2006年10月02日

ハイドンと親交のあったモーツァルト(EJ1932号)

 モーツァルトが結婚するまでの経緯を9回にわたって述べてき
ました。結婚当時モーツァルトは26歳になっていたのです。結
婚以前のモーツァルトと以後のモーツァルト――その作品も運命
も大きく異なるのです。いわゆるモーツァルトの名作といわれる
作品のほとんどは結婚後の11年間に作られています。
 モーツァルトがコンスタンツェと結婚したのは1782年8月
4日のことです。モーツァルトの結婚に反対し続けた父のレオポ
ルトは結婚の一日前に結婚同意書をモーツァルトに送っており、
モーツァルトのもとには挙式後に届けられています。
 映画『アマデウス』でしかモーツァルトについて知らない人は
モーツァルト夫妻と父との関係について大きな誤解をしてしまう
ことになります。
 映画では、モーツァルトは父の反対のままコンスタンツェと結
婚し、その何年か後に父がウィーンのモーツァルトのアパートを
訪ねたとき、はじめてコンスタンツェを紹介したことになってい
ます。そして、家の中が片づいていない、だらしないなど何かと
口うるさい父に対して、コンスタンツェは腹を立て、喧嘩になっ
て父が憤然とザルツブルグに帰ってしまうのですが、事実はかな
り異なるようなのです。
 1783年7月には、モーツァルトはコンスタンツェと一緒に
ザルツブルグに行き、レオポルトと会っています。モーツァルト
にとって、父との和解は精神的に大きな開放感をもたらし、以後
名作が増産されているのです。しかし、夫婦のザルツブルグ訪問
の間に、その直前に生まれた第一子は死亡してとまうという不幸
もあったのです。
 モーツァルトとコンスタンツェの間には、6人の子供が生まれ
ているのですが、次男と四男の2人しか育っていないのです。
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   次男 ・・・・・    カール・トーマス
   四男 ・・・・・ フランツ・クサーヴァー
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 モーツァルトの子供のことはあまり話題にはなりませんが、と
くにこの四男の「フランツ・クサーヴァー」の名前を覚えておい
ていただきたいのです。
 1785年2月11日にレオポルトは、ミュンヘンを経て息子
のウィーンの新居を訪れています。そのときの新居の模様をレオ
ポルトは娘のナンネルに当てた手紙で次のように伝えています。
映画におけるモーツァルトの住居とは大きく異なっています。
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 お前の弟の住居は、必要な家具が全部そろっている非常に立派
 なものだ。家賃は460フロリンも払っている。ウィーンに着
 いたその晩、あの子の第1回予約演奏会に出かけた。貴族階級
 の人たちが大勢顔を見せていた。演奏会はすばらしかった。
               ――レオポルト・モーツァルト
   ――真木洋三著、『モーツァルトは誰に殺されたか』より
                       読売新聞社刊
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 さらに次の2月12日には、ヨーゼフ・ハイドンがモーツァル
ト宅を訪れて、レオポルト同席のもとでモーツァルトがハイドン
に捧げた6つの弦楽四重奏曲のうち、後半の3曲(17番〜19
番)の演奏が行われています。ハイドンとモーツァルトは、お互
いに啓発し合う間柄で、モーツァルトは「ハイドン・セット」と
いわれる次の6つの弦楽四重奏曲を書いています。
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 ハイドンセット第1曲 → 弦楽四重奏曲第14番  ト長調
 ハイドンセット第2曲 → 弦楽四重奏曲第15番  ニ短調
 ハイドンセット第3曲 → 弦楽四重奏曲第16番 変ホ長調
 ハイドンセット第4曲 → 弦楽四重奏曲第17番 変ロ長調
 ハイドンセット第5曲 → 弦楽四重奏曲第18番  ト長調
 ハイドンセット第6曲 → 弦楽四重奏曲第19番  ハ長調
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 このとき、ハイドンはレオポルトに対してモーツァルトのこと
を次のようにいっています。ハイドンは当時50歳を越えていた
はずです。
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 私は誠実な人間として神に誓って申し上げます。あなたの息子
 さんは、私が個人的に知っている、あるいは名前だけ知ってい
 る作曲家のなかで最大の作曲家です。彼は審美眼があり、作曲
 にも深い造詣を持っています。   ――ヨーゼフ・ハイドン
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 レオポルトは、このウィーン訪問のとき既に生まれていた次男
のカール・トーマスを抱いています。そして、自らが鬼婆と罵っ
たセシリア・ウェーバーにも会って、食事を共にしています。
 レオポルトは、そのときの感想もナンネルに手紙を送っていま
すが、セシリアの料理のうまさを次のように褒めています。
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 お前の弟の義母ウェーバー夫人(セシリア)と木曜日に昼食を
 一緒にした。食事はぜいたく過ぎもせず、粗末過ぎもしなかっ
 た。完璧な料理で、焼肉はふとった雉だったし、どれもこれも
 見事な出来栄えだった。          ――前掲書より
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 映画とは大違いです。映画ではコンスタンツェは家の中の掃除
をせず、家事を放り出してしまっています。一方、モーツァルト
は酒びたりで、連夜パーティに明け暮れるというイメージでした
が、レオポルトの見たウィーンでのモーツァルトは、連日演奏会
に明け暮れ、あとの時間はすべて教えることと作曲に当てられて
いる――そういう超多忙のモーツァルトだったからです。
 それならば、なぜモーツァルトは、お金に不自由していたので
しょうか。これほど、仕事が忙しければ少なくとも借金を重ねる
ことにはならないはずです。 ・・・・・ [モーツァルト10]


≪画像および関連情報≫
 ・ハイドン・セットについて
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  ハイドン・セット(全6曲)は、モーツァルトが作曲した弦
  楽四重奏曲集である。まとめて、ハイドンに献呈されている
  ので「ハイドン・セット」と呼ばれる。モーツァルトが2年
  あまりを費やして作曲した力作と知られ、古今の弦楽四重奏
  曲の傑作として親しまれている。
   ●作曲 1782年12月〜1785年1月
   ●献呈 ヨーゼフ・ハイドン
   ●編成 ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1
  ―――――――――――――――――――――――――――

1932号.jpg
posted by 平野 浩 at 06:27| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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