ウィーンの風はモーツァルトにはひとしお冷たかったようです。
その頃のモーツァルトは、フリーメーソンに入会したことによっ
て、英国の音楽家と親しい付き合いが生まれていたのですが、彼
らはしきりとモーツァルトに英国での音楽活動を勧めたのです。
しかし、英国行きは父に反対されます。当時の英国は物価も高
く、音楽会はシーズンがあって、ドイツやオーストリアほどの回
数が開かれないので大変だという理由からです。
モーツァルトがそのことを英国の支援者たちに話すと、『フィ
ガロの結婚』に出演した英国の音楽家たちは、わざわざザルツブ
ルグまでレオポルトに会いに行き、少なくともマエストロ・モー
ツァルトは、ウィーンにいるよりも英国の方が充実した音楽生活
が送れることを熱心に説いてくれたのです。
レオポルトはそのときはじめて息子がウィーンでどんな立場に
陥っているかを正確に知ったのです。それは彼が想像していたよ
りも、はるかに深刻な事態だったのです。そこでレオポルトは、
モーツァルトの英国行きを許すのです。
モーツァルトは先生について英語を勉強するかたわら、英国で
の生活資金を稼ぐため、作曲をしたり、弟子を指導したりする忙
しい毎日を送っていたのです。そして、彼はプラハで頼まれたオ
ペラの台本をダ・ポンテに依頼します。
しかし、ダ・ポンテにはサリエリからも台本の依頼がきていて
簡単に台本が完成する状況になかったのです。そういう1787
年4月に父レオポルトが重い病いに倒れるのです。
このときモーツァルトが父に宛てて書いた手紙には、次のよう
な記述があります。そこには、死についてのモーツァルトの考え
方が書かれていたのです。
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死はわれわれの一生の真の最終目的なのですから、私は数年来
人間のこの真実で最善の友と非常に親しくなって、その姿が私
にはもうなんら恐ろしいものではなくなりました。そして、死
こそがわれわれの真の幸福にいたる扉をひらく鍵だということ
を学びとる良い機会を慈悲深く私に授けてくださいましたこと
を神に感謝します。 ――父への手紙より/モーツァルト
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病人に対して死について述べることは常識的に避けるものです
が、彼は死について一種の諦観を持っていたのです。「死は人生
の最終目的である」――とても31歳の青年の死生観とは思えま
せんが、この手紙を読むと、モーツァルトが、なぜ、フリーメー
ソンに入会したかが理解できます。彼は単なる社交のためとか、
流行とかのためにフリーメーソンに入ったのではなく、まさに死
と向き合い、魂を磨くために入ったと考えられます。したがって
その態度は真面目であり、フリーメーソンのためにも多くの曲を
作っているのです。
当時のカトリック信者にとっては、死の観念は地獄と因果応報
の恐怖をもたらすものだったのですが、フリーメーソンは、死は
避けられないものであるとして積極的に受け入れることによって
勇気と平安の心を持つことができると説いていたのです。
このモーツァルトが父に宛てた手紙が『ドン・ジョバンニ』と
『レクイエム』に鮮明に反映されています。このモーツァルトの
死生観に影響を与えたと見られる本があります。この本は、モー
ツァルトの死後に蔵書の中から発見されたものです。
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モーゼス・メンデルスゾーン著
『フェードーンあるいは魂の不死性について』/1767
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この本の中にソクラテスがシミアスに対していうことばにモー
ツァルトがいっているのと同じ表現があるのです。明らかにモー
ツァルトはこの本を熟読していたものと思われます。
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したがって、シミアスよ、真の哲人にとって、死は決して恐ろ
しいものではない。いつでも喜んで迎えるべきものだ。肉体と
ともにあることは、彼らにとって、どんな場合でも、煩わしい
ものだ。というのは、彼らが自分たちの存在の真の最終目的を
満たそうとするなら、彼らは魂を肉体から分かつことを求め、
そして自己自身の内に魂を集めなければならない。
――海老沢敏著、『モーツァルトの生涯』より。白水社刊
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父の病気の知らせでモーツァルトが心を痛めていた1787年
4月のこと、ボンからある少年がモーツァルトを訪ねてきたので
す。その少年はモーツァルトの前で自分の覚えてきた曲を弾きは
じめたのですが、モーツァルトが機嫌が悪いのがわかると、何か
テーマを出してくれとモーツァルトに頼みます。
モーツァルトがテーマを弾くと、少年はそれを発展させながら
素晴らしい演奏をはじめたのです。その少年についてモーツァル
トは、たまたま来ていた友人にこういったそうです。
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あの少年を見ていたまえ。いつか世間を騒がせる大変な大物に
なるだろう。 ――モーツァルト
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その少年こそ、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンその人
だったのです。彼はウィーンに着くとすぐ母が病気なったという
知らせが入って、すぐボンに帰ってしまったのですが、モーツァ
ルトとはこういう出会いがあったのです。
そして、1787年5月28日、レオポルト・モーツァルトは
亡くなったのです。モーツァルトが父の死を予感して父の得意な
ヴァイオリンの曲「弦楽五重奏曲ハ長調K516」を書いたとい
われています。そのとき、モーツァルトの置かれた状況を知って
聴くと味わい深い曲であり、ぜひとも聴くことをお勧めしたいと
思います。 ・・・・ [モーツァルト15]
≪画像および関連情報≫
・「ソクラテスの死」について
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ジャック・ルイ・ダヴィッド(1748〜1825)はルー
ブル美術館にある「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィー
ヌの戴冠式」などで有名な、新古典主義の歴史画家ですが、
そのダヴィッドの作の絵の中に、「ソクラテスの死」があり
ます。この絵は、ご覧の通り、ソクラテスに同情的な役人か
らソクラテスがまさに毒盃を受け取ろうとしているシーンを
描いており、集まった弟子たちが悲嘆にくれているのに対し
て、ソクラテスだけは何か毅然とした態度で死に臨んでいる
ようにわたしには思えます。
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