に至っ
ては、もうこれで終わりだといわんばかりに、精一杯エネルギー
を注ぎ込んで作られています。まるで、自分が死ぬのを悟ってい
たかのようなのです。
弦楽五重奏曲ト短調は、明らかに父の死を意識しているように
思えます。第1楽章はヴァイオリンとヴィオラで、何か焦ってい
るような、駆り立てられているような旋律で始まりますが、モー
ツァルトは父に語りかけているのです。それは、すぐにヴィオラ
とチェロに受け継がれるのですが、このあたりは交響曲第40番
の有名な出だしにちょっと似ています。
弦楽五重奏曲ハ長調は、モーツァルトの全器楽作品中最大規模
を有する名曲であり、交響曲第41番「ジュピター」に似て、旋
律法、形式観ともに揺るぎなく、君臨する王者の風格を備えてい
るといわれます。アインシュタインは、この作品について次のよ
うに述べています。
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誇らかで、王者のようで、宿命をはらんでいる
――アインシュタイン
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モーツァルトのト短調とハ長調の交響曲は多くのコンサートで
取り上げられ、数知れない人が聴いています。それならば、その
前の年――レオポルトが死亡した年に作曲された2つの弦楽五重
奏曲を交響曲と合わせて聴いてみるのも一興ではないかと思いま
す。これらの2曲の弦楽五重奏曲は、モーツァルトの室内楽作品
のうちの最高傑作であるといってよいと思います。
モーツァルトにとって、父の死亡した1787年という年は、
悪いことばかりが重なった年ではなかったのです。プラハで作曲
を依頼された歌劇『ドン・ジョバンニ』が好評だったことは、良
かったことの第1です。
このオペラは、1787年10月29日にプラハで初演され、
最大級の賛辞で迎えられたからです。モーツァルトはこの上演料
として、900フローリンを受け取っています。1フローリンは
現在の日本円で1万円と考えればよいのです。あれだけのオペラ
で900万円は安いと思いますが、この時代の音楽家の収入につ
いては、改めて取り上げたいと思います。
モーツァルト夫妻がプラハからウィーンに帰ってきたとき、も
うひとつ良いことがあったのです。それは、宮廷作曲家に任命さ
れたことです。1787年11月に、宮廷作曲家の地位にいたグ
ルックが死去し、皇帝ヨーゼフ2世がモーツァルトを後任に任命
したのです。しかし、年俸は800フローリンでした。
前任者のグルックは年俸2000フローリンだったのですが、年
齢が若いということで半分以下にされてしまったのです。
もうひとつの良いこととは、父レオポルトがモーツァルトのた
めに1000フローリンを残してくれたことです。実はこのお金
については、レオポルトは死の病床で娘のナンネルに「コンスタ
ンツェに知られないようにモーツァルトに渡せ」といって託され
たものなのです。レオポルトは最後までコンスタンツェを信用し
ていなかったのです。
このように1787年は、モーツァルトにとって順調にお金が
入った年なのです。これによって、モーツァルト家はそれまでの
郊外の借家住まいから、都心部に住居を移しています。当時モー
ツァルト家は、女中を含む大人4人、子供2人の生活であり、も
てなしも多かったようです。
しかし、モーツァルトはかなりの高額所得者であり、普通に暮
らせば十分生活ができたはずです。にもかかわらず、モーツァル
トは、次の年の1788年から、かなり多額の借金を重ねること
になるのです。1788年からモーツァルトが亡くなる1791
年までは謎の4年間といわれているのです。しかし、作品の充実
度は群を抜いているのです。 ・・・・ [モーツァルト16]
≪画像および関連情報≫
・弦楽五重奏曲ハ長調K515/弦楽五重奏曲ト短調K516
K515は第3番、K516は第4番という番号が付いてい
るが、一枚のCDで両方を聴くことができる。
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モーツァルト/弦楽五重奏曲第3番・第4番
スメタナ四重奏団/ヨゼフ・スーク
1976年デジタル録音
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・レビュー/第3番の演奏は出だしからゆったりとした流れで
聴いていてとても落ち着きます。メロス四重奏団やアルバン
ベルク四重奏団の演奏と比べると、その違いがよくわかりま
す。この2曲の関係は調性が同一のためか、しばしば交響曲
第40番と第41番との関係になぞられます。「ほぼ同時期
にこのようなまったく性格の相反する作品を同時に書くこと
ができるモーツァルトは天才だ」というのはよく語られてい
る話ですが、この弦楽五重奏曲K515、K516の作品に
おいて如実に感じとることができます。


