2012年01月24日

●「経済学者はデフレをどう考えているか」(EJ第3224号)

 国の経済や財政問題、その他さまざまな経済現象をどのように
とらえるかは、まさに経済学の問題ですが、経済にはいろいろな
とらえ方があります。経済学者によっても大きな意見の違いがあ
ります。哲学のようになっていることも多くあります。
 経済は数学のようにひとつの答えが出るものではないので仕方
がないですが、ひとつ気になることがあります。それは、日本で
バブル崩壊以来、約15年間にわたって、日本経済の足を引っ張
っているデフレからの脱却について、正面から言及する経済学者
や経済評論家が少ないことです。とくにテレビや新聞に頻繁に登
場する経済学者や経済評論家のほとんどが、デフレへの言及を何
となく避けているように思えるのです。
 そもそも「デフレ」の定義がはっきりしていないのです。この
問題については、昨年の12月13日と14日のEJ第3200
号と3201号でも書いていますので、そちらも参照していただ
くとして、ここでは別の例を取り上げることにします。
 今ネット上で話題になっている学者は、浜矩子同志社大学大学
院教授のデフレ論です。浜教授は、テレビや新聞に頻繁に登場す
る学者の一人です。問題になっているのは、浜矩子教授の提唱す
る「ユニクロ型デフレ論」です。関係書籍は次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
    浜矩子著/「文藝春秋」/2009年10月号
             「ユニクロ栄えて国滅ぶ」
    浜矩子著/ 「ユニクロ型デフレと国家破産」
              文春新書/文藝春秋社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 浜教授の主張の趣旨を簡単にまとめると次のようになります。
ユニクロという国民にとって身近な話題であるので、かなり多く
の人に読まれているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ユニクロが3月に990円のジーンズを売り出したかと思えば
 イオンは8月に880円のジーンズを発売した。イオンとセブ
 ン&アイ・ホールディングスが1缶100円の第3のビールを
 出せば、ダイエーは1缶89円で対抗した。テレビなどのマス
 メディアは、過熱する安売り競争を大不況下で家計を救う救世
 主扱いで連日のように紹介している。経済専門誌でさえも、そ
 うした安売りを弛まぬ経営努力と徹底したコスト管理の成果だ
 と称賛する傾向が強い。ユニクロを筆頭として、格安商品を実
 現し利益を上げている企業の戦略を見習え、という論理が支配
 的なのである。しかし、それでいいのだろうか。この過激なま
 での安売り競争は、さらに一段の不況地獄の先触れではないだ
 ろうか。
http://blog.goo.ne.jp/n-mayuzumi/e/9b40c2f4ca7434571035bf3804983a77
―――――――――――――――――――――――――――――
 浜教授はこの現象を「ユニクロ型デフレ」と呼んでいるのです
が、このデフレの考え方には疑問があります。浜教授は、こうし
た安売り競争ができるのは、極端なコストの圧縮の結果であると
し、それは労働者の賃金切り下げと直結する──そして多くの企
業がこうした安売りに参入すれば、自らの首を締めることに他な
らず、競争が激化することによって、デフレスパイラルに陥ると
説いているのです。
 この論法でいくと、多くの人が安いものを買うのでデフレにな
る。だから、それをやめようというのでしょうか。人が安くて良
いものを求めるのは当然ではないでしょうか。とくに「企業は激
しい安売りという大出血サービスを行うことによって、販売量を
確保している」ということについては完全に間違っています。
 浜教授の考え方については、さまざまな反論があります。その
ひとつをご紹介しましょう。
―――――――――――――――――――――――――――――
 乱暴な議論だと感じます。書かれている前提に、ユニクロが賃
 金を圧縮し、体力を削って安売りをしているという思い込みが
 あるのではないでしょうか。現実は違います。2009年のフ
 ァーストリテーリング売上高経常利益率は、18.9 %で、体
 力を削るどころか立派な高収益企業です。ニトリはどうでしょ
 うか。2010年2月期の経常利益率は、16.6 %です。体
 力を削っているでしょうか。スエーデン企業といえば、H&M
 やイケアを思い浮かべますが、いずれも、価格はとことん安い
 ですが、高売上、高収益型企業です。それらの企業に共通して
 いるのは、製造小売で、企画、原材料調達、販売は自ら行い、
 生産は海外の安い国で行っていること、情報システムで武装し
 業務が標準化され、効率化されていることです。つまりビジネ
 スのしくみで低価格を実現し、高収益を実現しているのです。
     http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-280.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 さらに問題なのは、浜教授は経済ジャーナリストの萩原博子氏
との対談では、デフレの脱却策について次のようにも述べている
のです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 荻原/景気が上向いてもデフレから脱却できるとか、財政出動
    をすれば、デフレが解消されるというものではありませ
    んね。
 浜 /そうなんです。(中略)かといって、「事業仕分け」など
    で財政を縮小すれば、さしあたりはデフレに拍車をかけ
    ることになってしまうかもしれません。むしろ思い切っ
    て国民に国債大量増発を納得してもらうことも必要かも
    しれません。その上でそのカネを従来型とは違う21世
    紀グローバル時代型デフレへの対応に使っていく。
―――――――――――――――――――――――――――――
 驚くべき発言です。これほどの学者にしてこの主張の不整合さ
は何でしょうか。        ── [財務省の正体/50]


