2006年09月21日

2人の大司教とモーツァルト(EJ1925号)

 モーツァルトについて語るとき、モーツァルトがどのような時
代に生まれ育ったか、彼を取り巻く環境がどのようなものであっ
たかについて十分知っておく必要があります。
 モーツァルトは、1756年1月27日にザルツブルグに生ま
れています。モーツァルト時代のザルツブルグは大司教領といっ
て、大司教が事実上の領主であることは既に述べています。大司
教領というのは、教皇の直轄地であり、教皇に任命された大司教
が、政治・行政面での君主であったのです。
 ところで、「大司教」というのはどのような地位なのでしょう
か。ローマ・カトリック教会の組織は次のようになっています。
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    1.教皇          5.大司教
    2.枢機卿         6.司教
    3.総大司教        7.司祭
    4.首座大司教
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 組織の頂点は「教皇」です。一般的に「ローマ法王」と呼ばれ
ますが、正しくは教皇というべきです。教皇は「枢機卿」の中か
ら選ばれるのです。「大司教」は5番目の地位ですが、5番目に
してザルツブルグのようなひとつの領土を持つほどの力がある大
司教もいるのです。
 最下位の「司祭」が、いわゆる教会の教父のことであり、ひと
つの教区を担当しているのです。教区とは、キリスト教において
一定地域にある教会をまとめた教会行政上の単位で、これらの教
区はローマ教皇庁と直結しているのです。キリスト教にはこのよ
うな合理的な管理組織が昔からあり、それがキリスト教の発展を
現在まで支えてきたといえます。
 ましてザルツブルグは財政上も豊かであり、大司教の権力は大
きかったのです。このような地位には、ハプスブルグ家の流れを
引く有力な貴族の子弟が選ばれるのが通例となっていました。
 ハプスブルグ家とは、現在のスイス領内に発祥したヨーロッパ
のドイツ貴族のことで、カエサル一門の出身と名乗り、政略結婚
を繰り返して大規模な領土拡大に成功した一家です。
 中世から20世紀初頭にかけて、オーストリア大公国、神聖ロ
ーマ帝国、スペイン王国、ナポリ王国、ベーメン(ボヘミア)王
国、ハンガリー王国、オーストリア帝国などの大公、国王、皇帝
を代々輩出したヨーロッパの王家の中でも屈指の名門といわれて
いるのです。
 モーツァルトはその生涯において、次の2人のザルツブルグ大
司教からさまざまな影響を受けることになります。
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 ジグムント・クリストフ・フォン・シュラッテンバッハ伯爵
               ヒエロニムス・コロレド伯爵
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 ほとんどのモーツァルト史では、シュラッテンバッハ伯爵は、
モーツァルトに対して好意的であり、理解者であったのに対し、
コロレド伯爵はモーツァルトを冷遇し、遂にはクビにしたとあり
ます。その真偽はさておくとして、これら2人の大司教によって
モーツァルト家は翻弄されることになるのです。
 確かにシュラッテンバッハ伯爵の評判は良く、何よりも音楽に
理解があったのです。宮廷楽団の予算を惜しまず、優れた音楽家
をイタリアに留学させるなどの便宜を図ったのです。この伯爵が
いたからこそ、モーツァルト一家は何回も旅に出て、そこに長く
滞在することができたのです。
 しかし、シュラッテンバッハ伯爵が1771年に亡くなり、そ
の後を継いだのが、コロレド伯爵なのです。コロレド伯爵が大司
教に選ばれるに当たっては、ハプスブルグ家の強い押しがあった
といわれます。つまり、彼はシュラッテンバッハ伯爵以上にハプ
スブルグ家に近い人であったのです。
 モーツァルト一家――といっても、レオポルトとモーツァルト
姉弟が最初に旅に出たのは1762年1月12日で行き先はミュ
ンヘン、目的は既に述べたようにバイエルン選帝侯の前での演奏
だったのです。モーツァルト6歳のときの話です。当時、ザルツ
ブルグからミュンヘンまでは2日かかったのですが、ミュンヘン
はザルツブルグに一番近い大都市だったのです。
 その同じ年の9月にモーツァルト一家は今度はウィーンに旅を
しているのですが、そのとき次のような有名なエピソードが残さ
れているのです。
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 モーツァルトが最初にウィーンに行ったときの、こんなエピソ
 ードが残っている。ウィーンに入るには地方税関と中央税関を
 通らなければならなかった。厳しいことで知られていた。とこ
 ろが、幼いモーツァルトは、持ち前の人懐っこしさで税関の職
 員とすぐに仲良くなってしまった。そして、モーツァルトが子
 供用の小さなヴァイオリンで一曲弾いて聞かせたら、税関の職
 員はニコニコして一家を何の審査もせずに通関させたという。
     ――中川右介著、『モーツァルトミステリーツアー』
                  ゴマブックス株式会社刊
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 実際にその当時通関は厳しくて、普通の人であれば何時間もか
かるのです。それがモーツァルト一家の場合はフリーパスです。
おそらく大司教が何らかの便宜を図っていたと考えられます。
 後で詳しく述べますが、1770年にモーツァルトは、ローマ
教皇クレメンス14世から、「黄金の軍騎士勲章」を授けられて
いるのです。これによってモーツァルトは、ローマ教皇庁の保護
下に置かれた音楽家ということになり、大変な特権を手にしたこ
とになるのです。
 モーツァルトは天才音楽家ではありますが、当時音楽家の社会
的地位は低く、モーツァルトの場合は異例な出世ということにな
るのです。        ・・・・・・ [モーツァルト03]


≪画像および関連情報≫
 ・コロレド大司教について
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  コロレド大司教(ヒエロニムス・ヨーゼフ・フランツ・デ・
  パオラ・コロレード伯爵は、モーツァルトの人生に大きく影
  響をあたえた1人といえましょう。モーツァルトとの関係を
  理解する為には「大司教」制や都市「ザルツブルグとウィー
  ン」の関係,そして「神聖ローマ帝国」について理解する必
  要があります。映画「アマデウス」を見ていてもこれらのこ
  とがよくわからないため「何故?」という疑問を抱きながら
  見た方も多いのではないでしょうか・・・私も初めてこの映
  画を見た時は実はその1人でした。なぜコロレードにあれほ
  どまで縛られなくてはならないのか、なぜ自由にウィーンに
  移り住むことが許されなかったのか・・・。
  http://www003.upp.so-net.ne.jp/salieri-mozalt/colloredo.htm
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1925号.jpg
posted by 平野 浩 at 06:24| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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