2011年06月29日

●「明治政府の法律の扱い方の特殊性」(EJ第3087号)

 日本の検察の役割は、ヨーロッパ諸国や米国の検察とは、明ら
かに異なるとウォルフレン氏はいいます。日本の検察は国の秩序
を守ることが任務であると考えています。しかし、それは明らか
に欧米の検察の守備範囲を超えており、そんなことはいわば余計
な任務であるとウォルフレン氏はいいます。
 明治の為政者は外国から成文法典を移入したのですが、肝心の
法の精神の部分は完全に欠落しており、かたちだけの導入になっ
ています。しかし、それでも徳川時代に比べると、国民は大幅な
権利と自由を手にしています。しかし、それには次の条件が付い
ていたのです。
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 社会の安寧秩序を妨げず、臣民たるの義務に背かざる限りにお
 いて、(彼らの権利と自由に制限を加える)法律の範囲内にお
 いて・・・
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 しかし、山縣有朋は法律に頼り過ぎることの危険を肌で感じて
いたのです。そこで法律を導入しても、知識人が「悪い思想」を
抱かないように対策を立てています。山縣は法律を「政治に対す
る防護物」として活用することを考えたのです。その結果、法律
は権力者の有力な道具に変質したといえます。そのため、日本の
国民にとって法律というものは、政府が国民の行動を抑制するも
のとして受け止められたのです。
 この山縣有朋の考え方が、後の治安維持法の制定や思想警察の
誕生につながっていくのです。これによって警察や検察も当然そ
の影響を大きく受けます。そのため、日本人は1945年の敗戦
まで、政治的権利という概念を、身近なものとして感ずることは
なかったといえます。
 ウォルフレン氏は、日本の検察の特殊性として彼らが容疑者を
法廷に引き出すという公式の任務を果たすさい、ほとんどのケー
スで勝利を手にしていることを上げています。その有罪判決率は
99.9 %という高い確率であったからです。
 この有罪判決率について書かれている「金融そして時々山」の
ブログをご紹介します。
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 最近日本のことをほとんど取り上げなくなったエコノミスト誌
 が珍しく「検察か迫害者か」という記事で、日本の刑事裁判の
 問題を世界の読者に紹介していた。その話の内容は日本のマス
 コミに流れているものと重複するので、細かい紹介は省略する
 が、欧米諸国の有罪判決率と人口当たり弁護士の数を紹介しよ
 う。記事によると日本の有罪判決率は99.9%でこれは中国
 と同じレベルだ。米国、ドイツ、英国の有罪判決率は85%、
 81%、55%である。これについて日本は刑事訴訟に係わる
 人的資源が少ないので、検察は有罪の確信が持てる事件だけを
 訴訟に持ち込むと日本の法律家は擁護している。ある東京地検
 の元検事は、もしある検事が一回敗訴するとキャリアをひどく
 傷付けられ、二回の敗訴はキャリアの終わりにつながるだろう
 と述べている。
http://kitanotabibito.blog.ocn.ne.jp/kinyuu/2010/10/post_74d0.html
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 有罪判決率99.9 %ということを冷静に考えてみると、日本
の検察官は裁判官の役割も同時に果たしているということになり
ます。裁判にさえ持ち込めば有罪にはできるからです。
 もうひとつ大きな問題があります。日本の法律の条文は、検察
官が自らの目標(起訴)を達成しやすくするため、幅を持って解
釈できるようわざと曖昧な表現が使われていることです。つまり
そのときの状況に応じて起訴したり、不起訴にできるようになっ
ているのです。つまり、検察官は起訴するかしないかを恣意的に
決めることができることになります。
 その典型が政治資金規正法なのです。小沢一郎事務所は、他の
ほとんどのケースでは形式犯として訂正をするだけで済んでいる
事案であるのに、小沢事務所の場合は秘書全員が逮捕され、強制
捜査を受け起訴されています。これは検察の考え方ひとつでどの
ようにでもできることを示しています。
 これでは特定の政治家を狙い撃ちにしたといわれても仕方がな
いと思います。検察はそれに加えて記者クラブを通じて情報をリ
ークし、小沢一郎氏の政治生命を失わしめる試みを執拗に行って
いるのです。こんなことが現代の日本でも平然かつ堂々と行われ
ているのです。これについては、改めてその問題性を指摘するつ
もりでおります。
 ウォルフレン氏は1960年代から70年代にかけて日本の政
治や権力構造について研究し、『日本/権力構造の謎』という大
書をまとめています。そのなかで、日本の検察の特殊性について
「法を支配下におく」という章(8章)を設けて、このことにつ
いて詳しく述べています。
 この章のなかでウォルフレン氏は、検察官と裁判官の関係につ
いて、次のように述べています。
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 日本の検察権力の優位性は、一九二〇年代から受け継がれてい
 る。当時は、まるで裁判官が検察官の召使のように考えられる
 ほど、検察が司法界を支配していた。法廷では検察官が裁判官
 とともに高座についた。一九三〇年代には、「国体の本義」の
 思想を推進し、政治家も含め、この思想を脅かす危険性がある
 とみなされた者との闘いに検察官職が主要な役割を果たした。
       ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/篠原勝訳
            『日本/権力構造の謎』上/早川書房
―――――――――――――――――――――――――――――
 現在と違って、検察官は裁判官と一緒に高座についていたとい
うことですが、それは当時の検察官がいかに力を持っていたかを
あわわしています。    ─── [日本の政治の現況/13]


≪画像および関連情報≫
 ●明治時代の法廷風景/【宮津裁判所法廷】
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  こちらは明治時代の法廷です。この、宮津裁判所は、外見は
  普通の家のようです。珍しく「欧米化!」されていない裁判
  所です。一番手前の長椅子に腰掛けているのが被告人です。
  その隣で、制服姿の男性が、被告人に逃走をさせまいと、厳
  しく監視しております。写真奥、壇上の左から、検察官(赤
  い唐草模様)、裁判官(紫)、書記官(襟だけ緑)です。行
  われているのは冒頭陳述か、はたまた論告なのでしょうか。
  写真右端、忘れられそうなぐらいに小さく座っているのが、
  被告人の味方である弁護人(白)です。
      http://chisai.seesaa.net/article/40678563.html
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明治時代の法廷風景.jpg
明治時代の法廷風景
posted by 平野 浩 at 04:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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