≪画像および関連情報≫
 ●池田信夫氏の批評/池田信夫blog
  ―――――――――――――――――――――――――――
  今月の『文藝春秋』に出ている浜矩子氏の「ユニクロ栄えて
  国滅ぶ」という記事が話題を呼んでいる。日本経済のスーパ
  ースターと目されるユニクロが日本経済を滅ぼすと主張して
  いるので、私も見出しに引かれて読んでみたが唖然とした。
  彼女はこう書く。「この過激なまでの安売り競争は、さらに
  一段の不況地獄の先触れではないだろうか。少し落ち着いて
  考えてみればいい。250円の弁当で1食すませる生活が当
  たり前になれば、まともな値段の弁当や食事は「高すぎる」
  ということになってしまう」。もう少し落ち着いて考えてみ
  よう。「まともな」値段とは何だろうか。浜氏は原価に「適
  正利潤」を乗せた価格を想定しているようだが、これは誤り
  である。少なくとも経済学でいうまともな価格(均衡価格)
  は、限界費用と等しい水準であり、利潤はゼロになることが
  効率的なのだ。そういう競争をしたら「経済がどんどん縮小
  してゆき、デフレの悪循環に陥っていく」と彼女は書くが、
  そんなことは起こらない。ユニクロや弁当の値下げは貨幣的
  なデフレではなく、相対価格の変化なので、価格が限界費用
  と均等化すれば止まる。そして価格が下がれば需要は増える
  ので、ユニクロのように高い利益が上がる場合も多い。この
  値下げ競争を防ぐために浜氏が提言するのは「限度を超えて
  安いモノは買うな」という政策(?)だ。具体的には「日本
  経済のために日産の人はトヨタの車を買い、トヨタの人は日
  産の車で通勤」すべきだという。こういう「国産品奨励」を
  保護主義というのだ(彼女は別の部分で保護主義を批判して
  いるが、その意味も知らないようだ)。これは「デフレを止
  めるために安売りを規制しろ」と主張する後藤田正純氏と同
  じレベルである。
    http://ameblo.jp/kouryu1093/entry-10342958816.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

浜矩子同志社大学大学院教授.jpg
浜 矩子同志社大学大学院教授
posted by 平野 浩 at 03:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 財務省の正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「地位協定スパイ防衛省と経産省に対する日本人常民の心の連帯闘争」

311以後沖縄の住民は自分が防衛省の攻撃を受けて先祖伝来の土地を奪われようとして苦しむ中から、被災地福島の住民が政府の棄民政策によって先祖伝来の土地財産を根こそぎ奪われようとしている苦痛に深く同情し、土地の少ない狭い島だが心は誰より暖かい住宅支援を打ち出している。
>>「沖縄県が福島県民に住宅支援」カナダde日本語さまhttp://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-3153.html

