2006年09月28日

『誘拐』されるモーツァルト(EJ1930号)

 1782年にモーツァルトは、ウェーバー家の三女であるコン
スタンツェと結婚します。モーツァルトは、本当は次女のアロイ
ジアと結婚したかったのですが、アロイジアに拒否されてしまっ
たので、妹と結婚したのです。
 この結婚をめぐっては、いろいろな説が取り沙汰されているの
です。どうして、モーツァルトは、アロイジアのように音楽的才
能もなく、性格が良いとも思えないコンスタンツェと結婚するこ
とになったのでしょうか。
 父のレオポルトはウェーバー家の娘との結婚には絶対反対の立
場だったのです。モーツァルトとウェーバー家の付き合いは、も
ともとは、モーツァルトがウェーバー家の当主であるウェーバー
・フリードマンに写譜を頼んだのがきっかけなのです。そのとき
ウェーバー家はマンハイムに住んでいたのです。
 その後、次女のアロイジアはモーツァルトの指導もあってソプ
ラノ歌手として成功し、ウェーバー家はアロイジアの仕事の関係
でウィーンに居を構えたのです。しかし、当主のフリードマンは
間もなく死去してしまいます。そうすると、アロイジアは、俳優
のランゲと結婚して家を出てしまったのです。
 未亡人になったフリードマンの妻のセシリアは、住まいを利用
して下宿屋をはじめ、モーツァルトはそこの下宿人として生活を
はじめるのです。モーツァルトは、このセシリアの経営する下宿
屋を拠点としてウィーンでの仕事をしていたのです。
 当時モーツァルトがウィーンを拠点として取り組んでいた仕事
は「後宮からの誘拐」というオペラの作曲だったのですが、この
オペラには、偶然ではあるものの、モーツァルトのウィーンでの
生活と奇妙な一致点があるのです。
 それは「セシリアによるコンスタンチェを使ったモーツァルト
誘拐計画」というべきものです。セシリアは、次女のアロイジア
がソプラノ歌手として成功したことにより、生活が豊かになった
ことを見ているので、モーツァルトを逃がさないようにして、三
女のコンスタンツェと結婚させたい――そうすれば一家の今後の
収入の支えになると考えたのです。そのため、モーツァルトを下
宿人として確保する必要があったのです。
 しかし、モーツァルトの父親はセシリアの思惑に気がついてお
り、ウェーバー家と付き合うことを認めなかったのです。そのた
め、下宿をするなどとんでもないことと、いろいろな有力者のつ
てを使って、モーツァルトをザルツブルグに引き戻そうとしてい
たのです。
 その当時モーツァルトが父に対して出した手紙の中に次のよう
な一文があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 お父さんがぼくとランゲ夫人(アロイジア)との仲を云々なさ
 るのには驚いてしまって、一日じゅう悲しい気持ちになりまし
 た。彼女は、まだ稼ぎのなかったころは、両親の荷厄介になっ
 ていたのですが、両親に恩返しができるようになり、父親が亡
 くなってしまうと、すぐさま気の毒な母親を見捨てて、俳優を
 追いかけ回し、結婚してしまいました。母親は、してやっただ
 けのものを、返してもらえないと嘆いています。
             ――モーツァルトが父に宛てた手紙
   ――真木洋三著、『モーツァルトは誰に殺されたか』より
                       読売新聞社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この手紙を見る限り、モーツァルトはこの時点ではコンスタン
ツェと結婚しようなどとは考えていなかったはずです。しかし、
不思議なことにというより運命的にですが、「後宮からの誘拐」
のオペラには、コンツタンツェ――スペインの貴族の娘で、キリ
スト教徒ベルモンテの恋人――という名前のヒロインが登場する
のです。このオペラの原題は「ベルモンテとコンスタンツェ」と
いうのです。
 ところで「後宮からの誘拐」とは、いったいどういう内容のオ
ペラなのでしょうか。
 このオペラのあらすじは「キリスト教徒の貴族ベルモンテが、
トルコの太守の宮殿に奴隷として囚われている恋人のコンスタン
ツェを救出にやってくる。彼は従僕ペドリッロやコンスタンツェ
の侍女ブロンデの助けを借りて、彼女を連れて逃げようとし、宮
廷の番人オスミンに妨害されて捕まり、処刑されそうになるが、
太守の英断により放免される」というものです。
 問題は、なぜ、「誘拐」なのでしょうか。
 コンスタンツェがトルコの太守の後宮に閉じ込められているの
を助けるというプロットであるならば、それは「救出」であって
「誘拐」ではないはずです。しかし、トルコ側は、ベルモンテを
誘拐の現行犯で捕まえているのです。それはセリフの中でもしば
しば現われます。
 それはさておき、モーツァルトは当初はセシリアの娘コンスタ
ンツェと結婚しようとは思っていなかったのです。それは、モー
ツァルトの次の手紙でも明らかです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 世間の人が、ぼくともう結婚させてくれたコンスタンツェとは
 暇のあるときは、ふざけて冗談も言います。だがそれだけのこ
 とで、ほかに何もありません。ぼくが冗談を言ったひとと結婚
 しなければならないとしたら、たちまち二百人もの妻を持つこ
 とになるでしょう。            ――前掲書より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、セシリアは、作戦を練ってモーツァルトを取り込みに
かかっているのです。そして、モーツァルトを自分の経営する下
宿に確保することに成功します。そして、さらにセシリアは、ザ
ルツブルグには帰らない方がよいなどとモーツァルトにアドバイ
スするのです。若いモーツァルトはそういうセシリアの説得に動
かされていくのです。これは、セシリアによるレオポルトからの
モーツァルトの誘拐そのものです。・・・ [モーツァルト08]


≪画像および関連情報≫
 ・歌劇「後宮からの誘拐」のテーマについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  歌劇「後宮からの誘拐」K384を皆さんはどのような日本
  語の翻訳タイトルで呼んでいるであろうか。呼び馴れた定訳
  をお持ちの方でも、本を紐解くたびにまちまちな翻訳タイト
  ルが使われていることに困惑した経験はないだろうか。一時
  は《後宮からの誘拐》が大多数を占めていたが、最近再び諸
  訳乱立の傾向が甚だしくなり、収拾がつかなくなりそうなと
  ころまで発展している。皆さんの中にも「誘拐」という言葉
  はこのオペラの内容にそぐわないし、物騒でもあると感じる
  人は多いことであろう。しかしこの際、なぜ「誘拐」などと
  言う言葉が出てきたのか、落ち着いて考えてみるのも無駄で
  はあるまい。我々がどのタイトルでこの曲を呼んだらよいの
  かの回答が見つかるはずである。
      http://www.asahi-net.or.jp/~rb5h-ngc/j/k384.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

1930号.jpg
posted by 平野 浩 at 06:46| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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