2006年08月03日

レンヌ・ル・シャトーのソニエールの話(EJ1891号)

 「ダ・ヴィンチ・コード」では、小説でも映画でも「キー・ス
トーン」という言葉がよく登場します。「キー・ストーン」とは
何でしょうか。
 キー・ストーンというのは、もともとはアーチ型通路を造るフ
リーメーソンの門外不出の技術だったのです。石造りのアーチ型
通路の場合、頂点の部分にほかの石をつなぎ留めて全重量を支え
る楔形の石が必要になります。この石のことを「クレ・ド・ヴッ
ト」英語でキー・ストーン――要石と呼んだのです。そして、そ
の技術は代々口頭伝承で伝えられたのです。これは、フリーメー
ソンのロイアル・アーチという位階にも深い関係があるのです。
 ラングドンは、チューリッヒ保管銀行の支配人ヴェルネの運転
する装甲トラックの荷室の中でソフィーに次のように伝えるシー
ンがあります。
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 シオン修道会の伝承によれば、キー・ストーンとは暗号で記さ
 れた地図のことなんだ。そこに示されているのは聖杯の隠し場
 所だ。             ――ロバート・ラングドン
             ――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳
  『ダ・ヴィンチ・コード(中)』より。角川文庫14158
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 さて、「ダ・ヴィンチ・コード」を語るうえにおいて、避けて
通れないものが「レンヌ・ル・シャトー」に関する話なのです。
確か小説にも映画にも「レンヌ・ル・シャトー」の話は一切出て
こないはずですが、知っておく必要があります。
 レンヌ・ル・シャトーというのは、南フランスのカルカソンヌ
から25マイルほど離れた山頂の村です。この村の数マイル先に
はベズ山という山があるのですが、そこにはテンプル騎士団の遺
跡が残っているのです。
 それにレンヌ・ル・シャトーから東へ1マイルほど行った先に
は、テンプル騎士団の四代目総長を務めたベルトラン・ド・ブラ
ンシュフォールが住んでいたという家の跡が残っています。
 このレンヌ・ル・シャトー村は、このベズ山をはじめとする5
つの山に取り囲まれているのですが、それぞれの山の頂点を結ぶ
と五芒星を形成するのです。つまり、ベズ山をひとつの頂点とし
て、残りの4つの山頂を結ぶと、正五角形になるのです。これは
単なる偶然の産物ではなく、そこには明確な幾何学的規則性が見
られるのです。
 これについては、「ダ・ヴィンチ・コード」のタネ本のひとつ
といわれる「レンヌ・ル・シャトーの謎」の執筆者の一人、ヘン
リー・リンカーンの次の著書に詳しく出ています。
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  『隠された聖地』ヘンリー・リンカーン著/荒俣宏訳
                   河出書房新社刊
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 ヘンリー・リンカーンは、ある雑誌のインタビューで、幾何学
的模様がどのようにして出現するのかについて次のように述べて
います。
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 実のところ、幾何学性を完成させるために山頂を創出するとい
 うのは、別に人類の能力を超越した技術を要さない。例えば、
 誰もが人工的だと知っているシルベリー・ヒルや大ピラミッド
 の模様を見れば明白だ。だから、山々の五角形を象る頂点が調
 整された可能性は、十分ある。けれども個人的には、自然な状
 態でこれに近かったのではないかという驚異的な確率に賭けて
 みたい。       ――マーティン・ラン著/秋宗れい訳
        「ダ・ヴィンチ・コード・デコーデッド」より
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 このレンヌ・ル・シャトー村にベランジュ・ソニエールという
人物が祭司としてやってくるのです。「ダ・ヴィンチ・コード」
のソニエールはジャック・ソニエール――明らかにダン・ブラウ
ンは意識して「ソニエール」という名前を使っています。
 それに「ダ・ヴィンチ・コード」には、ベズ・ハーシュという
警部が登場しますが、この「ベズ」とレンヌ・ル・シャトーのベ
ズ山は関係があると思います。このように、原作者のダン・ブラ
ウンは、いろいろ関連資料をていねいに調べ、関連のある名前を
巧みに使っているのです。
 レンヌ・ル・シャトー教会にやってきたベランジェ・ソニエー
ルは、教会があまりにも荒れていたので、一部修復しようと考え
たのです。1891年のことです。この教会はマグダラのマリア
に献堂されたものとされ、6世紀の西ゴート族の教会跡地に建て
られていたのです。マグダラのマリアについては後で述べます。
 祭壇に埋め込まれている石をソニエールが外したところ支柱の
ひとつが空洞になっており、そのくり抜かれた柱の中に2つの木
製の筒に納められた4枚の羊皮紙が入っていたのです。
 4枚の羊皮紙のうち2枚は家系図のようなもので、その1つは
1244年、もうひとつには1644年の日付が記されていたの
です。残りの2枚は、ソニエールの前任者であるアントアーヌ・
ビグー神父によるラテン語の記録だったのです。このビグー神父
は、この地方の有力な地主であったブランシュフォール家の専属
司祭を務めていたのです。
 ビグー神父のラテン語の記録の1枚目は、1780年代のもの
であり、新約聖書からのラテン語の引用と思われます。もう1枚
は、意味のよくわからない文字が羅列されていたのです。
 何か重要な文書ではないかと考えたソニエールは、カルカソン
ヌ司教に相談したのです。後から振り返ると、それはソニエール
のその後の人生において大きな転換期となったのです。
 しばらくすると、司教はソニエールにパリに行って、カトリッ
ク教会のある聖職者と面会するよう命令し、そのための費用を渡
します。そのパリ行き以来、ソニエールの人生は大変貌を遂げた
のです。          ・・・・・・ [D−コード09]


≪画像および関連情報≫
 ・関連するあるブログより
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  1953年年某日、南フランスのレンヌ・ル・シャトーとい
  う、スペイン国境の近くピレネーの山麓にある小さな村で、
  とある資産家の婦人が静かにその人生を終えた。その村で生
  まれ、生涯そこを一歩も出ることなかった彼女。名はマリー
  ・デナルドー、享年77歳。彼女は、我々と変わらぬ善良で
  平凡な一市民として近くの墓所に葬られた。…だが、彼女の
  生涯は「平凡で善良な一市民」とするには、あまりにも奇妙
  で興味深いミステリーに満ちている。
      http://www.magiccity.ne.jp/~ks-w/ST/pass01.html
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

1891号.jpg
posted by 平野 浩 at 06:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ダ・ヴィンチ・コード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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