沖縄の人々の世俗の虚栄に無欲な、ただ自然を畏敬し生命を尊ぶこの心の美しさ温かさはどうだろう。
>「震災を節目にこれまでの古い日本から脱皮しよう」
>(転載)
「沖縄の原則とは『 ぬちどぅ宝 』。沖縄の言葉で、命は尊いという意味です。これは武器や暴力を嫌う沖縄人の表現です」と語り、20年間沖縄へ通うとマコーマックさん。
「沖繩は、国家に抵抗する市民お民主主義の力を見られる場所です。

ここでは、県全体が抵抗しています。だから日本とアメリカという地球上で最も強大な2つの国が、この小さな県に対して政策をおしつけららないのです。私は、沖繩では人々が歴史をつくっていると思います」

普天間基地移設予定地辺野古沿岸部。キャンプシュワブゲート前で毎週訴える、建設業者の渡具知さん。
マコーマックさんの滞在中、北部東村高江では米軍ヘリパッド建設の強行がされようとした。高江を訪れるマコーマックさん。年間6000人の兵士がこの森で訓練を行っている。

1996年北部訓練場は部分的に返還されることに。ただし、ヘリパッドの機能を高江周辺に集中的に移転する条件付き。 それまで政治運動にかかわったことのない安次嶺さんらは現場から抵抗を続けてきた。
人口160人の高江を囲むように6つのヘリパッドを建設し、墜落の危険を伴うというオスプレイ配備も検討されている。(検討されているのでなく配備)市民運動などしたことのない住民が建設反対に座り込みを始めた。

守りたいのは自分たちの暮らしと自然。 彼らは国家レベルのの安全保障については語らない。 語るのはここは民主主義の国なのだから、 住民がいらないと言うなら新しい基地は要らないということ。

安次嶺さん「福島からの移住者がたくさんいる。 来たくても来れない人いっぱいいる。 原発を田舎のほうに建てて、絶対安全ですと言ってたのに地震でもろくも崩れた。 田舎の弱みにつけこむ、原発も基地も中身は一緒」

福島と沖縄、 国家の骨格作る時、官僚が決めたこと、 「東北を東京の消費のため原子力エネルギーの精算拠点にしよう。 沖縄は防御のための場所としよう」と。

2011年は、3・11東北大震災と原発禍、9・11同時多発テロから10年、ソビエト連邦崩壊から20年という節目。日本の基盤を揺るがす災害事故や世界の枠組みが激変してゆく中で2012年が幕を開ける。

マコーマック氏は「日本と世界の未来を考える上で今最も重要な場所」を訪問。
日本と世界の未来に向けてグローバルスケールのメッセージを伝える。
(転載終わり)


震災前から沖縄高江と上関祝島の住民は連帯しており、憲法違反最高裁判決を振りかざした国の暴力(防衛省防衛局、国交省海上保安庁の強制執行実力暴力排除)に対して非武装で憲法を掲げて連帯して戦っていた。

震災前から沖縄の米軍基地反対派と岩国の米軍基地反対派は、防衛省の憲法違反最高裁スラップ判決を後ろ盾にした国民の財産を強制収用する暴虐行政執行に対して、非武装平和憲法を掲げて連帯して戦ってきた。

311後その国家権力にいわれなく虐げられ続けてきた沖縄県在住国民が、国の放射能ヒバクシャ棄民政策強制執行テロに徹底的に虐げられる福一ヒバクシャ国民へ連帯した。冒頭の避難住居無償提供が連帯のはじめの一歩である。

祝島も岩国も沖縄に続いて福一ヒバクシャ支援に乗り出し、福一被曝避難者住居無償提供を行うべきである。上関には立派な公的施設が遊休しており岩国には愛宕山という広大な住宅適地があるのだから、立派な支援が十分できる能力がある。
米軍基地に奪われ圧迫されて土地の少ない沖縄県がお金や物ではない「心で連帯する」心からの支援に乗り出した今、沖縄よりも恵まれた上関や岩国の住民国民がそれを座視拱手傍観するような自分の交付金や箱物だけが後生大事では、日本人の心がないと言われても反論できない。

今あるなけなしのもので「得手に帆あげて」支援する。義を見てせざるは勇なきなり。金じゃないよ、心だよ。これこそが日本人の心意気である。

>岩国市長選挙、本日告示!〜米軍住宅地の新規造成も焦点のひとつに!(情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄さま
>>http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/605d4b6bcddd4843fe43fe2c21574301
>※1:「防衛省闘う岩国に1000万人が350円ずつ寄付しよう!〜防衛省のアメとムチ政策にノーを!」
>★寄付は終了しています。

