2002年03月27日

戦時歌謡はどのようにして作られたか(EJ828号)

 かつての日本は本当に軍国主義国家だったのでしょうか。それ
は違うと思います。異論の向きもあるかも知れませんが、日本は
四方を海に囲まれている国であり、覇権のために他の国を攻めた
り、侵略したりする国ではないと思うのです。それは、明治以来
の戦争の回数がたったの4回という数字に何よりもあらわれてい
ると思います。
 林秀彦氏は、日本人の戦争意識について次のように述べていま
す。日本人が戦争に立ち上がるのは「お国の大事」という場合に
限られているのです。日本はもともと専守防衛の国なのです。
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 『少なくとも明治以来大東亜戦争までの一般日本庶民の念頭に
 ある戦争意識は、十字軍のそれでないどころか、ナポレオンに
 対する帝政ロシアの自衛でもなく、ナチスに対する連合諸国の
 自衛でもなく、短く乱暴に比喩すれば、吉良上野介に侵害され
 た浅野家の「お家の大事」の自衛だった』。
 (『海行かば山ゆかば』より)
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 さて、日本の歌には独特の味付けというか風味があって他の国
では流行しにくいということを書きましたが、例のポール・クル
ーグマンの本に日本人について次の面白い表現があります。
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 『何年か前にイギリスの「エコノミスト」誌が日米をうまく比
 較する記事を掲載していた。その記事によると、アメリカの場
 合、たとえ国民全員が火星人に取って代わられても、依然とし
 てアメリカはアメリカである。だが、日本は伝統的に祖先に自
 らのアイデンティティーを求める傾向がある。誤解を恐れずに
 言えば、日本人であるということは、日本人を両親とし、日本
 で生まれたということである』。(クルーグマン著、『恐怖の
 罠/なぜ政策を間違えつづけるのか』、中央公論新社刊)
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 これを見ても分かるように、日本はやはり独特の国であり、そ
れは歌においても同じことがいえるのです。日本の歌に詳しい歌
手の藍川由美氏が、古賀メロディーの原点といわれる「影を慕い
て」について面白い話をしています。
 この歌は昭和5年に佐藤千夜子が吹き込んだのですが、さほど
売れなかったのです。しかし、昭和7年に藤山一郎の歌で発売さ
れると爆発的な大ヒットとなったそうです。同じ歌なのに、どこ
が違ったのでしょうか。
 佐藤千夜子も藤山一郎もともにクラシックの声楽家を目指して
勉強していたのですが、2人の歌には男女の差を越えた決定的な
違いがあったのです。
 佐藤はベルカント歌唱に近い歌い方で、まるでカタカナを読ん
でいるような日本語で歌っていたのに対し、藤山一郎はささやき
かけるような日本語でしっとりと歌ったのです。この藤山の歌唱
法は多くの日本人の心を揺さぶって大ヒットになったのです。
 これは、演歌に限らず、クラシックの歌曲をはじめとし、タン
ゴ、ブルース、ブギウギ、ロックなどについてもつねに「和製」
の冠がつけられ、日本人好みの味付けになっているのです。それ
は、日本語で歌っているというよりもリズムの取り方が日本的に
なってしまい、それで日本独特になってしまうのです。
 ところで、「流行歌」と「歌謡曲」はどこが違うか、ご存知で
しょうか。どちらも似たようものですが、次の違いがあります。
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    流行歌 ・・・・ レコード会社が作るもの
    歌謡曲 ・・・・ 放 送 局が採択したもの
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 もともと「歌謡曲」は、昭和初期に流行したエロ・グロ・ナン
センス的な流行歌に対抗して皆で歌える清新なホーム・ソングを
目指したものです。そのため、放送局が作詞者や作曲者を多数抱
え込んでこれを実現していったのです。
 これが戦時下では「国民歌謡」として、「時局歌謡」、すなわ
ち、「軍歌」になっていくのです。しかし、NHKは戦後になる
と、戦時中放送した時局歌謡をひた隠しにし、臭いものにフタを
しようとしているのです。
 時局音楽に携わった詩人や作曲家の中には、戦後になって自分
は軍歌を作っていないと発言したり、戦時中の歌詞を破棄して新
しい歌詞を音楽著作権協会に登録して、証拠隠滅を図ろうとした
人も多いのです。保身のためなのでしょうが、これは大変残念な
ことだと思います。
 確かに戦時中は歌を作る際にその打ち合わせに軍部も出席して
歌詞などに干渉したのです。作詞家や作曲家――とくに作詞家は
自分の意に沿わない歌詞を押し付けられた人もおり、自分の作品
でも封印したくなる気持もわからないでもありません。
 作詞家の西条八十は「比島決戦の歌」において、敵将の名前を
入れるよう打ち合わせ会議に出席していた将校に求められたとい
います。「水師営決戦の歌」に「敵の将軍ステッセル」と入って
いるではないかというわけです。西条は断固反対したのですが、
強制的に歌詞を変更させられてしまったのです。
 「レイテは地獄の3丁目、出てくりゃ地獄にさか落とし」と西
条は書いたのに「いざ来いニミッツ、マッカーサー、出てくりゃ
地獄にさか落とし」と変更させられたのです。
 こうなってくると、かなり次元が低くなりますが、軍歌の中に
は本当に良い歌もあるのです。そういう戦時歌謡としての軍歌に
関して忘れられない作曲家がいます。古関裕而がその人です。彼
は、誰でも知っている戦時歌謡の名曲をたくさん作曲しており、
隠蔽しておくにはもったいないものばかりです。
 古関裕而氏は平成元年8月22日に亡くなったのですが、その
葬儀には、早稲田大学と慶応義塾大学のそれぞれの応援団が掲げ
る校旗に見送られて出棺したのです。早稲田出身でも慶応出身で
もない古関氏なのになぜでしょうか。その理由は明日のEJで、
詳しく述べることにします。

posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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