2011年06月30日

●「検察劣化の元凶/平沼騏一郎」(EJ第3088号)

 検察は他の官僚にも増して「天皇の忠臣」のような存在でした
が、それに伴い強大な権力が与えられていたのです。検察がその
権力を利用して司法制度全体の支配に向けて動き出したのは19
20年代のことです。そのとき、背後で権力を振るった人物がい
ます。平沼騏一郎がその人です。ウォルフレン氏は平沼騏一郎に
ついて次のように述べています。
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 我々は山縣有朋に続き、日本でのそういう状況の背後で権力を
 ふるった、あるひとりの人物を明らかにすることができる。平
 沼騏一郎である。平沼は当時、日本社会を支配するための仕組
 み作りにおいて、山県に勝るとも劣らぬ働きをなした。彼はマ
 ルキシズムやリベラリズムといった海外の理論に断固として反
 対した、つまりは民主主義の恐るべき敵であった。(中略)検
 察の政治家に対するあつかい方を確立したのが平沼であった。
       ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/井上実訳
         『誰が小沢一郎を殺すのか?』/角川書店刊
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 平沼騏一郎とはどういう人物なのでしょうか。
 平沼騏一郎は、保守的かつ国粋主義的な政治姿勢を持ち、民主
主義、社会主義、共産主義といった外来思想を危険視した人物と
して知られ、第35代内閣総理大臣を務めています。
 平沼騏一郎の思想には2つの柱があるのです。
 第1の柱は、天皇が統治の主体で、祭政一致の政治を行うべき
であるということです。そのため、大日本帝国憲法下で確立され
た憲法学説である「天皇機関説」に反対したのです。
 第2の柱は、わが国古来からの良さを確保した上で外国の美点
を採り入れるということです。そして、日本には他に誇るべき特
有の良さがあるとして「国本社」という思想的啓蒙運動団体を主
宰し、日本精神主義、国粋主義的な思想を宣伝したのです。
 天皇機関説というのは、統治権は法人としての国家にあり、天
皇はその最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの補
佐を受けながら統治権を行使すると説いたもので、憲法学者の美
濃部達吉らが唱えたものです。
 憲法学者の宮沢俊義氏による「天皇機関説」の解説をご紹介し
ておきます。
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 国家学説のうちに、国家法人説というものがある。これは、国
 家を法律上ひとつの法人だと見る。国家が法人だとすると、君
 主や、議会や、裁判所は、国家という法人の機関だということ
 になる。この説明を日本にあてはめると、日本国家は法律上は
 ひとつの法人であり、その結果として、天皇は、法人たる日本
 国家の機関だということになる。これがいわゆる天皇機関説ま
 たは単に機関説である。
  ──宮沢俊義『天皇機関説事件(上)』有斐閣、1970年
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 平沼騏一郎は、帝国大学法科大学(後の東京大学法学部)を卒
業した法律の専門家で、司法省と枢密院に大きな影響力を持って
いたのです。しかし、第2次若槻内閣や浜口内閣に対する攻撃や
天皇機関説排撃事件などにより、実力者ではあったが、明治の元
老のひとり西園寺公望に嫌われ、本人の強い希望にもかかわらず
首相候補にも枢密院議長にもなれず、副議長に据え置かれたまま
であったのです。
 そのため、平沼は検事総長のときに、西園寺と彼の育てた立憲
政友会を潰すための国策捜査を仕掛けます。これが「帝人事件」
です。この事件は昭和9年(1934年)4月に発覚した帝人株
取得をめぐる大疑獄事件です。
 平沼の意向を受けた検事たちの捜査は、立憲政友会幹部らの逮
捕を優先して、裏付けとなる証拠収集があまりにも杜撰であった
ために、起訴したものの、公判では全員無実無根であるとして無
罪判決が出されてしまったのです。
 しかし、平沼はその後も司法省を牛耳り、前例のない9年間に
わたる長期間、検事総長を務めています。そして、司法大臣に上
りつめ、西園寺が老齢により政治の表舞台から一歩引いた後に、
やっと枢密院議長になり、総理大臣に就任するのです。
 平沼騏一郎は、政治化した日本の検察官の典型であり、自分が
嫌う政党を捜査し、収賄事件に関わった政治家に有罪判決を下し
強制的に議員を辞職させたのです。しかし、自分の政治的キャリ
アのためには、政治家を起訴せず、その政治力を利用してポスト
を手に入れるという卑劣なことも平気で行なったのです。
 この平沼の手法を真似たのは元検事総長である馬場義続です。
彼は当時の自民党の実力者であった河野一郎をやり玉にあげ、河
野の懇願によって調査は中止し、河野の政治力を利用して検事総
長になったのです。ウォルフレン氏は1960年の時点で現在大
きな問題になっている検察による多くの冤罪事件が起きることを
次のように予測しているのです。
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 検察のほとんど無敵ともいえる地歩のために、誤審裁判はあと
 をたたないのではないかと考えられる。日本では、公の場で論
 駁されると顔に泥を塗られることになりかねないからである。
 法学者・野田が指摘するように、検察の活動は〃疑わしきは罰
 せず≠フ原則に従っていない。彼らに面目を失わせるようなこ
 とは裁判官もしない、ということを検察は知っているのだ。法
 廷において、弁護士が、検事ばかりでなく裁判官をも敵側とみ
 なすこともよくある。さらに、裁判官の下した判決が控訴審で
 覆されては株が下がるので、検察側の意向に沿うほうが得策だ
 ということもある。  ──カレルウォルフレン著/篠原勝訳
            『日本/権力構造の謎』上/早川書房
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             ─── [日本の政治の現況/14]


≪画像および関連情報≫
 ●「検察の劣化は帝人事件にはじまる」/EJ第2802号
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  これからしばらく戦前戦後の政治的大事件にからんで、当時
  のマスコミがどのように動いたかについて見て行くことにし
  ます。そうすることによって、検察に代表される官僚機構プ
  ラス政権与党(自民党)と大企業とマスコミがどのようにして
  連合軍を組むにいたったかが見えてくると思うからです。1
  934年のことです。「帝人事件」という事件が起こったの
  です。帝人──帝国人造絹絲株式会社は当時鈴木商店の系列
  下にあったのですが、1927年の恐慌で鈴木商店が倒産す
  ると帝人の株式22万株は台湾銀行の担保になったのです。
http://electronic-journal.seesaa.net/article/147779677.html
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平沼騏一郎.jpg
平沼 騏一郎
posted by 平野 浩 at 04:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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