直近1月29日の岩国市長選挙ではいずれの市長候補も米軍基地容認、愛宕山防衛省への売却容認であり、防衛省の交付金を誰がより多く取ることができるかだけを競う防衛予算ぶん盗り合戦に堕落し、米軍基地返還を第一に主張する独立不羈日本人候補がひとりもいないとは、日本国民として政治家政治屋どもの志の呆れるほどの低さが情けない限りである。政治家も市民の中から選ばれる存在であるからして、市民自身の猛省を促したい。

市長という地方自治体首長の立場で防衛省が配る交付金という金銭目的の乞食ねだりをいつまで続けるつもりであろうか。そもそも防衛省予算も交付金も我々国民納税者が働いて稼いで納めた税金なのである。防衛省などという下僕風情に勝手放題にバラマキ汚職交付金として使わせてはならないであろう。おねだりどころか逆に堂々と公明正大に今までの汚職で防衛省が国民から盗んだ予算を全額賠償返還するよう防衛省を訴追追及しシーザーのものはシーザーへ、国民のものは国民へと返還賠償させてやろう。

地位協定を直ちに破棄して米軍に基地使用料を米軍自ら基地地元住民自治体へ支払うよう請求書を突きつけよう。払えなければ法に従って基地を変換させ、粛々と日本国領土から退去させる国外退去命令を出そう。これで全国内の米軍基地が流血なく全廃できる。
Posted by 東行系 at 2012年01月24日 13:41
今年2012年1月の長周新聞に中部大学教授武田邦彦氏が寄稿している。題は「「善良」ではなかった日本の「指導者」」。
ほかのメディアで目に触れないので全文をタイプしてアップする。誤字脱字は各自で修正ください。
(開始)

