2002年03月22日

軍歌は日本精神史の結晶である(EJ825号)

 昨年の暮れのことですが、友人に勧められて慶応義塾大学の塾
員を原則として会員とするBRBというクラブに入会しました。
BRBというのは「ブルー・レッド・アンド・ブルー」のことで
あり、慶應義塾大学の校旗/三色旗の色を意味しています。
 このクラブのどこが気に入ったかというと、午後7時から30
分ごとに演奏されるピアノの演奏にあります。最近はピアノを伴
奏として、ヴァイオリンの演奏も行われています。曲は季節にふ
さわしい曲や映画音楽などのごく一般的なものですが、ステージ
の最後の曲はピアノで慶応義塾大学の応援歌が必ず演奏されるの
です。これが実にいいのです。
 私は幼稚舎から慶応で、慶応以外の学校に行ったことはないこ
ともあって、幼稚舎の頃から耳にこびりついている慶応の歌は何
とも懐かしいのです。ですから、BRBに行くときは、支配人の
深沢さんに無理をいってピアノの音が一番よく聞こえるシートを
とってもらっているのです。
 なぜこんなことを書いたかというと、学校の歌に関連して国歌
と軍歌について少し書きたいからなのです。映画脚本家の林秀彦
氏の近著に『日本人と軍歌/海ゆかば山ゆかば』(PHP研究所
刊)というのがあり、とても面白かったからです。
 軍歌というタイトルをつけた本を書いているといっても林氏は
国粋主義者でも軍国主義者でもありません。彼はテレビドラマや
映画の優れた脚本家であり、その作品には、「ただいま11人」
「若者たち」「七人の刑事」「鳩子の海」などの名作があるので
す。それに林氏は、1988年からオーストラリアに移住してお
り、外国の地から日本を見ているのです。林氏と私はほぼ同年輩
であり、時代背景はよく分かるので、林氏のいわんとするところ
はよく理解できたつもりです。
 この本を読んでいくつかの発見をしました。そのひとつは、米
国には「軍歌」というジャンルの歌が存在しないことです。それ
どころか、世界中に日本のような軍歌は存在しないのです。林氏
は、終戦直後は「タキシード・ジャンクション」が米国の軍歌だ
と思っていたようです。
 林氏は映画『グレンミラー物語』に関して、次のように書いて
います。
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 『映画の一場面にもヨーロッパ戦線に慰問に出かけたミラー楽
 団が、大きな飛行機格納庫の中でGIに囲まれ、「チャタヌガ
 ・チューチュー」を演奏する場面がある。
 パードンミーボーイ、イズザッツァチャタヌガ・チューチュー
 と女性歌手が歌うと、男性コーラスが
 イェース、イェース、トラックトゥエンティナイン
 と歌い返す。驚異だった。当時ラジオで聞き、こんな軍歌を歌
 いながら進軍されては、わが皇軍が負けるはずだと肝に銘ずる
 ように納得した』。
 (林 秀彦著、『日本人と軍歌/海ゆかば山ゆかば』より)
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 実は、私もあの映画で、軍艦の中で米軍の兵士がジャズを聞き
ながら攻撃するシーンを見て、「これでは勝てない」と思ったも
のです。
 「軍歌」というジャンルが日本特有のものであるとすると、日
本人がいかにも戦争好きの国民のようにとられ勝ちですが、それ
は大きな間違いというものです。
 工学博士の新津靖氏の書物によると、日本以外の世界では、ユ
ダヤ人がバレスチナに移住した紀元前1880年から、米国のリ
ンカーン大統領が暗殺された1865年の約3700年間の間に
10000回の戦争が起きているのです。その間8000回の平
和条約が各紛争当事国同士で結ばれ、その条約は平均2年で破ら
れています。
 これに対して日本は、曽我・物部氏の争いから西郷隆盛の西南
の役まで50回しか“戦い”を経験していないのです。日本はそ
れまで戦争ということばを使っていないのです。日本における戦
争とは、ムラとムラの間の「諍い」からヤクザの「出入り」、元
寇の役といわれたりする「役」どまりです。あとは「合戦」であ
り「乱」なのです。まして、日本には宗教戦争などは経験したこ
とがないのです。
 戦争と呼ばれ出してからは、世界の帝国主義に巻き込まれた明
治以来、日清・日露・日中を経て大東亜戦争の終結にいたるまで
わずか4回なのです。軍歌は、このような戦争の異常に少ない日
本という国から生まれたものであることをよく認識する必要があ
ります。
 林氏によると、軍歌の起源は「久米歌」であるとのことです。
「久米歌」とは、神武天皇がながすねひこを征伐に行くとき、大
和朝廷の親衛隊である「久米部」を連れていき、彼らの戦意を鼓
舞して歌った歌であり、その歌に合わせて舞った舞が「久米舞」
なのです。この「久米歌」は、現在でも雅楽歌曲として宮内庁に
受け継がれています。実はこの久米歌の中に「撃ちてし止まむ」
や「神風」が出てくるのです。
 日本民族は古代から歌が好きな民族であり、雅楽はすでに10
00年以上前から日本に存在しているし、民謡もわらべ歌も起源
が探れないほど昔からあるのです。日本人は、嬉しいにつけ、悲
しいにつけ、また、恋をし、恋にやぶれ、人を送り、人を迎える
――そういうときに歌を歌い続けてきたのです。このような国は
どこを探しても日本しかなかったのです。
 歌合戦、歌合せというのもあります。林氏の表現を借りると、
「古代、歌は戦いであり、戦いは歌である」といわれていますが
軍歌もそういう環境の中から自然に生まれてきたものなのです。
 林氏は、軍歌は消し去ることのできない質文明としての武士道
的価値観を反映した「日本精神史の結晶」であり、世界に類を見
ないものであるといっています。来週もこのテーマをしぱらく続
けることにします。

825号.jpg
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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