2011年05月27日

●「局外中立撤廃で官軍が入手した甲鉄艦」(EJ第3064号)

 6ヶ国の外国代表による局外中立の撤廃は、新政府にとって国
際的に絶対有利なポジションを占めたことを意味しています。こ
れに対して榎本政権は蝦夷地を平定したものの、武器・弾薬の欠
乏とカネに困窮していたのです。
 そこで榎本政権は、土着の商人から強引に御用金と称して一万
両を超えるカネを徴収したのです。これによって、さらなる強制
徴収を恐れた商人たちは持てるカネをすべて持って箱館を去って
行ったのです。
 実際問題として、商人たちにとってもはや箱館では商売になら
なかったのです。なぜなら、新政府の禁制によって、箱館にはも
のが来なくなったからです。いわゆる経済封鎖です。諸外国も箱
館へは、軍隊や兵器の輸送を阻止する措置をとったのです。
 住民たちの不満も高まったのです。すべての商品価格が高騰し
ているのに、榎本政権では安く買い上げようとし、貧困階級は強
制労働に駆り出され、それでいて、給与もろくに支給されなかっ
たからです。
 もはや戦わずして新政府軍は勝利したのと同然であったといえ
ます。しかし、新政府軍が動き出したのは、明治2年3月になっ
てからのことです。次の2つのことに不安があったからです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.蝦夷地は寒冷地であって、真冬の作戦展開は不利である
 2.新政府軍の海軍力に不安があり、榎本艦隊を恐れたこと
―――――――――――――――――――――――――――――
 2に関しては、薩長新政府軍には主力となる軍艦はなかったの
です。それは旧幕府軍が主力軍艦を引き渡さなかったからです。
それに薩長の海軍力は旧幕府軍をはるかに下回っていたのです。
そのため、榎本艦隊は自由に動くことができたわけです。
 そこで新政府軍が目をつけたのが、そのとき米国が所有してい
たストーンウォール号という軍艦なのです。実はこの軍艦は、南
北戦争(1861年〜65年)において南軍──南部連合がボル
ドーにあったアルマン・ブラザース社造船所に発注したコードネ
ーム「スフィンクス」と呼ばれる装甲艦なのです。ところが、こ
れには北軍──アメリカ北部合衆国からフランス政府へクレーム
が付いて、引渡し契約が破棄されてしまったのです。
 その後この軍艦はデンマーク海軍に譲渡され、南北戦争終結後
にアメリカがデンマークから買い戻したのです。慶応3年(18
67年)に、小野友五郎を代表とする江戸幕府の訪米使節がアメ
リカにおいて、このストーンウォール号の買取を約束していたの
です。つまり、もともと幕府が幕府の軍艦として、買い取ろうと
したわけです。
 しかし、その翌年に戊辰戦争が勃発したので、アメリカはこれ
を日本の内戦としてとらえ、局外中立の立場から、幕府に船を引
き渡すのを拒否したのです。新政府側でもこのストーンウォール
号に目をつけ、買取を希望したのですが、アメリカは戦争に決着
がつくまではどちらにも売らないと宣言したのです。
 岩倉具視は、榎本政権と戦うには、新政府海軍の主力艦として
ストーンウォール号が不可欠であるとして、局外中立の撤廃を求
めたというわけです。とくにアメリカの態度が頑なであったのは
ストーンウォール号の問題があったからです。
 ストーンウォール号は、添付ファイルにあるように、非常に変
わった形状の戦艦なのです。船首の水中に長さ6メートルの「ラ
ム」と呼ばれる衝角を持っているのです。ほとんどの軍艦が木造
船だった当時、大砲を撃ちながら敵艦に舳先から体当たりし、水
面下にある衝角で相手の船腹に大穴を開け沈没させることのでき
る戦闘艦なのです。
 2組あるスクリューは夫々反対方向に回転し、且つ方向舵と共
に独立して運転できたので、操船能力が格段に高く、敵艦に突っ
込む操船を容易にする構造だったのです。
 新政府としては、財政はきわめて厳しかったのですが、戊辰戦
争に決着をつけるため、明治2年(1869年)2月3日、スト
ーンウォール号(甲鉄艦)購入に踏み切ったのです。そのための
岩倉の局外中立撤廃の交渉だったのです。ストーンウォール号は
とりあえず「甲鉄」と名づけられたのです。
 新政府軍がストーンウォール号を入手したことに榎本は、衝撃
を受けたのです。もともと自分が海戦で使う軍艦を敵にとられた
のですから、当然のことです。しかし、榎本は新政府軍がストー
ンウォール号の操艦に慣れないうちに、接舷襲入(アボルダージ
ュ)という冒険的な攻撃で奪取しようと考えたのです。
 明治2年3月9日、遂に新政府軍は、ストーンウォール号を含
む軍艦3隻、輸送艦4隻の艦隊を組んで、品川沖を発進し、浦賀
で軍艦陽春を加えた8隻の船団で3月21日に宮古港に入港した
のです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ≪軍 艦≫
  ・甲鉄(ストーンウォール号)、春日、丁卯、陽春
 ≪輸送船≫
  ・飛竜、豊安、戊辰、晨風(しんぷう)、
―――――――――――――――――――――――――――――
 榎本軍は、海軍奉行荒井郁之助が指揮官となり、回天、蟠龍、
高尾の3艦を率いて、3月20日に箱館を出発し、新政府軍艦隊
が集まっている宮古に向かったのです。それぞれの艦にはフラン
ス人下士官が乗っていたのです。
 しかし、榎本艦隊はとことん天候によって邪魔されるのです。
松島沖では武器弾薬を積んだ輸送船が座礁して沈没し、江差沖で
は、暴風雨のため、旗艦の開陽丸を失うなど致命的な打撃を受け
ているのです。そしてまたしても暴風雨に遭遇し、3艦ばらばら
に分かれてしまい、25日未明、回天丸のみ宮古湾に到着したの
です。艦長の荒井郁之助は単独で甲鉄略奪作戦を敢行することを
決意したのです。   ── [明治維新について考える/74]


≪画像および関連情報≫
 ●甲鉄(ストーンウォール号)の武装について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  本艦の主砲には大砲技術の本場イギリスのアームストロング
  社の砲を採用している。艦首砲郭部には「アームストロング
  27・9センチ(300ポンド)前装填式滑空砲」を単装砲
  架で1基を配置し、重量136キログラムの砲弾を撃つ事が
  出来た。船体中央砲郭部に「アームストロング27・9セン
  チ(70ポンド)前装填式ライフル砲」を単装砲架で片舷1
  基ずつ計2基を装備し、重量32キログラムの砲弾を撃つ事
  が出来た。しかし、砲弾の性能が良くなく、火薬庫等に命中
  しないかぎり敵艦を大破させるのは難しかった。この事もあ
  ってか、後に米国製のパロット砲に備砲を換装されている。
                    ──ウィキペディア
http://members2.jcom.home.ne.jp/so_bluem0807a/3dcg/kotetsu.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

甲鉄(ストーンウォール).jpg
甲鉄(ストーンウォール)
posted by 平野 浩 at 04:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。