「善良」ではなかった日本の「指導者」   中部大学総合工学研究所教授  武田邦彦

 2011年3月に起きた福島原発事故ほど「日本の指導者は善良でない」ということを白日のもとに晒したことは無かったかも知れない。これまでも第二次世界大戦などで醜悪な指導者像が描かれてきたが、戦争はあまりにも要因が多いので、その評価は紛れが生じる。その点、福島原発事故は起こったことが単純で、その被害が甚大であるという点で、指導者の姿をハッキリと映し出した。
 ▼福島第一原発が爆発する可能性が高いことが判ったのは、現実に爆発した前日の夜だった。原子炉内の冷却が不能になり、温度が上がってきた時点で発電所は「爆発の可能性が高い」と判断できる。その時点で発電所長は福島の119番(消防)に緊急の退避を要請する必要があった。
 原発を運転させてもらっているのは地元が了解しているからで、真っ先に運転を認めてくれた地元住民を避難させる必要があった。すでに石油コンビナートでは40年前から「火災の場合、上司に連絡せずに、現場が直接119番しろ」と指導しているし、法律でも「火事を見て119番に連絡しなければ放火同然」とされている。
 今回の事故で現場の活動が賛美されているが、事故を起こして通報もしなかった現場をほめることは誠意ある社会ではない。むしろ119番せずに東電本社に連絡した行為は実質的に「傷害罪」である。
 ▼福島第一原発から大量の放射線が漏れ出した3月12日夕刻、政府やNHKに出ていた東大教授は「遠くに逃げろ」と言った。原発事故では原発から放射線が襲ってくるわけではなく、放射性物質が風で流れてくるのだから風下にと逃げることがもっとも被曝総線量を高める。事実、飯館村の人々は風下に逃げて一日以上、被曝した。
 さらに東大教授は「被爆は距離の二乗に反比例して弱くなる」と繰り返したが、それは原発から放射線が直接来る場合であって、そんな場合は起こりえない。仮に強い放射線が原発から直接、発せられているとすると福島第一原発構内にいた東電関係者は強いダメージを受けるはずである。これほど簡単なつじつますらとらず、いたずらに住民を被曝させた。
 ▼伝え聞くところによると、NHKをはじめとした主要なマスコミの記者は数日内に無人の固定カメラなどを福島から退避したという。そして地元には「直ちに健康に影響はない」と繰り返し、それを信じた住民は普通の生活をしていた。
 約一ヶ月後、退避した記者が防護服を着て線量計を携帯し、おそるおそる福島に入ってみると、住民は普通の格好をして生活をしている。聞いてみると「健康に影響はない」と言うからそのまま生活をしていると答える。線量計を持ちながら被曝を減らそうとしている記者は自分たちが何をしたのか理解していなかった。
 事故直後に起こったことをマスコミは正直に伝えたほうが良い。そのほうが今後のマスコミに対する信頼性が上がるだろう。マスコミだけが糾弾されないという状態は長期的にはマスコミを腐敗させるだろう。
 ▼原発事故では流れてくる放射性物質を避けるのがもっとも大切であり、そのためには風の向きが大切である。気象庁はIAEAに直ちに風の状態を報告したが、国民には「担当が違う」という理由で公表しなかった。一週間後に批判を受けて公表したが、「これは国民に知らせるものではない」という注釈をつけて英語で公表した。
 気象庁が風向きを事故後すぐにIAEAに報告していたのに、NHKは二週間経った後、「震災で壊れていた風向計が復旧した」という理由で福島の風向きを報道し始めた。初期被曝がおわってからだった。
 さらに重要なのは気象学会が「国民が混乱するから研究社は福島の風向きの情報を出さないこと」と驚くべきアナウンスをした。これに対して学問を守る立場の学術会議は何も言わなかった。もともと原子力基本法で「公開の原則」が決められたとき、学術会議は「すべての情報の公開を意味する」というステートメントを出している。学術会議は学問から離れて権力と利権の場になった。
 ▼事故から数日経つと、東大教授は「胃のレントゲンが一回600マイクロシーベルトであるのに対して,線量は20マイクロに過ぎない。たった30分の1である」と繰り返して発言し、それをNHKが放送した。20マイクロというのは一時間で被爆する量であり、一日は24時間だから480マイクロになり、10日間で8回のレントゲンを撮るのと同じになる。
 「かけ算のできない東大教授」ということだが、もちろん知っていてウソをついたのだから、実質的に傷害罪である。
・・・・・このような悪意のコメントと誤報が延々とつづき、多くの人が被曝した。政府は住民が退避するためのバスを一台も出さず、寒風吹く福島に置き去りにした。
・・・・・そして九ヶ月。政府は相変わらず国民を被曝させるのに懸命である。特に政府ばかりでなく、自治体、教育委員会、研究している医師などが国民を被曝させるのに懸命になっている。既に半減期が八日のヨウ素は無くなり、放射性ヨウ素で大量に被爆した子供たちの被曝履歴を調べることもできない。
 ▼セシウムだけで一年5ミリシーベルト(全核種で17ミリと推定、1キロ500ベクレル)と決められていた九食の基準を、政府はあまりにもひどいということで40ベクレルに下げる決定をしたところ、17都道府県の教育委員会が「測定する機械がない」という理由で500ベクレルを維持するように要請した。
