2011年06月20日

●「明治以後日本を支配している思想」(EJ第3080号)

 日本の政治体制は明らかに異常であるといえます。その真の原
因を突き止めるには、明治維新以降の歴史を辿ってみる必要があ
ります。カレル・ウォルフレン氏の著書などを参考にして整理し
て行くことにします。
 徳川幕府はなぜ260年も続いたのでしょうか。それは支配者
にとっては、いわゆる幕藩体制が非の打ちどころがないほど完璧
な社会体制であったからです。また、その社会に住む多くの人た
ちもそれを当然のものとして受け入れたのです。
 徳川幕府が多くの人たちにその社会体制が最善のものであると
信じさせるためにはひとつの条件が必要であったのです。それは
「人々が自分たちの生活には多くの改善の余地がある」ことを分
からせないようにすることです。それは独裁体制国家が常套手段
してよく使う手法そのものです。
 それは、人々を外国人から遠ざけることです。その手段として
鎖国体制をひき、海外渡航を禁じ、違反者を処刑して口を塞いだ
のです。要するに、外国の情報を遮断して入れないようにするこ
とですが、これはほぼ完璧に実施されています。
 もうひとつ徳川幕府の為政者は、藩同士や家同士はもちろんの
こと、個人同士であっても深刻な対立を防止するため、「喧嘩両
成敗」という巧妙な方法を考え出したのです。それは、次のよう
な理屈に基づいています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 喧嘩においては片方が正しいという事はあり得ず、双方とも
 に非がある。            ──ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 この喧嘩両成敗の考え方は、江戸時代までは慣例法として継続
され、その後も日本人の精神観としては現在まで脈々と受け継が
れてきています。
 しかし、これは本来おかしなロジックなのです。「双方それぞ
れにどんな非があったかを吟味せずに同罪として処断する」とい
うやり方はかなり乱暴な考え方です。西欧ではとても考えられな
いことなのですが、一応理屈は通っているので、日本人の心に深
く浸透していったのです。
 さて、戊辰戦争が終結し、日本を統一した明治政府の為政者が
日本全体をまとめ、政治体制を維持するために必要としたものは
巧妙なイデオロギーであったのです。
 なぜなら、自らが否定した徳川幕府の政治体制を再現すること
はできないからであり、それに既に開国されており、世界からの
情報流入は止めようがないからです。さらに日本が西欧諸国に伍
していくために、議会制度を導入しなければならないので、それ
に伴い政治家が誕生し、新聞などのメディアの登場も、不可避に
なっていたのです。
 それらをすべて前提としたうえで、全国民をひとつのイデオロ
ギーで縛ろうというのです。ウォルフレン氏によると、そのイデ
オロギーを支える考え方のキーワードは次の2つです。
―――――――――――――――――――――――――――――
            1.調 和
            2.独自性
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1のキーワード「調和」について、ウォルフレン氏は、日本
では、誰かが誤って足を踏んだら、踏んだ人と踏まれた人の両方
がお互いに謝るということを例えとして上げています。確かにそ
ういうことはあると思います。
 電車のシートに座っていて、足を少し前に伸ばしていたとき誰
かから足を踏まれたとします。そういうとき、足を踏んだ方は当
然謝るし、踏まれた方も自分がそういう場所に足を置いていたこ
とを反省し謝らないまでも寛容の態度をとる──そういうことは
ある一定の年齢を超えている人同士ではあると思います。
 これは「調和」の精神であり、江戸時代まで慣例法になってい
た喧嘩両成敗の考え方に基づいています。つまり、深刻な対立の
表面化を最小限に抑える慣例なのです。しかし、こういうことを
続けていると、当然欲求不満が累積してきます。それを日本人は
「仕方がない」という言葉に押し込めてしまう──ウォルフレン
氏はそのようにいっています。
 第2のキーワードの「独自性」とは、日本人は他の民族と違い
特殊な存在であり、単一民族で同質性があるので、日本人同士な
ら、多くの言葉を使わなくても以心伝心で伝わるというきわめて
日本的な考え方を意味しています。
 この2つのキーワードを極めて巧妙に織り込んでできたイデオ
ロギーが「国体思想」なのです。この国体思想についてウォルフ
レン氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 国体思想の基盤は日本は一つの巨大な家族になぞらえうるほど
 特別に恵まれた国だという幻想である。つまり、すべての日本
 人がこの家族の一員であり、家族国家の中心である慈悲深い天
 皇のおかげで、全員が大いに恩恵を受けているというわけだ。
 国体思想が確立されたあと、明治政府は明けても暮れてもこの
 思想を人びとに吹きこんだが、こんな国家体制をもつ国は日本
 だけだった。─カレル・ヴァン・ウォルフレン著/鈴木主税訳
   『人間を幸福にしない日本というシステム』/OH!文庫
―――――――――――――――――――――――――――――
 考えてみると、この国体思想があったため、日本はあの不毛の
戦争に突き進んだのです。この思想は、1945年の日本の敗戦
によって公式には放棄されています。
 しかし、国体思想の多くは生き残っています。日本人の国民的
記憶のなかに残っているのです。そしてそれを支える官僚体制は
ますます強固になって残っています。こういうものが異常な「小
沢外し」につながってくることになるのです。
             ─── [日本の政治の現況/06]


≪画像および関連情報≫
 ●「国体」とは何か/政治評論家・山本峯章氏
  ―――――――――――――――――――――――――――
  国体は、その国特有の国のかたちである。神話や歴史、伝統
  的価値観、民族文化などの背骨をもち、多くの場合、王政・
  君主制をともなっている。国体に対応するのが、国土の保持
  や治世、外交などをうけもつ政体である。政体(権力)は、国
  体(権威)の認証を得て初めて、権力としての正当性を発揮で
  きるのである。国体と政体の両方をそなえた先進国家は、日
  本のほかには、イギリスなどヨーロッパの王政国家があるだ
  けで、立憲君主国家は、国連に加盟している一九二の国のな
  かで、二十数国にすぎない。フランスやロシア、中国などは
  みずから歴史の連続性を断ち、アメリカは、歴史そのものを
  もたない。その他、多くの国々も戦争や植民地化などによっ
  て、国体を放棄しており、世界の大半は、民主主義を掲げた
  政体国家である。
http://www.kunidukuri-hitodukuri.jp/web/kikou/kikou_28.html
  ―――――――――――――――――――――――――――
 ●図の出典「国体とは、こんな感じ」
  http://www.tanken.com/kokutai.html

国体とは、こんな感じ.jpg
国体とは、こんな感じ
posted by 平野 浩 at 04:06| Comment(3) | TrackBack(0) | 日本の政治の現況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「国体思想の基盤は日本は一つの巨大な家族になぞらえうるほど特別に恵まれた国」「すべての日本人がこの家族の一員であり、家族国家の中心である慈悲深い天皇のおかげで、全員が大いに恩恵を受けている」という考えの、どの辺が幻想なのでしょうか?

国体の護持によって、日本人は大いに恩恵を受けているというのが、世界の他の国に比べると「事実」だとしか思えないのですが?
Posted by 佐和 at 2011年06月20日 14:35
勉強になりました。
Posted by 初沢克利 at 2011年06月21日 12:24
勉強になりました。
Posted by 初沢克利 at 2011年06月21日 12:24
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