2006年09月20日

モーツァルトを取り巻く環境(EJ1924号)

 モーツァルトがどういう顔をしていたか――現代では肖像画に
よって判断するしかないが、多くあるようにみえるモーツァルト
の肖像画は、前回述べたように、その主要なものは2つぐらいし
かないのです。
 むしろ、われわれがモーツァルトといって頭に浮かぶのは、映
画『アマデウス』のモーツァルト役トム・ハルスの顔かもしれな
いのです。余談ですが、このトム・ハルスという俳優はピアノの
名手で、映画の演奏シーンはすべて彼が弾いているのです。それ
でいて、アカデミー主演賞はサリエリ役のマーレイ・エイブラハ
ムに持っていかれたのは気の毒であると思います。
 ところでモーツァルトは「音楽の天才兒」といわれますが、こ
れはきわめて抽象的な表現であると思います。「モーツァルトは
どういう音楽家ですか」という問いに対して、「天才的音楽家で
す」と答えても、それでは答えにならないのです。したがって、
モーツァルトがどのように天才的なのかについて明らかにする必
要があります。
 モーツァルトについて述べるのに当たって、父のレオポルト・
モーツァルトについて知っておく必要があります。レオポルトは
音楽の指導者として、また人生の指南役として、モーツァルトに
多大な影響を与えているからです。
 レオポルト・モーツァルトは、アウグスブルグの製本屋の出で
ザルツブルグの大学で学問を修め、ザルツブルグ大司教の宮廷管
弦楽団のヴァイオリン奏者を務めていたのです。
 レオポルトは、数多くの作品を作曲していますが、そのほとん
どは、平凡なありきたりの曲でしかなかったのです。しかし、彼
は音楽の指導者としてはきわめて優れた才能を持っており、後世
の音楽家にも影響を与える優れた仕事を成し遂げているのです。
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 彼(レオポルト・モーツァルト)は、ヴァイオリン奏者ならび
 に教師としてはきわめてすぐれた手腕を持っていた。1756
 年に彼はヴァイオリン教則本を出版して好評を博し、数ヶ国語
 に翻訳された。これは、古典音楽の正しい奏法に関心を持つ者
 にとって、今日なおはかり知れぬ価値を持っている。
          ――スタンリー・サディー著/小林利之訳
         『モーツァルトの世界』より。東京創元社刊
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 レオポルトは7人の子どもがいたのですが、そのうち成長した
のは2人だけであり、その一人がモーツァルトなのです。もう1
人は姉に当たる4歳年上のマリーア・アンナ・ナンネルであり、
姉も豊かな音楽的才能に恵まれていたといわれます。
 モーツァルトは、姉のハープシコード(ピアノの前身)のレッ
スンを聴いて育っているのですが、その頃から音楽に対して異常
な関心を示したといわれます。
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 3歳のとき、モーツァルトは、耳ざわりの良い和音を聴き覚え
 のままハープシコードで演奏しようとし、4歳では小品を演奏
 し、5歳で作曲した――これら初期の簡素な作品のあるものは
 父親の書きとめた譜面として保存されている。そのころ、モー
 ツァルトはハープシコード協奏曲を作曲しようとさえしている
 のである。                ――前掲書より
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 モーツァルトはヴァイオリンの演奏に優れた才能を発揮してい
ますが、ハープシコードの演奏においてとくに天賦の才を発揮し
たといわれています。つまり、モーツァルトは、演奏家としても
超一流であったのです。自分のアタマに浮かんだものを即座に楽
器で上手に表現できる才能を生まれながらに持っていたのです。
 この天才姉弟はザルツブルグでは有名になり、モーツァルトが
6歳になったとき、バイエルン選帝侯の前で演奏する話が持ち上
がり、レオポルトは姉弟を伴って急遽ミュンヘンに向かうことに
なったのです。
 ここで留意しておくべきことが2つあります。
 1つは、当時の音楽家の社会的地位はあまり高くなかったとい
うことです。レオポルトはザルツブルグ大司教の宮廷管弦楽団の
ヴァイオリン奏者ですが、たとえ楽長であっても、せいぜい料理
長ぐらいの地位でしかなかったといいます。
 つまり、音楽家は芸術家というよりも職人に近かったのです。
宮廷管弦楽団という名前はついていますが、コンサートというよ
りも貴族たちの食事のさいのバックグラウンド・ミュージックを
担当するのが主な役割だったのです。
 2つは、当時は神聖ローマ帝国の時代(962〜1806)で
あって、大司教の許可がないと、ザルツブルグから外に出られな
かったということです。
 モーツァルト一家の住んでいたザルツブルグは、地理的には神
聖ローマ帝国の一部ですが、帝国の支配が及ばない独立国なので
す。具体的にいうと、ザルツブルグは大司教が治める独立国のよ
うな存在であったということです。神聖ローマ帝国とは、現在の
ドイツ、オーストリア、オランダの一部をいうのです。
 したがって、モーツァルト一家がザルツブルグの外に出て旅を
するというのは大変なことであり、その後何回も重ねてザルツブ
ルグの外に出ることになるモーツァルト一家としては、大司教と
の関係に十分配慮する必要があったのです。
 モーツァルトは、13歳のときザルツブルグ宮廷管弦楽団の楽
師長(コンサート・マスター)に就任し、父のレオポルトは副楽
長に昇進します。宮廷管弦楽団は、50人くらいの規模であり、
同数の歌手もいたとされています。したがって、当時の大司教が
いかに力があったかがわかります。楽師長は、楽長、副楽長に継
ぐ楽団ナンバー3のポストなのです。
 もっとも楽師長といっても最初は無給、3年後には年俸150
フロリン(1フロリンは約1万円)になっています。大司教は一
家に逃げられるのが怖かったのです。・・ [モーツァルト02]


≪画像および関連情報≫
 ・映画『アマデウス』のトム・ハルスについて
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  本名/Thomas Edward Hulce。 15歳でノース・キャロライ
  ナの芸術学校に学び、卒業後NYで後に「アマデウス」の原
  作を書上げるピーター・シェイファーの舞台で注目される。
  映画デビューは「ジェームズ・ディーンにさよならを」で当
  初はトーマス・ハルス名義だった。舞台での実力が買われ、
  84年、「アマデウス」でモーツァルトを熱演(ピアノの名
  手としても知れている。アカデミー主演賞にもノミネートさ
  れ高い評価を得た。賞は惜しくもサリエリ役のF・マーレイ
  ・エイブラハムが受賞したがトムの好演なくしてはエイブラ
  ハムの受賞、そして作品賞やその他主要映画賞の独占はなか
  ったであろうと言われている。
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1924号.jpg
posted by 平野 浩 at 06:49| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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