2011年08月04日

●「自自連立合意9項目は無血革命」(EJ第3112号)

 1998年11月19日のことです。その日、首相官邸の総理
大臣執務室で行われた小渕自由民主党・小沢自由党の両党首会談
で、自自連立が合意されたのです。
 連立交渉から基本政策にいたるまで、すべて小沢氏が一貫して
衝に当り、政策の一字一句まで詰めたといわれます。そしてこれ
は自民党による自由党政策の丸飲みというべき合意であったとも
いえるのです。
 小沢氏はこれを「無血革命」と称しています。合意書にサイン
した小沢氏は、自由党の側近たちとの祝勝会で次のように述べて
いるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 自民党はすでに保守党としての使命を終えている。9項目の政
 策は自民党内から生まれることなどありえなかった。外から変
 え、抑えるのが一番いい。(一部略)この連立を一言でいうと
 無血革命だ。9項目を見ればその意味がわかるだろう。
                  ──渡辺乾介著/小学館
              『小沢一郎/嫌われる伝説』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここでいっている「9項目」とは、前回ご紹介した合意書の大
項目の中の細目です。整理して以下に示しておきます。これは小
沢氏の著書、『日本改造計画』をベースとし、現在の民主党の政
策にもつながるものです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ◎第1項目(政治・行政改革)
  国会の政府委員制度を廃止し、国会審議を議員同士の討論形
  式に改める。
 ◎第2項目(政治・行政改革)
  与党の議員は大臣、副大臣、政務補佐官として政府に入り、
  与党と政府の一体化を図る。
 ◎第3項目(政治・行政改革)
  中央省庁の再編は1府12省とする。ただし、閣僚の数は、
  金融監督庁所管の大臣を加えて14人とする。
 ◎第4項目(政治・行政改革)
  国家公務員は平成11年度採用分から毎年新規採用を減らし
  公務員を10年間で25%削減する。
 ◎第5項目(政治・行政改革)
  衆議院、参議院とも当面、議員定数を50ずつ削減すること
  を目標として、自由民主・自由両党間で協議を行い、次の通
  常国会で公職選挙法の改正を行う。
 ◎第6項目(安全保障)
  わが国は、わが国が武力による急迫不正の侵害を受けた場合
  に限り、武力による阻止、反撃を行う。国際連合の総会また
  は安全保障理事会で国際平和活動に関する決議が行われた場
  合には、国連の要請に従い、その活動に従事する。
 ◎第7項目(安全保障)
   第6項目の原則に基づいて、法整備を整備する。
 ◎第8項目(税制改革)
  消費税については税率・福祉目的への限定(基礎年金、高齢
  者医療、介護等)などの抜本的見直しを行う。
 ◎第9項目(税制改革)
  所得税、住民税等の減税規模は10兆円を目途とする大幅減
  税を実施する。その内、法人関係税の実効税率は40%に引
  き上げる。     ──渡辺乾介著の前掲書よりのまとめ
―――――――――――――――――――――――――――――
 実は小渕と小沢両氏は、政治改革の真の実現は自自連立では無
理であると考えていたのです。旧来の自民党の体質ではこの改革
は受け入れられないとみていたからです。
 そもそも自自連立が成立したのは、橋本自民党が1998年7
月の参院選で惨敗し、参院の与党少数のねじれ国会になったこと
がベースにあります。どこかと組まないと政権運営が困難になっ
ていたからです。現在の民主党と同じ状況です。
 小渕首相は別として、多くの自民党幹部は参院に多数の議席を
持つ公明党と連立を組んで、小沢の自由党を追い出すことを考え
ており、そのことは小渕・小沢両党首も百も承知だったのです。
 案の定というべきか、自自連立がスタートした翌年の1999
年10月に公明党が加わって自自公連立になったのです。これを
機に自民党は反転攻勢に出ます。政策会議に小沢氏が出てくると
仕切られてしまうので、自自公3党の幹事長会談を立ち上げて、
小沢氏の影響力を排除しようとしたのです。
 そういうわけで、小渕氏と小沢氏は自民党を解体し、他の保守
勢力と合わせて、保守新党を立ち上げる計画──保守合同を考え
ていたのです。実際に小渕・小沢両氏は、その新党協議を非公式
ではあるが、数回行っています。しかし、これに危機感を抱いた
のは、旧経世会と清和会などの自民党主流派です。
 「このまま傍観すると小沢にやられる!」──当時幹事長代理
の野中広務氏や官房長官の青木幹雄氏が小渕首相に強い縛りをか
けて小沢氏に同調しないようにしたのです。
 野中と青木両氏は、自由党内に手を突っ込み、連立維持派の抱
き込み工作をやったのです。このとき小沢氏を裏切り、自民党に
寝返った議員が今も自民党にたくさんいます。
 小沢氏は猛然とこれに抗議し、連立離脱を宣言して巻き返そう
とします。その板ばさみになったのは小渕首相です。おそらくこ
れが原因で、小渕首相に病魔が少しずつ巣食っていったのです。
こればかりは小沢氏の計算外のことだったのです。
 2000年4月1日、三党首会談が行われたのです。この時点
で小沢氏は連立離脱を決めており、公明党を取り込んだ自民党は
自由党にたいし、「お好きにどうぞ!」の姿勢だったのです。し
かし、小渕首相は悩みに悩んでおり、この会談終了後に小渕氏は
脳梗塞で倒れてしまうのです。── [日本の政治の現況/38]


≪画像および関連情報≫
 ●自由党とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  自由党は、かつて存在した日本の政党。憲政史上、数々ある
  日本の自由党と区別するため、小沢自由党と呼ばれることも
  ある。1998年1月5日に届出、1998年1月6日に結
  党大会を開いた。但し、法的には新進党分党によるものであ
  るため、1998年1月1日発足。2003年9月26日、
  解党し、民主党に吸収合併された。政策スローガンは「日本
  一新」である。           ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

野中広務氏.jpg
野中 広務氏
posted by 平野 浩 at 04:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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