2011年02月22日

●「薩摩密集隊による四列縦隊連続射撃」(EJ第3001号)

 鳥羽伏見の戦い──戦闘2日目の慶応4年(1868年)1月
4日の戦闘では、旧幕府軍は新政府軍を相当押し返しているので
す。しかし、旧幕府軍が優位に立ったのではなく、3日に押し込
まれたところを大変な兵員の犠牲を払って押し戻したに過ぎない
のですが、勢いがついたことは確かなのです。
 少なくとも、なにがなんだかわからずに戦った前日と違って戦
争の焦点が定まったというか、攻める効率がよくなったというか
旧幕府軍らしい力が少し発揮できるようになってきたのです。歴
史に「イフ」はありませんが、もし、強風さえなければ2日目は
旧幕府が圧勝していたかもしれないのです。
 2日目の戦闘で大活躍したのはやはり会津藩の兵士と新選組な
のです。銃などの近代兵器は十分ではないものの、彼らは勇敢で
あり、戦慣れしているのです。したがって戦闘が長期化すると、
ますます強くなるのです。薩長軍が何よりも恐れていたのは、会
桑軍であり、それが本来の実力を発揮はじめたといえます。
 しかし、旧幕府軍の大きな失敗は、現地総大将に人を欠いたこ
とです。現地総大将とは、陸軍奉行竹中丹後守重固(しげかた)
のことです。この人は伏見奉行を守備していたのですが、守りき
れず、司令官でありながら部下に指示を与えず、命からがら淀ま
で逃げ帰っているのです。
 このときの竹中重固の状況について、野口武彦氏は次のように
述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 徳川家の同僚が竹中丹後守に向ける視線はかなり辛辣である。
 伏見に踏みとどまって前線を指揮すべきところなのに、部下が
 止めるのも開かず安全な淀へ引き揚げてしまったと非難の口ぶ
 りだ。おかげで夕方からの戦闘で疲れ切った兵士は睡眠時問も
 取れない。御本人は大得意で明日になったら反攻に出ると変に
 ゆったり構えている。虚勢を張っているのだ。鳥羽の方では簡
 単に引き揚げられないというと「弱いからだ」とにべもない。
 弱かったのではない。緒戦の痛手からどうにか立ち直って薩軍
 の進出を食い止め、こちらからも何度も波状攻撃を仕掛けて、
 戦線を下鳥羽のラインで維持していたのである。
             ──野口武彦著/中公新書2040
       『鳥羽伏見の戦い/幕府の命運を決した4日間』
―――――――――――――――――――――――――――――
 この鳥羽伏見の戦いは、薩長の大砲や銃を中心とする近代戦と
旧幕府軍の昔ながらの刀と槍による戦いでもあったのです。鳥羽
伏見の戦いでは旧幕府軍の中核となって戦ったのが会桑軍であっ
たので、そういう戦いの構図になったといえます。
 もちろん旧幕府軍も最新装備の「フランス伝習隊」という部隊
を持っていたのですが、その部隊は江戸に置かれており、当然の
ことながら、鳥羽伏見の戦いには参加していないのです。
 このフランス伝習隊には2大隊があり、1大隊は約800人で
あるので、1600人の規模になります。これらの部隊は、シャ
ノアンを筆頭とするフランス人陸軍教官による訓練を十分受けて
いたといわれます。
 さて、鳥羽伏見の戦いにおいて薩摩軍が使っていたのが「前装
ミニエー銃」という銃であり、すべて銃剣が付けられていたので
す。ちなみに旧幕府軍の使っていた銃も前装ミニエー銃です。こ
こで「前装」というのは弾薬も銃口から装填する銃のことなので
す。当時銃というと、前装ミニエー銃が当たり前だったのです。
 ところで、なぜ銃剣を付けているのでしょうか。
 それは銃撃隊──密集隊が敵によって崩されたとき、銃のまま
では対抗できないので、銃剣を装填し、槍として使えるようにし
ているのです。とくに会桑軍は勇敢であり、少しでも銃の発射が
途絶えると、物凄い勢いで、刀や槍で突っ込んでくるので、よほ
どの備えがないと、切り崩されてしまうのです。
 しかし、銃剣が付いていると、前装銃では弾薬が込められない
のです。そこで銃を発射する人と銃剣を外して弾薬を込める人を
分業化しなければならないことになります。しかも、連続して発
射しなければならない──薩摩藩はこれをどのようにして実現し
たかです。
 薩摩藩は、それを「密集隊による四列縦隊方式」という方法に
よって実現し、鳥羽伏見の戦いで実践に移したのです。
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      第一列/初弾を発射して膝射ちの姿勢
      第二列/初弾を発射して膝射ちの姿勢
      第三列/発射して第四列と入れ替わる
      第四列/空銃に弾を込め第三列と交代
―――――――――――――――――――――――――――――
 第一列と第二列は初弾を発射したあと、そのまま膝射ちの姿勢
で銃剣による槍ぶすまを作るのです。第三列は発射すると、弾を
装填している第四列と入れ替わるのです。そして、第四列は弾込
めをすると、射ち終った第三列と入れ替わって発射します。
 この構えでは、密集隊の前から飛び込もうとしても、前二列の
膝射兵の銃剣が邪魔になって切り込めないのです。まさに槍ふす
まです。これなら弾込めの時間を短縮すれば、ほぼ連続発射でき
るのです。
 もっと接近戦になった場合には、第二列を発射専門とし、第三
列は第二列から左手で空銃を受け取り、右手で弾が装填されてい
る銃を第二列に渡して連続発射させます。第四列は空銃に弾を込
めて第三列に渡すのが専門です。
 この薩摩藩の密集隊は鳥羽伏見の戦いで一定の成果を上げたの
ですが、それでも会桑軍の刀槍隊に崩されるケースもあり、その
勇猛果敢な攻撃に流石の薩長軍も戦闘2日目には相当な犠牲を積
み重ねたのです。しかし、旧幕府軍の現場の司令官には問題があ
り、十分勝てる戦闘2日目の成果を無駄にしてしまうのです。
          ──  [明治維新について考える/11]


≪画像および関連情報≫
 ●「前装ミニエー銃」について
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  広義には「ミニエー弾」と呼ばれるフランス陸軍のクロード
  ・エティエンミニエー大尉によって発明・開発された特殊椎
  実型弾を使用する先込め前装式旋条小銃(鉄砲)の総称で、本
  来は銃器のブランド名ではない。前装式とは弾薬(弾丸と火
  薬)を銃口先端部分から詰め込む方式で先込め式ともいう。
  銃の弾丸は銃身内部の内径とほぼ同じ口径のものを使用して
  いるため、先端から弾薬を詰め込む前装式銃の場合、詰め込
  み時に弾丸が内部に引っ掛かってしまうため、扱いに熟練し
  ていないと装填作業には相当の時間を要した。
   http://www.geocities.jp/satopyon0413/kaisetsu10b.htm
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前装ミニエー銃.jpg
前装ミニエー銃
posted by 平野 浩 at 04:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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