 子供たちの被曝をどうするかの議論をせずに、「お金」だけを理由にしている。測定器は最高級(自然放射線を除けるもの)で300万円である。
 ▼日光は不幸なことに第一派の放射性物質が降下し、ホットスポットになった。観光客は外人が中心だが、自己前は一日三千人だったのに、二十人に減少した。つまり、自由意思なら日光にいかないという状態なのに、東京を中心とした小学校、地方の中学校が日光に修学旅行などに行っている。私が「行かないで欲しい」と校長先生に呼びかけると「昨年も行っているから」という返事があった。
 爆弾が落ちても新型インフルエンザが流行しても、昨年行ったので今年も行くという理由を言うのだろうか?
 ▼講演会でしっかりした栄養士のかたが「保護者が給食の不安を言って困る。ベクレルは測定していないし、どう答えてよいか判らない」と質問をされた。私が「腐っているかどうかわからないものや、毒物が入っているかどうか不明なものを給食に出すのですか?ベクレルが判らなければ捨ててください」と言ったら会場は大爆笑になった。言われてみれば保護者の心配はまともなことが判ったようだった。
 横浜市は市長が先頭にたって「被曝など何でもない」というパンフレットを作り、ずさんな給食管理をやっていたら、国の暫定基準値(実質年間17ミリ)も超える異常な牛肉や椎茸を給食に出していた。それが発覚すると横浜市の職員が「すみません」と謝った。謝って済む問題とすまないものがある。子供は食べたものをはき出せないのだから、市長は辞職しなければならない。
 ▼チェルノブイリでは牛乳が原因した小児の甲状腺ガンが六千人にのぼった。さらに福島原発では牛肉が汚染された。このような事実から子供を持つ親が心配するのは当然だが、牛乳メーカーは断固としてベクレル表示をしなかった。
 すでに甲状腺ガンの原因となるヨウ素は無くなった。それでも雪印の(ママ。明治の間違いと思われる:筆写者註)粉ミルクの汚染が報じられた。子供に牛乳や粉ミルクを買って貰っていた乳業メーカーはまったく食材を扱う資格がないことが明らかになった。
 ▼群馬大学の早川先生(火山学)は早い時期から各地の放射線測定データをわかりやすい地図にして公表していた。その地図を頼りに移動したり、被曝を防いだりした人は多く、その功績は大きい。学問は国民が危機に陥ったときに、専門的な知識を活用して救うことが第一義である。ところが、群馬大学は原子力機関と提携していることもあり、学長が早川先生を処分した。理由は「事実を言って福島の人に不安を与えた」ということだった。
 あるテレビ番組で私はセシウム137が青酸カリより毒性が強い(ほぼ二千倍)を知らせるために、セシウムで汚染されている田んぼに稲を植えるのは青酸カリがまかれている田んぼに稲を植えるのと同じ」という趣旨の発言をしたところ、「学者が事実を言うのは不適切だ」というバッシングを受けた。学者が事実を言うとバッシングする時代である。
 事故から九ヶ月を経過した現在、お母さんは日本政府に絶望して、「我が子を守るのに私は何ができるの?」という行動に走っている。お母さんとしては万策尽きたのでやむを得ないが、民主主義においては「何ができる」というのは「政治を変える」ということである。
 日本は民主主義だから、お母さんが決めたことが政府の決定でなければならない。でも、たっぷりとお金(電気代)は政治家、官僚、学者、マスコミに流れていて、その力は強力である。
 しかも、日本の指導者層、とりわけ東大を出た人は「その時、その時で上手い言い訳をできる人」であり、「人格軽薄、口先だけ」である。それは教育の責任であり、大学受験などを容認してきた日本社会にある。
 教育は本来、本人の希望にそってその人が人生において必要なことを身につけるためのものである。最低限の知識として「読み書きそろばん」は必要であるが、それ以上は本人と保護者の希望にそって行うものであり、決して「他人より優れているか」が問題になるものではない。
 サッカーが好きな子がサッカーをやり、もし世界レベルに達すれば日本の力を世界に示すことになるが、それは最初から「日本のため」にサッカーをするのではない。それと同じように学業も「日本のために」という奉仕型ではなく、個人の幸福のために学び、その結果、世界的な学者も誕生するのが教育本来の目的である。
 ところが、現在の教育、特に国立大学の教育は「いかにして他人を蹴落すか」に主眼が置かれており、著者の経験では国立大学の大学院ですら、教授の講義に際して一番前の席に座り、講義中、ずっとグーグーと寝ていて恥じない学生は多い。「私は君たちを人間として見ているが、君たちは目の前の相手が寝ていても90分、話し続けることができるのか?」と諭さなければならないのが現状である。
 今、日本を指導している多くの人は、ゆがんだ教育と評価方法の中で、言い訳、裏切り、利己性などが巧みであることによって栄達している。このような社会体制こそが今回の事故とその後の政府、自治体、専門家、マスコミの言動となったと考えられる。
 善良な国民と誠実な国家・・・・・それこそが日本の基礎になるべきであり、東京で消費される電気を製造する原発は頭狂から50キロ圏内と決めることが求められる。
 (中部大学総合工学研究所教授)
(了)
Posted by 東行系 at 2012年01月24日 19:33
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