公式には、1717年6月ということになっています。ロンド
ンにあった4つのロッジが合同して「グランドロッジ」を作って
以来、「フリーメーソンリー」と呼ばれるようになったというの
です。したがって、発祥の地は英国であるという説です。
何がベースになったのでしょうか。
一般的には、中世の石工ギルドから発展したものである――と
いう説が有力なのですが、英国に中世の石工ギルドが存在したと
いう記録は一切ないのです。しかし、ヨーロッパ各国には中世の
ギルドは多く存在しているのです。ところが、ヨーロッパでは石
工ギルドは存在していたものの、フリーメーソンリーがあったと
いう痕跡はないのです。
考えてみると、当時石工たちは教会や地主に雇われていた身分
です。そういう石工たちがフリーメーソンのような組織を作れる
能力もそれを許す環境もなかったはずです。
中世の石工のほとんどは教育らしい教育も受けておらず、文字
の読み書きですら、できなかったというのです。そのような石工
たちが、現在のフリーメーソンの行っているような複雑な儀式を
作り出すなどは到底できなかったと考えられるのです。
伝えられていることによると、フリーメーソンリーには多くの
王侯や貴族が加入しているのです。そういう事実と石工による職
能的組合の間には大きな隔たりがあります。このように考えても
フリーメーソンが中世の石工ギルドの発展形であるという説は根
拠が薄いと考えるべきでしょう。
もうひとつ、フリーメーソンは、ソロモン王の神殿と結びつけ
て語られることが多いのです。ところで、ソロモン王の神殿とは
何でしょうか。
エルサレムにあるといわれる「ソロモン王の神殿」には次の3
つがあるのです。
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1.紀元前570年にソロモン王自身が建てたもの
2.紀元前6世紀前半にゼルバベル王が建てたもの
3.イエス・キリストの時代ヘロデ王が立てたもの
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ソロモン王などというと、神話の世界であり、果たしてソロモ
ンが実在したのかどうかも明確ではありませんが、ソロモン王は
多くの神殿を建てたといわれているのです。
ソロモンは旧約聖書の「列王記」に登場する古代イスラエルの
第3代の王で、父はダビデ王です。ソロモン王は「賢者」といわ
れていますが、「賢者」の名称はソロモン王より何千年も前から
宗教的な建物の建造者に与えられる尊称だったのです。
ここで、ソロモンの神殿がどういう建物であったかについて述
べておきたいと思います。常識的に考えると、ソロモンの神殿と
はユダヤ人が彼らの神を拝む場所である−−このように考えてし
まいますが、違うのです。
それは基本的に人間が訪れる場所ではなく、神――古代ユダヤ
民族が唯一神「ヤハウェ」の恒久の住い――というよりはっきり
いうと、神を閉じ込めておく場所なのです。したがって、その大
きさは村の教会堂ぐらいのものと考えるべきです。
しかし、当時のユダヤ人の建築技術は非常に低く、単純な壁以
上のものは作れなかったのです。そこで、ソロモンは親交のある
ツロの王ヒラムに助力を求めたのです。
ヒラムの支配下にあったティルスやシドン(古代フェニキアの
海港都市)の人々は当時最高の建築技術と卓越した彫刻・装飾技
術を持っていることで知られており、小アジアにおいては建築の
仕事を独占していたのです。ツロの王ヒラムは、ソロモン王の要
請に快く応じ、ティルスから3306人もの労働者を送り、神殿
建設に不可欠な材木と石を遣わしてくれたのです。
このとき神殿建設の中心的役割を果たしたのが、「ヒラム・ア
ビフ」なる人物なのです。ややこしい話なのですが、このヒラム
はヒラム王とは別人なのです。このヒラム・アビブなる人物――
後で詳しく述べることになるので、覚えておいていただきたいと
思います。
ソロモンの神殿については現在まったく残っていないのです。
ソロモンの神殿についての記述をご紹介しましょう。
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その石造りの神殿の内側には、ティルスから持ってきたヒマ
ラヤ杉が張られていた。壁の厚みは9キュービット――約4.
1メートルで、これがヒマラヤ杉と樅の屋根を支えていた。壁
と床、そして天井は純金張り、智天使――ケルビムと花の彫刻
が施されていた。(中略)
その中心には、シッテム(アカシア材)で作られた約1.2メ
ートル、幅と高さが各約60センチの長方形の箱が置かれてい
た。これが「契約の聖櫃」と呼ばれるもので、その中に3つの
ものが収められていた――十戒を記した2枚の石板、および神
ヤハウェ自身である。
――クリストファー・ナイト/ロバート・ロマス著/
松田和也訳、『封印のイエス/「ヒラムの鍵」が解く
キリストのミステリー』
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このソロモンの神殿は、「ダヴィンチ・コード」とも関係のあ
るテンプル騎士団――日本では聖堂騎士団という――と深い関係
があるのです。なぜなら、テンプル騎士団の「テンプル」とは、
ソロモンの神殿のことを指しているからです。
このソロモンの神殿の建設者であるソロモン、ヒラム王そして
ヒラム・アビフ――この3人とフリーメーソンリーは深く結びつ
いているのです。
テンプル騎士団とは何か――複雑で扱いにくいテーマですが、
明日からテンプル騎士団の歴史について探っていきたいと考えて
います。 ・・・・[秘密結社15]
≪画像および関連情報≫
・ソロモンの神殿
歴史的にはソロモン王が紀元前10世紀に建設した神殿(第
一神殿)と、バビロンの捕囚からの解放後、紀元前515年
にゼルバベル王の指揮でほぼ同じ場所に再建された神殿(第
二神殿)、さらに紀元前20年、ヘロデ王によって完全改築
に近い形で大拡張された神殿(ヘロデ神殿)がある。この神
殿はユダヤにおいてユダヤ人が立てこもったため、紀元70
年のローマ帝国軍による攻撃によって破壊され、現在「嘆き
の壁」と呼ばれる部分のみが遺構として残る。


