2006年07月12日

ロスリン礼拝堂は未完成ではない(EJ1876号)

 ロスリン礼拝堂は調べれば調べるほど、実に奇怪な建造物であ
るといえます。この建物を飾る装飾は、エジプト的、ケルト的、
ユダヤ的、テンプル騎士団的、そしてメーソンリー的です。
 星のちりばめられた天井といい、柱やアーチに無数に彫られて
いる植物や絡み合ったピラミッド、モーセの像、天上のエルサレ
ムの塔、波形緑十字、まさに渾然一体の感があります。そして、
例の定規とコンパス――それは明らかにキリスト教会のそれでは
ないのです。
 そのロスリン礼拝堂の南西の天井隅にある人頭像――よく見る
と、右の頬に深い傷があるのです。そういうところから、この人
頭像は、ヒラム・アビフであるといわれているのです。なお、こ
の像については異説もあります。
 ヒラム・アビフについて、少し整理しておく必要があります。
今まで述べてきたことを整理すると、次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.ヒラム・アビフは、ソロモン王自身が建築した神殿の建設
   設計・管理の総責任者である。
 2.ヒラム・アビフは、エジプトのセクエンエンラ2世であり
   ヒクソス王により殺害された。
 3.ヒラム・アビフは、フリーメーソンリーの始祖であるとし
   て秘儀に取り入れられている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ヒラム・アビフに関しては、誰でも考える疑問があるのです。
それは、ヒラム・アビフが本当にセクエンエンラ2世であるなら
なぜ、エジプトの王がソロモンの神殿の建設設計・管理者に結び
つけられるのかという点です。
 セクエンエンラ2世は古代エジプトの正統な王であり、マアト
の守護者なのです。既に述べたように、マアトはダチョウの羽根
のことですが、正義、真実、公平を裁く裁判で使われる道具なの
です。そういうところから、マアトは、神殿の基盤の建造という
行為に象徴されるといえます。
 当時ユダヤ人は独自の文化を持たない新興民族であり、このセ
クエンエンラ2世の伝説――支配者の圧力に屈せず、古代エジブ
トの王位継承の秘儀を断固守るというエピソードを自国の歴史に
取り入れようとして、ヒラム・アビフの伝説を創作したものと思
われるのです。
 問題は、ヒラム・アビフの伝承が、なぜ、フリーメーソンリー
の秘儀に取り入れられているかです。これについては、フリーメ
ーソンというものがここまで調査してきても、今ひとつはっきり
していない状況ではその理由を明確に把握できないのです。
 さて、もう一度ロスリン礼拝堂に戻って考えましょう。
 ロスリン礼拝堂はキリスト教会ではないが、キリスト教会的な
ものも多少あります。ステンドグラス、不調和な洗礼盤、聖母子
像などです。それに北の壁には小さな磔刑像もあり、一見すると
イエス・キリストの磔刑像のように見えます。しかし、よく見る
と違うのです。
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  1.登場している人物がすべて中世の衣装をしている
  2.十字架は同じタウ十字だが、釘の打ち方が異なる
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 フードを被った異端審問官が登場しており、衣装が中世のもの
です。さらに架けられている十字架は「T」字形の「タウ十字」
であり、イエスのときと同じですが、釘の打ち方が違うのです。
釘は掌ではなく、手首に打たれているのです。したがって、これ
は明らかにイエスの磔刑像とは異なるのです。
 したがって、これは、テンプル騎士団のグランドマスター、ジ
ャック・ド・モレーの拷問の姿と思われます。礼拝堂の別の場所
には、EJ第1846号でご紹介したジャック・ド・モレーの顔
の描かれたトリノの聖骸布を持つテンプル騎士団の姿まであるの
ですから、間違いないでしょう。
 ロスリン礼拝堂で、今まで歴史家を悩ませてきた大きな問題が
あるのです。それは、この建物が未完成のまま放置されてきたと
思われることです。
 マイケル・ベイジェント/リチャード・リーの本には、次のよ
うに書いてあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ロスリンの礼拝堂は、もともとはフランスの大聖堂のような本
 格的な規模をもつ巨大な供住聖職団教会として建てられた大聖
 堂に付属した、いまよりもはるかに大きな聖母礼拝堂の一部分
 として計画されたものであった。ところが資金が底をついたた
 め、この計画が頓挫してしまったのである。現存する西壁には
 巨大な石の塊が突き出たまま放置され、これを完成する石は二
 度と到着しなかった。
 −マイケル・ベイジェント/リチャード・リー共著/林和彦訳
   『テンプル騎士団とフリーメーソン/アメリカ建国に至る
       西欧秘密結社の知られざる系譜』より。三交社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ロスリン礼拝堂を建てたのは、サー・ウイリアム・サンクレア
という人物です。上物については比較早く建てられたのですが、
完成に実に45年の年月をかけているのです。それは、どうやら
地下構造に相当の時間をかけていたものと思われます。
 マイケル・ベイジェント/リチャード・リーの主張に対し、ナ
イト/ロマスは次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この建物は、この不完全な形で完成しているのだ――すなわち
 それは、当初より破壊された神殿の遺跡を模して作られたもの
 だったのである。――『テンプル騎士団とフリーメーソン/ア
    メリカ建国に至る西欧秘密結社の知られざる系譜』より
                         三交社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−・・・・・ [秘密結社50]


≪画像および関連情報≫
 ・十字架の起源
  今はキリスト教のシンボルとして定着しているクロスですが
  起源は古く旧石器時代には存在していたとも言われキリスト
  教が起こる以前からあるものです。キリスト教が起こる以前
  は異教のシンボルとされていたようです。死刑の判決をうけ
  たイエスは自ら十字架をかつぎ、処刑場(ゴルゴタの丘)へ
  歩かされ、処刑されました。初期のキリスト教徒にとっては
  十字架はイエスを殺した道具にすぎなかったのですが、4世
  紀に入ってからキリスト教を公認したローマのコンスタンテ
  ィヌスが、戦いの前に十字架の夢を見て、戦いに勝ったこと
  から、十字架はキリスト教のシンボルとされるようになりま
  した。
  http://www.silvercross-catalog.com/sidemenu/aboutcross.htm

1876号.jpg
posted by 平野 浩 at 06:29| Comment(1) | TrackBack(0) | 秘密結社の謎と真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わたしは、イルミナティのきじもやっています。
Posted by mituboshi at 2010年03月22日 01:22
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