などに接することなく、自立構造で立っている柱が14本もある
のです。そのうちの12本は同じものですが、礼拝堂の東端にあ
る2本の柱は非常に立派なのです。
これら2本の柱は、次のような名称で呼ばれているのです。
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「石工の柱」→ ヤキン → ツァディーク
「徒弟の柱」→ ボアズ → ミシュパト
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2本の柱といえば、今までにも出てきています。古代エジプト
の2本の柱(EJ第1850号)、「天上のエルサレム」におけ
る「ヤコブ」という名の2本の柱(EJ第1873号)、そして
ロスリン礼拝堂における2本の柱です。これらは相互に関係があ
るのでしょうか。それとも何も関係がないのでしょうか。
これら2本の柱について理解するには、「クムラン宗団」とい
うものについて知る必要があります。1世紀のユダヤで宗教的勢
力を持っていた集団には次の3つがあります。
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1.サドカイ派
2.パリサイ派
3.エッセネ派
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これら3つの集団のうち、当初「エッセネ派」は知られていな
かったのです。サドカイ派は、エルサレムにおける宗教的な貴族
官僚であり、宗教観は保守的であり、死後の世界を信ぜず、ロー
マ帝国に追随することで、自分たちのよい生活を確保していた一
種の売国奴といえるでしょう。
これに対してパリサイ派は、あらゆる事柄に律法を適用しよう
とし、現代の正統ユダヤ教の特徴となる律法遵守の規準を作り出
すなど、宗教にはひたむきであったのです。したがって、彼らの
風習は、現在でも正統ユダヤ教徒の間で生きています。
そしてエッセネ派――彼らは少なくとも1947年まではあま
り知られていなかったのです。
1947年にいわゆる「死海文書」が発見され、はじめてエッ
セネ派という集団のことがわかってきたのです。彼らは、紀元前
2世紀頃から西暦68年まで、エルサレムの東20マイルほどの
ところにある「クムラン」と呼ばれる砂漠の真っ只中で暮らして
いたのです。
彼らは、律法を遵守することにおいては、パリサイ派の比では
ないほど厳しく、自らイスラエルの教えの守護者と任じ、「義の
教師」と呼ばれる指導者のもとで、イスラエルの民と神との間の
新しい契約を確立したと信じていたのです。
「死海文書」を書いたのが「クムラン宗団」であり、エッセネ
派の指導層を形成していたのです。そして、このクムラン宗団こ
そが「エルサレム教会」そのもの――初期キリスト教会であった
と考えられるのです。
ローマ教会は、つねにエッセネ派と初期キリスト教会のつなが
りを否定していますが、多くの学者は、両者の間には多くの共通
点があることを認めているのです。同じ世界観を持ち、同様の特
殊な用語を使い、そしてまったく同じ終末思想を持っているから
です。西暦40年〜50年頃のクムラン宗団の指導者は「義人ヤ
コブ」といい、彼はイエスの弟であるといわれているのです。そ
して彼は「義の教師」を務めたのです。
このクムラン宗団の「修行の手引き書」に聖なる2本の柱が出
ているのです。明らかにこれは上下エジプトの2本の柱のことで
あり、ソロモンの神殿にあった「ポアズ」と「ヤキン」という2
本の柱のことなのです。
ユダヤ教徒にとって2本の柱は、次のように「王権」と「祭司
権」を表しているのです。
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王 権/ ミシュパト → ヤキン
祭司権/ツァディーク → ポアズ
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そして、この2本の柱が互いに協力して天――すなわち、シャ
ロームを支えているのです。右の柱、メーソンが「ヤキン」と呼
んでいる柱は神殿の祭司長であり、クムラン宗団の「ツァディー
ク」なのです。ツァディーク――「義」と訳されるこの言葉は、
古代エジプトの「マアト」と同じ概念であり、太陽神を意味して
いるのです。
左の柱、メーソンが「ポアズ」と呼んでいる柱は、イスラエル
の王ダビデを表わしており、クムラン宗団の「ミシュパト」なの
です。ミシュパト――これは王としてのヤハウェの支配を表す言
葉であり、神の秩序を示しているのです。
ナイト/ロマスの『封印のイエス』には、次のように書いてあ
ります。
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神の左手に義の教師(ツァディーク)、右手にダビデの末裔で
ある王(ミシュパト)という2本の霊的柱が屹立しているとき
ヤハウェの支配というアーチは「シャローム」の要石となり、
万物をその中心に結びつける。
――クリストファー・ナイト/ロバート・ロマス著/
松田和也訳、『封印のイエス/「ヒラムの鍵」が解く
キリストのミステリー』
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「クムラン」という言葉は、「丸天井、アーチ、入り口」を表
しているので、クムランとは「アーチを乗せた柱の人々」を意味
しているのです。「天上のエルサレム」の絵でも、ひときわ大き
い2本の柱がアーチ全体を支えていますが、これはクムラン宗団
の2本の柱そのものです。これと同じものがロスリン礼拝堂にも
あるのです。 ・・・・・ [秘密結社48]
≪画像および関連情報≫
・クムラン宗団――死海文書
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現在のイスラエル国が誕生する前の、1946から1947
年にかけての冬のことだった。死海の西北端のヒルベット・
クムラン(クムラン遺跡)と呼ばれるユダヤの荒野で、ベドウ
ィンの羊飼いの少年たちが、羊と山羊を連れてけわしい岩の
崖をよじ登っていたが、ふと目の前にした洞窟の中からまっ
たく偶然にも古い羊皮紙の巻物の入った素焼きのつぼをいく
つも発見した。巻物は亜麻布に包まれて7つ発見された。こ
れがやがて「死海文書」と呼ばれ、そこには最古の完全イザ
ヤ書写本も含まれており、世界中の聖書学者や考古学者を驚
かせた世紀の大発見となろうとは、少年たちは夢にも考えな
かった。
http://www.seinan-gu.ac.jp/rad/musp21.html
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