7年)10月中旬にまとめられたものといわれています。これと
同時平行に進められたとみられる次の「新政府綱領八策」は、薩
摩藩を始めとする諸藩に示されているのです。
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第一義
天下有名の人材を招致し、顧問に供う
第二義
有材の諸侯を撰用し朝廷の官爵を賜い現今有名無実の官を除く
第三義
外国の交際を議定す
第四義
律令を撰し、新たに無窮の大典を定む。律令すでに定まれば、
諸侯伯皆みれを奉じて部下を率ゆ
第五義
上下議政所
第六義
海陸軍局
第七義
親兵
第八義
皇国今日の金銀物価を外国と平均す。右あらかじめ二、三の明
眼士と議定し、諸侯会盟の日を待って云々。〇〇〇自ら盟主と
なり、これをもって朝廷に奉り、始めて天下万民に公布云々。
強抗非礼、公議に違う者は断然征討す。権門貴族も貸(仮)借
することなし
慶応丁卯十一月 坂本直柔
──菊地明著
『坂本龍馬』より/PHP研究所刊より
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これは「船中八策」と酷似していますが、これが龍馬から後藤
象二郎に示された八策の原案ではないかといわれているのです。
問題は、文中の「○○○」の部分ですが、ここに入る個人名は誰
かということです。その謎を解くカギが「新官制擬定書」の草案
なのです。4つの役職があり、次のように定義されています。
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◎関白 1人
公卿中、最も徳望智識兼備の人をもってこれに充つ
上一人を輔弼し、万機を関白し、大政を総督す
◎内大臣 1人
公卿、諸侯中、徳望智識兼備の人をもってこれに充つ
◎議奏 若干人
親王、諸王、公卿、諸侯のうち、最も徳望智識ある者をもっ
てこれに充つ。可否を献替し、大政を議定敷奏し、兼て諸官
の長を分掌す。
◎参議 若干人
公卿、諸侯、大夫、士庶人の才徳ある者をもってこれに充つ
大政に参与し、兼て諸官の次官を分掌す。 ──菊地明著
『坂本龍馬』より/PHP研究所刊より
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実はこの草案は「史談会速記録」に出ていたものであり、それ
には「関白」「内大臣」「議奏」「参議」の4つの官制には実名
が入っていたのです。読みやすいように、上記からはあえて除い
てあります。その実名を入れると、次のようになります。
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◎関白 1人
三条実美
◎内大臣 1人
徳川慶喜
◎議奏 若干人
宮方:有栖川宮、仁和寺宮
諸侯:島津忠義、毛利広封、松平春嶽、山内容堂、鍋島閑叟
公卿:正親町三条実愛、中山忠能、中御門経之
◎参議 若干人
岩倉具視、東久世通禮、大原重徳、長岡良之助、西郷
隆盛、小松帯刀、大久保利道、木戸孝允、広沢真臣、
横井小楠、三岡八郎、後藤象二郎、福岡孝弟、坂本龍
馬 ──「史談会速記録」より
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この「新官制擬定書」によると、「内大臣」には「徳川慶喜」
の名前があります。「内大臣」とは現在でいえば、内閣総理大臣
と考えてよいでしょう。したがって、「新政府綱領八策」の「○
○○」は、「慶喜公」か「大樹公」か「大将軍」という文字が入
るものと思われます。
この草案の「参議」には坂本龍馬の名前があるのですが、他の
史書には龍馬の名前のないものが多いのです。こんな話がありま
す。龍馬はこの「新官制擬定書」草案を小沢庄次(尾崎三良)と
一緒に西郷のところを訪れ提示したところ、龍馬の名前がないこ
とに気が付いた西郷がその理由を龍馬に尋ねたのです。そうする
と龍馬は、自分は時間に縛られる役人は性に合わないと答えたの
です。それでは何をするのかと重ねて尋ねた西郷に対し、龍馬は
次のように答えています。
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世界の海援隊でもやらんかな
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それはそれとして、徳川慶喜の名前が明記されている職制案を
見て西郷は内心穏やかではなかったものと思われます。
── [新視点からの龍馬論/62]
≪画像および関連情報≫
●後藤に裏切られた龍馬/幕末忘備録より
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容堂の賛同を得て後藤が幕府に提出した大政奉還建白書には
薩土盟約で合意した将軍職廃絶及び将軍辞職の条項が無いば
かりか、船中八策の「有名無実ノ官ヲ除クベキ事」の条項さ
え無いのである。しかも後藤の話の節々には、容堂の考えと
して、諸侯会議の議長に慶喜を据えるという策さえ読み取れ
るのである。龍馬の真意を後藤は全く理解していない。否、
表面的に理解していたとしても、慶喜に将軍辞職を逼ること
が最大の目的である船中八策を自分の都合の良い様に曲解し
その後藤が容堂に説いたのだから、基本的なところで龍馬の
方策と食い違うことは当然であった。
http://www2.odn.ne.jp/kasumi-so/bakumatu/jiken/hassaku.htm
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新政府綱領八策