国──ネーションとは何でしょうか。
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「国」とは何か。国(民族国家)とは、共通言語を使用し、
ほかとは異なる独自の文化があるところ(場所)である。
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この点に立つと、日本はネーションであることは間違いないと
いえます。それでは、「国家」とは何でしょうか。
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「国家」とは何か。国家とはその国土の究極的な統治権を有
し、権力の最高裁決者である。
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ここで注目すべきは「権力の最高裁決者」です。ごく常識的に
いえば、これは「国会」ということになります。日本は議会制民
主主義の国であるので、主権は国民にあり、立法権は選挙で選ば
れた議員によって構成される「国会両院」にある──そういうこ
とになります。しかし、確かに法案を最終的に決めるのは国会で
すが、それをもって「権力の最高裁決者」といえるかというと、
大きな疑問があります。
なぜなら、今や国会での法案についての議論や裁決はほとんど
儀式化しているからです。議論は噛み合わないし、法案は提出時
点で裁決の結論が出ているからです。
これについて、権力があるように見える組織について、ウォル
フレン氏は次のように言及しています。
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国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見
える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらに
も、究極的な権力はない。ボスはたくさんいるが、ボス中のボ
スといえる存在はないし、他を統率するだけの支配力のあるボ
ス集団があるわけでもない。首都が国の経済、文化の中心だと
いう意味では、日本は高度に中央集中型の国と言える。東京は
パリやロンドンに負けず劣らず、〃すべてのものがある¢蜩s
市である。大企業は、中央官庁の役人から離れないよう、本社
あるいは重要な支社を東京に構える。主要教育機関も、ここに
集中している。予算陳情のためには、地方自治体も国の中央官
僚に取り入らなけれはならない。
──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/篠原勝訳
『日本/権力構造の謎』上/早川書房
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ウォルフレン氏は、事実上の「権力の最高裁決者」として中央
官庁の上級官僚と大企業を暗示していますが、これはきわめて興
味深い指摘であるといえます。
そういう中央官庁の上級官僚と、主権者である国民とをつなぎ
政治的コミュニケーションを可能にするのが政治家の仕事なので
すが、ウォルフレン氏は、日本の政治家はその役割を果たしてい
るとはいえないとして次のように述べています。
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政治家の公式な役割は、「公僕」であるはずの官僚と国民との
あいだを仲介することだ。だが、政治家はその役割をはたして
いない。理論上は、公式の政府を形成するために選出された政
治家たち(すなわち首相の率いる内閣の閣僚たち)だけが、官
僚を支配する力をもっている。しかし、閣僚たちは長いあいだ
その力を行使していない。彼らは、民主主義国で彼らの役割と
されていること、すなわち政治的説明責任(アカウンタビリテ
ィ)の中枢を形成する努力をしていない。
──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/鈴木主税訳
『人間を幸福にしない日本というシステム』/OH!文庫
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公務員幹部の天下り問題が平然と続く中で、日本の政治権力は
拡散し、官僚の上層部と経済界のエリートの上層部、それに一部
の政界のエリートが結びつき、それはかなり厚い層を形成してい
るのです。この分散化している政治権力が政治システムを形成し
ているわけです。
この政治システムにとって、この国の最も重要なことは、すべ
てこの層によって企画され、財源がつけられ、実行に移されてい
るのです。しかし、この政治勢力は表面から姿を隠しているので
国民には、はっきりとは見えず、どのように権力が行使されてい
るのかわからないのです。そのため、「姿なき権力者」といわれ
るのです。
ウォルフレン氏は「社会の政治化」という言葉を使います。民
間部門と公共部門の境界がわからなくなっているからです。そこ
で、ウォルフレン氏は官公庁で働く官僚と、業界団体や系列企業
や系列銀行の高度に官僚化された幹部をまとめて表現する言葉が
必要になるとして、次の言葉を使っているのです。
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管理者たち/アドミニストレーターズ
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この「管理者たち」にマスコミが加わった連合体が現在の日本
を動かしているのです。本来、マスコミの中心である新聞は「社
会の木鐸」といわれています。その意味は、世に警告を発し、社
会を正しい方向に導くということであり、新聞の代名詞であった
のです。「鐸」とは法令を宣布するときに振って鳴らした大型の
鈴のようのもので、文事には木の舌のもの(木鐸)、武事には金の
舌のもの(金鐸)を用いたとあります。
本来であれば、おかしな政治システムの不正を暴いて広く国民
に知らせるのが役割であるのに、今のマスコミは明らかに権力側
についており、その権力を毀す恐れのあるものに対しては、事実
をねじ曲げることなどなんとも思っていないようにみえます。
─── [日本の政治の現況/09]
≪画像および関連情報≫
●池田香代子氏のブログ「社会の木鐸」/一読の価値あり
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社会の木鐸。この言い回しがいつごろから使われるようにな
ったのか知りませんが、最近は聞かないので、若い方はご存
じないかも知れません。木鐸は「ぼくたく」と読み、「社会
の」がつくと、新聞や新聞記者を指します。人びとに真実を
伝えて警鐘を鳴らし、世論形成を助ける存在、というほどの
意味合いです。歴史的オブジェとしての木鐸は、金口木舌─
─「きんこうもくぜつ」とも言われるように、金属の本体に
木製の棒を打ち当てて音を出すもので、古代中国で人びとに
情報を知らせる人が鳴らしました。為政者に遠ざけられた孔
子が木鐸になぞらえられた故実から、権力とは一線を画し、
社会のあるべき姿を示すオピニオンリーダー、というニュア
ンスがあります。
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51322671.html
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「日本/権力構造の謎」/ウォルフレン著