ら横浜に帰還したのです。そして、翌27日に外国代表会議が開
催されています。それは、箱館の最新情報に基づいてある決断を
するべく開かれたのです。
ちょうど一ヵ月前のことです。11月27日に副総裁の岩倉具
視は、英国公使パークスと会談を行っています。この会談の目的
は、外国が戊辰戦争を内戦とみなし「局外中立」の立場を取って
いることに対し、次のように不満を表明することだったです。
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現在、局外中立の宣言を維持しているのは、海賊の一派を天皇
政府と同じ水準におくことであり、友好国の代表にとって演じ
られるべき役割とは思われない。 ──岩倉具視輔相
──石井孝著
『戊辰戦争論』/吉川弘文館
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さらに岩倉具視は、12月3日に横浜で6ヶ国の代表全員と会
見し長口舌をふるって、戊辰戦争の現況から説き起こし、その後
着々と全国統一が進んでいることを強調し、いまだに局外中立が
撤廃されないのは理解できないと訴えたのです。
そして翌4日には、各国公使に書簡を送り、速やかな局外中立
の撤廃を求めたのです。この書簡を受けて各国代表は6日に局外
中立の撤廃問題について協議し、採決を取ったのですが、賛否が
拮抗し、意見の一致はみなかったのです。
英国公使のパークスは、その結果を岩倉具視にこう伝えていま
す。自分としては局外中立を撤廃することに賛成であるが、他国
の公使の中には、蝦夷地での戦闘を鳥羽伏見の戦い以来続いてい
る戦争の一部ととらえていて、局外中立の撤廃に反対しているこ
とを伝えたのです。これに関する会議はその後3回開かれたので
すが、賛否は3対3で決着がつかなかったのです。
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イギリス公使 ・・・・・・・ 賛成
フランス公使 ・・・・・・・ 賛成
オランダ公使 ・・・・・・・ 賛成
イタリア公使 ・・・・・・・ 反対
プロシャ公使 ・・・・・・・ 反対
アメリカ公使 ・・・・・・・ 反対
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この結果が3回続いたので、フランス公使ウトレイが、反対し
ている3国の公使の調停に乗り出したのです。ウトレイは、反対
しているアメリカ、イタリア、プロシャの3公使が反対している
のは、蝦夷地の現況がわからないためであると判断し、蝦夷地の
最新情報が入るまで、しばらくの猶予が必要であるとする旨の書
簡を送って結論を先送りしたのです。
その間榎本武楊は、書簡による外交をさかんに展開していたの
です。榎本は、英仏公使に蝦夷の徳川家臣団と朝廷や新政府の間
を仲介してもらおうとして書簡を送ったのです。完全な筋違いの
嘆願であり、実るはずのない仲介ではあったのですが、榎本とし
ては、そうするよりほかに方法がなかったのです。
それにフランス公使のウトレイに対しては、別に書簡を送り、
力になってもらうよう嘆願していたのです。なぜ、フランス公使
かというと、前任公使のロッシュが徳川家に同情的であったので
ウトレイも同様であろうと考えたことと、榎本にはフランス人士
官のブリュネがついていたからです。これについて、石井孝氏は
次のように述べています。
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このはかフランス公使ウトレイにたいして、徳川家臣は別に秘
密書簡を送っている。かれらは、ウトレイが前任者のロッシュ
と同じく、徳川氏に大きな同情をよせるのを期待して、とくに
この書簡を送ったのである。ウトレイにあてたものだから、当
然そこでは、軍事行動においてのみでなく植民・開拓事業にお
いても指導の任にあたっているフランス人士官、とくにその首
領ブリユネにたいして、大きな感謝の辞をささげている。フラ
ンス人士官にたいする謝辞をあてられることは、ウトレイにと
ってはまことに迷惑であったにちがいない。ウトレイは、かれ
の忠告に反してフランス軍事使節団を脱走したブリユネらの行
動に、はなはだしい憤りを感じていたからである。─石井孝著
『戊辰戦争論』/吉川弘文館
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岩倉具視は、あくまで執拗に局外中立の撤廃にこだわったので
す。各国公使に何回も会い、「しばらくの猶予期間」の明確化を
求めたのです。その結果、12月15日に各国公使に対し、「2
週間以内」という期日を約束させたのです。これは遅くても12
月29日までに外国代表は撤廃の方針を出すことを確約させられ
たことを意味しています。
12月26日にフランスの軍艦ヴェニュス号が横浜に帰還した
翌日の27日に外国代表会議が開かれたのです。蝦夷地における
現況について説明があり、その結果、局外中立の撤廃が満場一致
で可決されたのです。これによって、軍艦を交戦団体の一方へ引
き渡すのを阻止する処置も撤廃されています。
これは基本的には、日本における戦争の終結を意味しているの
です。これによって、蝦夷地の榎本政権は、単なるゲリラ部隊の
反乱になってしまうことになります。つまり、局外中立の撤廃は
新政府による日本全国統一の達成であり、日本における内戦終結
の国際的承認ということになるのです。
岩倉具視が自らの政治力を全開させ、執念をもって外国代表と
折衝し、それを勝ち取ったのです。また、これによって新政府が
外国の意向に関係なく、榎本軍(徳川家臣団)を攻撃できる状態
になったことを意味しているのです。
── [明治維新について考える/73]
≪画像および関連情報≫
●「局外中立」とは何か
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対立し合う二者の間で、どちらにも味方せず、いずれにも敵
対しないで中立の立場をとること。また、対立し合っている
ものと関わらず、離れていること。戦争に関与しない国家の
交戦国に対する地位。たんに中立ともいう。交戦国の双方に
援助を与えてはならないなどの中立義務を生じる。戊辰戦争
に際し、明治新政府の要請により、英・米・仏・蘭・伊・プ
ロイセンの6ヶ国が、1868年(明治元年)2月18日局
外中立を宣言したため江戸幕府がアメリカから購入したスト
ーンウォール号は一時抑留された。70年の普仏戦争、88
年の米西戦争などで日本政府は局外中立を宣言。
http://www.sakanouenokumo.jp/dic/archives/2007/07/post_872.html
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岩倉具視輔相


