2010年12月16日

●「幕府にもいたフリーメーソン」(EJ第2960号)

 「日本をもう一度洗濯したい・・・」──坂本龍馬が姉の乙女
へ宛てた手紙の中の有名な言葉です。加治将一氏はこの言葉に注
目します。幕末の日本語表現は限定的なのです。よく「悪いこと
を一掃したい」といいますが、ここでいう「一掃する」というの
は「掃除してきれいにする」という意味です。したがって、「日
本を掃除したい」という表現ならばまだわかりますが、「洗濯し
たい」という表現は、あまり使わないのです。
 加治将一氏によると、英語では、何か「よくないこと」を「よ
くする」ことを「掃除」とはいわず、「洗濯」という単語をよく
使うのです。
 「マネーロンダリング」という言葉があります。脱税した裏金
を表金に変えるときに使う言葉です。「現金を洗濯する」という
意味です。何かを退治するとき、「ロンダリング/洗濯」という
言葉をよく使うのです。
 龍馬がそういう言葉を知っていたとは思えず、そこに外国人で
あるグラバーの影響を強く感じるのです。つまり、こういう言葉
が自然に出てくるということは、龍馬はグラバーとの間に相当い
ろいろなやり取りがあったと感じさせられるのです。
 加治将一氏はもうひとつ取り上げています。それは薩長同盟で
の取り決めを記した木戸孝允の書状に龍馬が朱筆で裏書きした次
の文章です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 表に御記入しなされ候六条は小・西両氏および老兄龍等も御同
 席にて談合せし所にて、毛も相違これなく候。従来といえども
 決して変わり候事はこれなきは神明の知る所に御座候。
 ≪加治将一氏の口語訳≫
 表にある六ケ条は、薩摩藩の小松帯刀、西郷隆盛、長州藩の桂
 小五郎、そして竜馬が談判して決めたことに少しも相違ありま
 せん。この六ケ条が変わらないのは、神の知るところです。
                      ──加治将一著
    『石の扉/フリーメーソンで読み解く歴史』/新潮社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 加治氏は龍馬の裏書きの「神の知るところ」という部分に着目
するのです。この当時の武士はこういう表現で「神」という言葉
は使わないものです。もし、それをいうならば、「天の知るとこ
ろ」というようになるのではないかというわけです。加治氏は次
のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 (裏書きの「神」について)私はグラバーを指している、と推
 測しているのです。当然小松、西郷、桂ともに大スポンサーで
 あるグラバーと直結しており、「神」の単なる「名代」として
 龍馬が保証人におさまった、と考えているのです。
                ──加治将一著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 グラバーは、一貫して長州藩や薩摩藩などの雄藩を支援し、倒
幕の動きを加速させていたように思えます。しかし、グラバーは
幕府にも手を伸ばしていたのです。それも徳川慶喜の側近に手を
打っていたのです。それは西周(にしあまね)という人物です。
 西周は、江戸の蕃書調所の教授をやっていたのです。蕃書調所
というのは、安政3年(1856年)に発足した江戸幕府直轄の
洋学教育研究機関です。開成所の前身で、東京大学の源流諸機関
のひとつであり、現代でいうと、西は東京大学の教授といったと
ころです。
 西は文久3年(1862年)に幕府の研修生としてオランダに
留学しています。留学先はライデン大学です。学んだのは、自然
科学、国際法、国内法、政治学および統計学です。
 その西周は、ライデン大学から近くにある「ラ・ベルトゥ・ロ
ッジ ナンバー7」に加盟し、フリーメーソンになっています。
現在記録に残っているという意味では、日本人最初のフリーメー
ソンということになります。同ロッジに残されている入会記録は
次のようになっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1864年、10月20日。第一階級として入会。日本国、津
 和野生まれ、35歳、日本国官吏としてライデンに在住の西周
 助(本名)署名・       ──加治将一著の前掲書より
――――――――――――――――――――――――――――−
 この西周とグラバーとの接点を示す記録は何もありませんが、
何らかの交流があった可能性があるのです。というのは、このラ
イデン大学には、若きグラバーの写真が残されているからです。
ということは、ライデン大学とグラバーとは何らかのつながりが
あったことを示しています。この大学の日本学科には今でも多く
の学生が在籍し、日本語研究にかけては、ヨーロッパでもトップ
クラスの力の入れようなのです。当時日本のことを熟知していた
グラバーと関わりがあっても不思議はないのです。
 おそらく西はグラバーと面識があったと思われます。蘭学を志
していた西が、長崎のオランダ人を通じて西と知り合う可能性は
高いと思われるからです。
 推測ですが、事前にグラバーは西と会い、フリーメーソンの基
礎知識を教えたのではないかと考えられます。そして、グラバー
は、ライデン大学のフィッセリング教授を紹介したと思われるの
です。まフィッセリング教授はもちろんグラバーとフリーメーソ
ン仲間なのです。
 グラバーとしては、幕府の中枢にいる前途有望な若手スタッフ
が同じフリーメーソン仲間になけば、何かと気脈を通じやすくな
るので、フリーメーソンに入会することは歓迎なのです。
 それからもう一人西よりも一ヵ月遅れてフリーメーソンに入会
した幕臣がいたのです。津田真道がそうです。西と同じロッジに
入会したのです。このあたりのことはほとんど知られていない出
来事です。     ――――― [新視点からの龍馬論/51]


≪画像および関連情報≫
 ●西周とは何者か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  文政12年(1829年)2月3日石見国津和野藩医の子に
  生まれる。旧名周助。藩校養老館で儒学を学んだ後、嘉永6
  年(1853年)に江戸に出て蘭学を学ぶ。翌7年脱藩して
  蘭学修業に専念し、手塚律蔵の門に入る。安政4年(185
  7年)手塚の推薦で蕃書調所教授手伝並に任命され、文久2
  年(1862年)には幕府オランダ留学生のひとりとして渡
  欧した。オランダでは、津田真道とともに、ライデン大学の
  フィセリング教授から法理学・国際公法学・国法学・経済学
  ・統計学を学んだ。慶応元年帰国し、翌2年には幕臣にとり
  立てられ、開成所教授となった。徳川慶喜の諮問に応え、大
  政奉還後の政権構想として「議題草案」を起草した。
             http://daigikan.daa.jp/nisi.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

ライデン大学.jpg
ライデン大学
posted by 平野 浩 at 04:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 新視点からの龍馬論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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