2006年09月11日

青いカプセルか赤いカプセルか(EJ1918号)

 イエス・キリストの物語で欠くことのできない登場人物の一人
はユダです。映画『マトリックス』でユダに該当する人物は、ネ
ブカドネザル号のクルーの一人「サイファー」です。
 彼は、ネオと同様にモーフィアスの出した青と赤のカプセルの
うち、赤のカプセルを飲んで、マトリックスから抜け出したので
すが、マトリックスの外の現実世界の厳しさに耐えかねて、赤で
はなく青いカプセルを飲むべきであったとあとで悔やむのです。
 サイファーが仲間に隠れてエージェント・スミスとレストラン
で会う場面は、ユダが祭司長カヤバと会ってイエスを裏切る相談
をする場面とよく似ています。
 彼はスミスに仲間を裏切る代償として、自分の記憶をすべて消
して仮想現実の世界に戻してくれと頼むのです。そして権力のあ
るVIPか人気俳優にして欲しいと要求し、スミスから「思いの
ままだ」という約束を引き出したうえで、裏切りを決意します。
 「サイファー」――この言葉には、「秘密のメッセージ」とか
「ゼロ」という意味があります。これは「マルコによる福音書」
の次の言葉と関連があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人
 の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方がその者のた
 めによかった。            ――第14章21節
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これはユダのことをいっているのですが、ここでいう「生まれ
なかった方がその者のためによかった」というのは、すなわち、
生まれない――何もない、ゼロであることを意味していると考え
られるのです。
 サイファーの裏切りは、操縦士タンク以外のほとんどのクルー
がマトリックスに入っているときに行われ、3人のクルーがあっ
さりと死亡します。マトリックスに入っているときに脳幹に差し
込まれているケーブルを引き抜かれると、人間は生きてはいられ
ないのです。つまり、ネブカドネザル号の内部には絶対に敵を入
れてはならないのです。
 しかし、操縦士のタンクは負傷しながらも、サイファーを殺し
モーフィアス船長以下のクルーの命を助けるのです。このタンク
は、イエスの物語ではペテロに擬せられると思います。
 タンクは、最初のうちはネオが救世主であることをあまり信じ
ていなかったのですが、ネオがモーフィアスを救い出したことに
心底驚き、ネオが救世主であることをはじめて信じるのです。
 イエスの12使徒も、イエスに従いながらも、イエスのことが
よくわかっていなかったのです。彼らが心からイエスが救世主で
あると信じたのは、イエスが復活してからなのです。また、イエ
スは復活については何も予言していないのです。したがって、そ
れが現実に起こったとき、彼らは驚愕し、そしてはじめてイエス
の教えの深い意味を悟ったのです。
 とくにペテロは、イエスが逮捕され、群集からイエスと一緒に
いたことを指摘されると3回にわたって否定するなど、彼自身も
気がついていなかったように、イエスを心底からは信じてはいな
かったのです。
 映画『マトリックス』で、イエスが死んだとき、あのモーフィ
アスでさえも「まさか!」と叫んだのです。彼はネオが死ぬとは
考えていなったのです。ただひとり、ネオが死んだときも息のな
いネオをやさしく抱き、死んだことを信じず、動じなかったのは
トリニティただひとりなのです。その彼女の中にマグダラのマリ
アの本質が見えてくるといえないでしょうか。
 それでは、モーフィアスは聖書では誰に該当するでしょうか。
 モーフィアスは、これから救世主が現れることを告げる役割を
担い、一貫して救世主の出現を信じています。それからもうひと
つ、最初のころネオをいろいろ指導しています。マトリックスと
現実世界、そしてカンフーを含むマトリックスでの行動のあり方
など、モーフィアスはネオの指導教官を務めています。
 聖書の中でイエスに対し、そういう役割を担える人物は一人し
かいないのです。それは、洗礼者ヨハネです。
 「ヨハネによる福音書」の中で洗礼者ヨハネは、自分は重要な
存在ではないことを強調し、次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 あなたがたの知らないかたが、あなたがたのなかにおられる。
 それがわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその
 人の履き物のひもを解く値うちもない。
       ――「ヨハネによる福音書」第1章26〜27節
 その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこれらるのを見ていっ
 た。「見よ、世の扉を取り除く神の子羊。『わたしのあとにく
 る方はわたしよりすぐれた方である。わたしより先におられた
 方である』とわたしがいったのは、この人のことである」。
       ――「ヨハネによる福音書」第1章29〜30節
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 このように映画『マトリックス』は、イエスの物語と多くの共
通性があります。したがって、キリスト教的テーマに関心のある
人がこの映画をその観点に立って何回か繰り返して観れば、とて
も興味深い事実をいくつも発見できるはずです。
 ここまでのいわゆるマトリックス論は、次の本のポール・フォ
ンタナの論文「『マトリックス』のなかに神はいる」に基づいて
います。この本には、映画『マトリックス』に関する質の高い論
文が14本も掲載されており、とても読み応えがありますので、
ご一読をお勧めします。
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     グレン・イェフェス編/小川隆ほか訳
     『マトリックス完全分析』 扶桑社刊
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 明日からはいよいよしめくくりです。今回のテーマは15日で
終了します。         ・・・・・ [D−コード36]


≪画像および関連情報≫
 ・「自由と赤いカプセル」/ピーター・J・ベトケ
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  『マトリックス』は、自由な選択という重荷が人間に引き起
  こす根本的なジレンマを見事に描いた作品だ。もし「青いカ
  プセル」を選んで重荷から逃げ出せば、人は意義ある人生を
  生きることができない。人生を経験することはできてもそれ
  は生きることではないのだ。反対に「赤いカプセセル」を選
  んでウサギの穴に奥深く入りこんだなら、われわれは厳しい
  道徳的な選択をしたり、ときに誤った決断をしたり、人間関
  係で傷ついたりといった現実と向きあっていかなければなら
  ない。しかし、われわれは同時に冒険や達成の喜びを知る。
  人間は、モーフィアスが迫った選択に応じてはじめて、人生
  を謳歌することができるのだ。そして応じたあとで真に問題
  となるのは、元に戻れるか否かではなく、戻れたとしても戻
  りたいか否かということになる。
           ――前掲『マトリックス完全分析』より
  ―――――――――――――――――――――――――――

1918号.jpg
posted by 平野 浩 at 06:40| Comment(0) | TrackBack(0) | ダ・ヴィンチ・コード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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