のです。藻谷浩介氏──こういってわからなければ、『デフレの
正体』(角川書店/2010年6月)の著者といえばご存知の人
も多いと思います。この本は、人口減少がデフレの要因であると
主張するユニークな本です。
『デフレの正体』はベストセラーになり、いまだに売れている
のですが、この本が発刊されるやネット上では批判が続出し、裁
判沙汰になる騒ぎもあったのです。札幌在住の某氏が自分のブロ
グでこの本を取り上げ、経済的バックボーンがないと批判したと
ころ、著者の藻谷氏自身が相手を侮辱するような暴言のコメント
をブログにを書き込んだのです。札幌在住の某氏は名誉を傷つけ
られたとして札幌地裁に告訴し、同地裁は藻谷氏に対して10万
円の支払いを命ずる判決を出したという事件です。
現在日本で話題になっている真のデフレとは、既に述べたよう
に、財の平均であるマクロ物価の下落のことですが、藻谷氏の主
張は、このマクロの「物価」とミクロの「価格」──具体的にい
うと、耐久消費財の価格低下をデフレと混同しているのです。
世界のどのようなデータを見ても、一般物価の増減は、人口の
増減とは関係がなく、あくまで通貨量と関係があることを示して
います。しかし、日銀はこの世界の常識を認めたくないようなの
です。日銀の白川総裁は、デフレに関しては実に頑固であり、聞
く耳を持たない人物です。
したがって、日銀としては、藻谷氏のような通貨量に関係のな
いデフレ論の書籍が出て、売れる──多くの人に読まれることは
歓迎なのだと思います。うがった見方かもしれませんが、藻谷氏
は日本開発銀行(現日本政策投資銀行)の出身であり、官の側の
主張を代弁する人物であるとみる人もいます。実際にその藻谷氏
は日曜のフジテレビの政治番組「新報道2001」にもしばしば
登場しているのです。
デフレからどのようにしたら脱却できるのでしょうか。米国発
の世界恐慌の歴史を振り返ってみます。第1次世界大戦が終わっ
たのは1918年のことです。添付ファイルの上のグラフを見て
いただきたいと思います。
米国は1921年に一時的に不況に陥りますが、短期間で回復
し、その後「狂騒の20年代」と呼ばれる長期好況期に突入する
のです。T型フォードに代表される車社会、大量消費社会がはじ
まったのです。それがどれほどのものであったかを示す数字がこ
こにあります。
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≪NYダウ指数≫
1920年 ・・・・・ 63・9ドル
1929年 ・・・・・ 381・2ドル
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1920年時点のNYダウ指数は63・9ドルであり、それが
1929年に500%増の381・2ドルに達したのです。しか
し、1929年10月24日、突如ウォール街で株式の大暴落が
起こったのです。世界恐慌のはじまりです。
こういうときは、直ちに財政赤字を拡大させる対策を打つべき
だったのですが、ときのハーバート・フーバー米国大統領は何も
しなかったのです。正確にいうと、フーバー大統領は何とか事態
を改善しようとしたのですが、財務長官のアンドリュー・メロン
氏がそれをさせなかったのです。
メロン財務長官は、「市場原理主義経済学」に基づくレッセ・
フェール(自由放任主義)の信奉者であり、すべてを市場にまか
せる方策をとったのです。その結果、何が起こったでしょうか。
米国の経済環境はまるで坂道を転がり落ちるように悪化して、
1933年には失業率は最悪の24.7 %に達したのです。添付
ファイルの下のグラフを見ると、1931年から失業率が急増し
ている様子が見てとれると思います。
レッセ・フェールを主導するアンドリュー・メロン氏とは、ど
ういう考え方を持つ人物だったのでしょうか。フーバー大統領の
回顧録に残されているアンドリュー・メロン氏の語録があるので
ご紹介します。
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労働を清算しよう。株式を清算しよう。農民を清算しよう。不
動産を清算しよう。そうすれば、システムから不健全なものが
一掃され、人々が勤勉に働き、道徳的な生活を送るようになる
だろう。価格は調整され、より少なく、有能な人々から企業家
が生まれてくるだろう。 ──アンドリュー・メロン
──三橋貴明著
『2012年/大恐慌に沈む世界/甦る日本』/徳間書店刊
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このメロン氏の考え方は、その後「新自由主義」にかたちを変
えて現在でも生き続けています。具体的にメロン氏がやったこと
は、1930年にホーリー・スムート法を成立させ、2万品目以
上の輸入品に高率の関税をかけたことです。つまり、メロン氏は
国内産業の保護政策をとったのです。これに対して多くの国は、
米国の商品に高い関税率をかけて報復したため、米国の輸出入は
半分以下に落ち込んでしまったのです。
その結果、米国は現在の日本をはるかに上回るデフレに突入し
名目GNP(GDPにあらず)は、1930年から3年連続でマ
イナス10%を割ってしまったのです。これをもっと生々しくい
うと、1933年に生きる米国国民は4年前と比較して半分以下
の所得で生活せざるを得なくなったのです。明らかな政府の経済
失政であるといえます。
しかし、1933年3月にフランクリン・ルーズベルト氏が大
統領に就任し、ケインズなどの提言によるニューディール政策が
スタートすると、米国経済は急激に回復していったのです。しか
し大きなミスも冒しているのです。── [財務省の正体/51]
≪画像および関連情報≫
●財政改革論者/アンドリュ−・メロンのやったこと
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1921年、メロンはウォレン・ハーディング大統領によっ
て組閣された内閣の一員として、財務長官に任命された。組
閣直後からハーディング大統領はメロンに対して関税や戦争
税などの税制改革と連邦予算の作成を矢継ぎ早に指示したが
メロンは銀行家としての長い経験を活かし、それらの要求に
対して迅速に応えた。しかしながら、メロンは保守的な共和
党員として、また資本家として、現状の政府の予算管理の手
法に満足していなかった。当時の政府の財政は、歳出の増加
に対して歳入が追いついておらず、貯蓄が減少している状況
であった。メロンは危機的状況に向かいつつある合衆国の財
政を立て直すため、税制改革を推進した。まずメロンは物価
の高騰の原因が高い税金にあると判断し、物価の上昇を抑え
るために減税措置を執った。続いてメロンは政府の固定費用
を削減するよう連邦議会に繰り返し働きかけ、その剰余金を
国庫借入金の返済に充当した。そして政府の出費が節減され
たことにより、さらに税金を下げることができるようになっ
た。 ──ウィキペディア
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米国名目GDP推移/失業率推移
Goodbye! よらしむべし、知らしむべからずさま
「「善良」ではなかった日本の「指導者」 〜中部大 武田邦彦教授」
>>http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2012/01/post_2275.html
で掲示いただいてます。
是非武田教授の総括論文をごらんください。