子供の頃よく聞かされたものです。しかし、戦後になって、靖国
神社はほとんど表面に出ることはなく、意図的に隠された存在に
なっています。ですから、戦後生まれの人は靖国神社がどういう
性格の神社であるのか知らない人が多いと思います。
「靖国神社」のことを歌った歌は戦前にはたくさんあります。
中でも有名なのは「九段の母」です。この歌は、昭和14年に塩
まさるという歌手が歌って大ヒットになったのです。
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上野駅から 九段まで 空を衝くよな 大鳥居
勝手知らない 焦れったさ こんな立派な おやしろに
杖を頼りに 1日がかり 神と祀られ 勿体なさよ
せがれきたぞや 逢いにきた 母は泣けます 嬉しさに
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戦後では、島倉千代子の「東京だョおっかさん」があります。
昭和32年のヒット曲です。
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やさしかった 兄さんが
田舎の話を 聞きたいと
桜の下で さぞかし待つだろ おっかさん
あれが あれが 九段坂
逢ったら泣くでしょ 兄さんも
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戦前戦後を通じ、九段といえば靖国神社であり、靖国神社とい
えば九段だったのですが、今は九段といえば武道館ということに
なります。しかし、行ってみればわかるように靖国神社は日本人
にとって、その広大な占有面積のみならず、精神面において大き
な存在なのです。
靖国神社は明治2年(1869年)に建てられ、この神社の祭
神は、国のために命を捧げた246万6000余柱の戦没者なの
です。古くは、戊辰(ぼしん)戦争で戦死した薩摩、長州、水戸
の藩士ら3588柱であり、そして先の大戦における200万を
超える戦没者なのです。
便宜上、太平洋戦争の終りから21世紀を迎えた平成の現在ま
でを「現代日本」、明治維新から太平洋戦争までを「近代日本」
と呼ぶことにしましょう。そうすると、近代日本はおよそ80年
になるのですが、戦争に明け暮れた80年といえると思います。
「靖国」とは「国を安んじる」という意味であり、これは「国
を守る」ことにつながるのです。戦前、国を守るとは「国のため
に死ぬ」ことであり、それは「天皇のために死ぬ」ことを意味し
ていたのです。
そんなことは「狂気の沙汰」であるという人がいるかもしれま
せん。きっと国家によってマインドコントロールされていたんだ
という意見もあるでしょう。しかし、それは今の価値観だからい
えることであり、その当時はそれが常識だったのです。いや、お
かしいとは感じていても、そうせざるを得なかったし、そういう
ご時世だったのです。
また、当時の世界情勢のなかで急激な近代化を図らざるを得な
かった日本の苦渋の選択ともいえると思います。したがって、そ
ういう意味で「国を守る」ために死んでいった多くの人たちのこ
とをわれわれは忘れてはいけないし、そういう人たちを祀る神社
があっても一向にかまわないと思うのです。
少し歴史を振り返ってみましょう。1868年、明治改元前の
ことです。有栖川宮熾仁親王を東征大提督とする新政府軍は、朝
敵・徳川慶喜征伐のため「錦の御旗」を掲げて東に攻め上ったの
です。そして、西郷隆盛と勝海舟の会談によって江戸城が無血開
城した直後に、有栖川宮熾仁親王は東征軍の隊長宛てに「東海道
先鋒総督府達」という文書を送達します。
その文書には、「戦場で討ち死にした者の氏名を詳しく書いて
報告せよ。それらの戦死者の魂を招いて慰霊する『招魂祭』を行
う」と書いてあったのです。ここに幕末の国難にさいして、攘夷
派(外国を打ち払う)、開国派を問わず、朝廷の権力奪還のため
に働いて死んだ者(戦死、自刃、刑死、暗殺など)はすべてその
魂を祀るという朝廷の考え方を知ることができます。この考え方
が靖国神社へと発展したのです。
とくに上野に立てこもった旧幕府軍・彰義隊との交戦において
この達しは大きな効力を発揮して、彰義隊はわずか5日で壊滅し
てしまいます。要するに、朝敵征伐を目的とする官軍として戦っ
た者はたとえ戦死しても名誉の死であるということを将兵に知ら
しめたのです。それは大変な士気高揚につながったのです。
ちなみにこの彰義隊壊滅作戦の指揮をとったのが大村益次郎で
あり、彼の銅像は現在でも靖国神社の第一鳥居と第二鳥居の中間
に軍神としてにらみをきかせているのです。左手に双眼鏡を持ち
軍羽織を着た大村像は北東を向いて立っていますが、北東は上野
に当たるのです。
1868年7月、江戸は「東京」となり、同9月に「明治」と
改元するのです。そして、明治2年(1869年)6月28日の
夕刻、仮設の社殿で清祓の儀が始まり、深夜丑の刻(午前2時)
に戊辰戦争の戦没者3588人の招魂式が行われたのです。
明けて29日、明治天皇の勅命を受けた軍務知官事・仁和寺宮
嘉彰親王が祝詞を奏上して、東京招魂社が創立されたのです。こ
れが靖国神社の前身です。
それからいろいろな騒乱が起こるのですが、明治12年、18
79年に東京招魂社は「別格官幣社」となり、名称を靖国神社と
改称します。別格官幣社とは、天皇の忠臣を祀る神社という意味
です。
ちなみに「官幣社」とは、皇室の祖神あるいは、建国に功績が
あった神や天皇、そして国家に功労のあった神を祀る神社のこと
をいうのです。伊勢神宮などは官幣社です。また、国土開発や地
方開発に功労のある神を祀る神社を国幣社というのです。
