れて、大きな問題となってきています。8月4日未明の「朝まで
テレビ」は靖国神社公式参拝問題を取り上げましたが、そこでは
白熱した大議論が展開されたのです。8月15日を来週に控えて
いますので、少しこの問題を取り上げてみようと思います。
昭和60年8月15日――時の内閣総理大臣中曽根康弘氏は靖
国神社に参拝し、公人としての肩書きを明記して記帳簿に署名し
たのです。
中曽根氏は、昭和60年が戦後40年の記念すべき年であるこ
とをふまえて、昭和59年7月から1年かけて「閣僚の靖国神社
参拝問題に関する懇談会」を設けて検討させてきた内容に基づき
「内閣総理大臣としての資格で」と内閣官房長官談話で明言させ
たうえで公式参拝をやったのです。なお、中曽根氏は昭和58年
春から60年夏までの3年間に10回も靖国神社を参拝している
のですが、昭和60年の8月15日だけはどうしても特別な意味
を持たせたかったのです。
中曽根康弘氏は『正論』9月号で、この公式参拝について次の
ようにいっています。
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『やはり私は大東亜戦争に行ったということです。弟も戦死し
ている。戦友、あるいは部下がずい分戦死している。それで内
閣総理大臣として一回は公式参拝で英霊にお礼をいわなくては
いけないと考えていました。
それまでの総理大臣は公式参拝ということをいわなかった。
そういう意識が足りなかった。それでちょうど終戦40周年に
当る昭和60年8月15日を1つの機に正式に参拝して、死ん
だ英霊に対して「ご苦労さまでした。改めてお礼を言います。
安らかにお眠りください。平和国家を築きます」ということに
したのです』。
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歴代総理は吉田茂以下、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角
栄も靖国神社に参拝していますが、いずれも4月、10月の例大
祭に際しての参拝であり終戦記念日ではないのです。
ところが、昭和50年8月15日、歴代総理としては初めて三
木武夫総理が終戦記念日に参拝したのです。しかし、このとき新
聞記者の質問に答えて「内閣総理大臣としてではなく、三木個人
としての私的参拝」といったのです。
この三木総理以下、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸はいずれも
「私人」か資格を明言しないで参拝を重ねて中曽根氏の昭和60
年の参拝にいたるのです。この間、中国は一切何もいってきてい
ないのです。
ところが、中曽根総理の公式参拝に対しては、中国政府から不
快感の表明が行われたのです。中国政府のこのクレームは内政干
渉そのものですが、当時これを煽った反政府的不満分子がおり、
それに中国政府が乗るというかたちで問題化したのです。
中国政府が、日本国の総理が靖国神社に公式参拝することに異
を唱える理由は、靖国神社に「A級戦犯」が祀られているという
点にあります。中国としては、さきの戦争は一部の戦争犯罪人が
引き起こしたもので、日本国民はむしろ被害者であるとして賠償
請求権を放棄したにもかかわらず、その戦争犯罪人が合祀されて
いる靖国神社に国の代表たるべき総理大臣が公式参拝するのはけ
しからんというわけです。
この主張はちょっと考えると筋が通っているように思えます。
しかし、そうであるなら「A級戦犯」が靖国神社に合祀されたと
きになぜクレームをつけてこなかったのでしょうか。A級戦犯の
合祀が実現されたのは昭和53年秋、福田赳夫内閣のときなので
すが、中国からは何もいってきてはいないのです。
それから7年も経過した昭和60年になって突如として「戦犯
合祀はけしからん」といってきたわけです。これは少しピントが
外れていると思います。
つまり、中国は外交カードとしてこれを利用しているのです。
中国政府としては、あの戦争はあくまで侵略戦争であり、日本は
加害者、中国は被害者というスタンスを維持していたいのです。
だからこそ、日本の歴史教科書に異常にクレームを入れてくるわ
けです。それは中国の国益になるからです。
なぜかというと、このスタンスにより経済援助をはじめとして
日本と中国の両国関係のあらゆる局面で中国側に有利に働くから
であり、日本はその戦術に乗せられてしまっているのです。総理
の靖国参拝についてもこれに強いクレームをつけておくと、やは
り中国には有利に働くと考えているのです。
ここで、現在靖国神社に合祀されている「A級戦犯」について
考えてみる必要があります。A級戦犯とは戦争犯罪裁判によって
死刑に処せられた人、獄死した人の霊をいうのですが、これらの
人々は講和条約の成立以前に旧敵国の手によって生命を奪われた
り、獄死した人たちであり、国内的には犯罪者ではないのです。
彼らは何ら国内法を犯していないからです。
確かに通常の戦死とは違いますが、日本では「法務死」と呼び
靖国神社では「殉難死」と称しているのです。したがって、殉難
死の人たちは戦死者と同等にみなされ、恩給法による遺族扶助料
の受給が認められているのです。
このように、殉難死の人たちを戦没者として扱うことについて
は、国会の本会議・厚生委員会の諸会議を経て、しかも全会一致
で決議された結論なのです。したがって、そういう殉難死の人た
ちを靖国神社に祀ろうという動きが生じたとしても何ら不思議な
ことではないといえます。
こういう一連の動きを中国政府が知らないはずはないのです。
しかし、そのときは中国政府は何もいってきていないのです。そ
うであるとすると、昭和60年になって中国が突如「合祀反対」
をいってくるのは不可解であり、一種のいいがかりといってよい
と思うのです。
