2006年05月24日

ソロモンの神殿とは何か(EJ1841号)

 フリーメーソンリーはいつ誕生したのでしょうか。
 公式には、1717年6月ということになっています。ロンド
ンにあった4つのロッジが合同して「グランドロッジ」を作って
以来、「フリーメーソンリー」と呼ばれるようになったというの
です。したがって、発祥の地は英国であるという説です。
 何がベースになったのでしょうか。
 一般的には、中世の石工ギルドから発展したものである――と
いう説が有力なのですが、英国に中世の石工ギルドが存在したと
いう記録は一切ないのです。しかし、ヨーロッパ各国には中世の
ギルドは多く存在しているのです。ところが、ヨーロッパでは石
工ギルドは存在していたものの、フリーメーソンリーがあったと
いう痕跡はないのです。
 考えてみると、当時石工たちは教会や地主に雇われていた身分
です。そういう石工たちがフリーメーソンのような組織を作れる
能力もそれを許す環境もなかったはずです。
 中世の石工のほとんどは教育らしい教育も受けておらず、文字
の読み書きですら、できなかったというのです。そのような石工
たちが、現在のフリーメーソンの行っているような複雑な儀式を
作り出すなどは到底できなかったと考えられるのです。
 伝えられていることによると、フリーメーソンリーには多くの
王侯や貴族が加入しているのです。そういう事実と石工による職
能的組合の間には大きな隔たりがあります。このように考えても
フリーメーソンが中世の石工ギルドの発展形であるという説は根
拠が薄いと考えるべきでしょう。
 もうひとつ、フリーメーソンは、ソロモン王の神殿と結びつけ
て語られることが多いのです。ところで、ソロモン王の神殿とは
何でしょうか。
 エルサレムにあるといわれる「ソロモン王の神殿」には次の3
つがあるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1.紀元前570年にソロモン王自身が建てたもの
   2.紀元前6世紀前半にゼルバベル王が建てたもの
   3.イエス・キリストの時代ヘロデ王が立てたもの
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ソロモン王などというと、神話の世界であり、果たしてソロモ
ンが実在したのかどうかも明確ではありませんが、ソロモン王は
多くの神殿を建てたといわれているのです。
 ソロモンは旧約聖書の「列王記」に登場する古代イスラエルの
第3代の王で、父はダビデ王です。ソロモン王は「賢者」といわ
れていますが、「賢者」の名称はソロモン王より何千年も前から
宗教的な建物の建造者に与えられる尊称だったのです。
 ここで、ソロモンの神殿がどういう建物であったかについて述
べておきたいと思います。常識的に考えると、ソロモンの神殿と
はユダヤ人が彼らの神を拝む場所である−−このように考えてし
まいますが、違うのです。
 それは基本的に人間が訪れる場所ではなく、神――古代ユダヤ
民族が唯一神「ヤハウェ」の恒久の住い――というよりはっきり
いうと、神を閉じ込めておく場所なのです。したがって、その大
きさは村の教会堂ぐらいのものと考えるべきです。
 しかし、当時のユダヤ人の建築技術は非常に低く、単純な壁以
上のものは作れなかったのです。そこで、ソロモンは親交のある
ツロの王ヒラムに助力を求めたのです。
 ヒラムの支配下にあったティルスやシドン(古代フェニキアの
海港都市)の人々は当時最高の建築技術と卓越した彫刻・装飾技
術を持っていることで知られており、小アジアにおいては建築の
仕事を独占していたのです。ツロの王ヒラムは、ソロモン王の要
請に快く応じ、ティルスから3306人もの労働者を送り、神殿
建設に不可欠な材木と石を遣わしてくれたのです。
 このとき神殿建設の中心的役割を果たしたのが、「ヒラム・ア
ビフ」なる人物なのです。ややこしい話なのですが、このヒラム
はヒラム王とは別人なのです。このヒラム・アビブなる人物――
後で詳しく述べることになるので、覚えておいていただきたいと
思います。
 ソロモンの神殿については現在まったく残っていないのです。
ソロモンの神殿についての記述をご紹介しましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  その石造りの神殿の内側には、ティルスから持ってきたヒマ
 ラヤ杉が張られていた。壁の厚みは9キュービット――約4.
 1メートルで、これがヒマラヤ杉と樅の屋根を支えていた。壁
 と床、そして天井は純金張り、智天使――ケルビムと花の彫刻
 が施されていた。(中略)
  その中心には、シッテム(アカシア材)で作られた約1.2メ
 ートル、幅と高さが各約60センチの長方形の箱が置かれてい
 た。これが「契約の聖櫃」と呼ばれるもので、その中に3つの
 ものが収められていた――十戒を記した2枚の石板、および神
 ヤハウェ自身である。
     ――クリストファー・ナイト/ロバート・ロマス著/
     松田和也訳、『封印のイエス/「ヒラムの鍵」が解く
                  キリストのミステリー』
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このソロモンの神殿は、「ダヴィンチ・コード」とも関係のあ
るテンプル騎士団――日本では聖堂騎士団という――と深い関係
があるのです。なぜなら、テンプル騎士団の「テンプル」とは、
ソロモンの神殿のことを指しているからです。
 このソロモンの神殿の建設者であるソロモン、ヒラム王そして
ヒラム・アビフ――この3人とフリーメーソンリーは深く結びつ
いているのです。
 テンプル騎士団とは何か――複雑で扱いにくいテーマですが、
明日からテンプル騎士団の歴史について探っていきたいと考えて
います。              ・・・・[秘密結社15]


≪画像および関連情報≫
 ・ソロモンの神殿
  歴史的にはソロモン王が紀元前10世紀に建設した神殿(第
  一神殿)と、バビロンの捕囚からの解放後、紀元前515年
  にゼルバベル王の指揮でほぼ同じ場所に再建された神殿(第
  二神殿)、さらに紀元前20年、ヘロデ王によって完全改築
  に近い形で大拡張された神殿(ヘロデ神殿)がある。この神
  殿はユダヤにおいてユダヤ人が立てこもったため、紀元70
  年のローマ帝国軍による攻撃によって破壊され、現在「嘆き
  の壁」と呼ばれる部分のみが遺構として残る。

1841号.jpg
posted by 平野 浩 at 06:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 秘密結社の謎と真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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