2002年03月28日

応援歌づくりの名人/古関裕而(829号)

 作曲家/古関裕而(敬称略)――といってもピンとこないかも
知れません。とくに若い人はほとんど知らないでしょう。13年
も前のことですが、平成元年8月に「古関裕而死す!」という情
報が流れると、私は古関裕而のCDを求めて、CDショップをハ
シゴしたものです。
 古関裕而の作った曲はあまりにもたくさんありますが、次の3
曲なら若い人でも知っているでしょう。
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  1.「巨人軍の歌/闘魂こめて」
  2.「阪神タイガースの歌/六甲おろし」
  3.「全国高等学校野球大会の歌/栄冠は君に輝く」
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 このような応援歌を作らせたら、古関裕而の右に出る人はいな
いと思います。巨人と阪神の、しかもプロ野球の応援歌としては
最も有名な応援歌を同じ作曲家が作っているなんてとても珍しい
ことだと思います。
 それだけではないのです。古関裕而は早稲田大学と慶応義塾大
学の両方の応援歌を作っているのです。昨日のEJの最後の部分
で、古関裕而の葬儀に早稲田と慶応の応援団が駆けつけ、両校の
校旗が掲げられる中で出棺が行われたと書きましたが、彼が両校
の応援歌を作曲しているからなのです。
 最初に作ったのは、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」です。昭
和6年のことです。この歌は早慶戦のときに神宮球場のスタンド
でよく聞いたものですが、慶応側の人間もこの曲がいい曲である
ことを認めていて、一緒に歌っている者もいるぐらいです。
 この歌は、古関裕而の同郷の歌手伊藤久男のいとこが早稲田大
学の応援団をやっていた関係で、依頼されたものといわれていま
す。作詞は学生から募集して住治男という人の作品が選ばれてお
り、それに曲をつけたのです。
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       紺碧の空 仰ぐ日輪
       光輝あまねき 伝統のもと
       すぐりし精鋭 闘志は燃えて
       理想の王座を 占むる者われ等
       早稲田 早稲田 
       覇者 覇者 早稲田
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 「紺碧の空」ができた昭和6年当時、慶応義塾も新しい応援歌
を作って対抗しました。その歌は、橋本国彦(故人)の作曲で、
「ブルー・レッド・アンド・ブルー」といったのです。三色旗は
慶応義塾の校旗です。しかし、この春の早慶戦は「紺碧の空」を
歌った早稲田が勝利して「ブルー」は消えたのです。
 戦後になって、中断していた東京六大学リーグ戦が復活した昭
和21年のことです。早稲田大学の「紺碧の空」があまりにもい
い曲なので、慶応義塾大学の応援団が古関家を訪れて「ぜひ応援
歌を作って欲しい」と頼み込んだのです。
 古関裕而は早稲田大学の了解を取ることを条件に慶応義塾大学
の応援歌を作曲してくれたのです。曲が先にできて、あとから慶
応出身の藤浦洸(故人)が歌詞をハメこみ、完成したのが「我ぞ
覇者」なのです。
 この歌は4番まであり、4番は早慶戦用の応援歌になっていま
す。現在では4番だけが独立して歌われるようになっています。
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       よくぞ来たれり 好敵早稲田
       天日(てんじつ)のもとにぞ 戦かわん
       精鋭われに有り 力ぞあふれたり
       おお 打てよ砕け
       早稲田を倒せ
       慶応 慶応 慶応義塾
       叫べよ高く 覇者の名を
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 ついでに「六甲おろし/阪神タイガースの歌」のことも書いて
おきましよう。この歌は昭和11年に阪神球団から依頼されて作
曲され、中野忠晴という人の歌でレコードが作られていますが、
これは一般発売ではなかったのです。このときのタイトルは「大
阪タイガースの歌」で、B面はやはり古関裕而作曲の「大阪タイ
ガース行進曲」が収録されていたのです。
 「阪神タイガースの歌」は、阪神ファンの間にじわじわと浸透
し、やがて「六甲おろし」と呼ばれるようになったのです。1番
の歌詞の最初が「六甲おろしに 颯爽と」ではじまるところから
そう呼ばれるようになったのです。
 東京にいかに巨人ファンが多くてもカラオケで「闘魂こめて」
が歌われることはありませんが、関西ではカラオケで「六甲おろ
し」が歌われることはさほど珍しいことではないのです。そのく
らいこの歌は関西人に浸透しているのです。
 ところで、昨日のEJでご紹介した歌手の藍川由美さん―――
この人は声楽の分野でわが国初の学術博士号を取得した人なので
すが、古関裕而の研究家としても有名です。それに、藍川さんに
は「古関裕而歌曲集」というCDもあります。
 藍川さんはその著書『これでいいのか、にっぽんのうた』(文
春新書)の中で、古関裕而がこれほどの名曲をたくさん作曲して
いるのに、意外に日本の音楽界の中で評価が高くないことに疑問
に感じ、調べはじめたと書いています。
 古関裕而は、昭和4年に行われた英国の国際作曲コンクールで
堂々第2位を獲得しているという事実があるのですが、このこと
は日本の音楽史のどこにも記載はないとそうです。
 しかし、これは事実であり、これによって古関は、日本ではじ
めて国際的に認められたクラシックの作曲家ということになるの
です。日本の音楽ジャーナリズムは、東京音楽大学出身者以外は
音楽家として認めないという傾向があったのです。

829号.jpg
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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