2010年12月10日

●「戦前における3回の龍馬ブーム」(EJ第2956号)

 坂本龍馬といえば、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(全5巻/文
芸春秋)をまるで教科書のように語る人が多く、それによって龍
馬の一定のイメージが出来上がっています。
 『竜馬がゆく』は小説であり、小説としてはこれほど面白い本
はありませんが、その内容を歴史としてとらえると、大きな問題
がいくつもあるのです。
 戦前において「龍馬ブーム」は3回あるのです。年代を示すと
次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
           1.1883年
           2.1904年
           3.1926年
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1回は「1883年」です。
 龍馬は1867年11月15日に暗殺されたのですが、維新後
しばらく忘れられた存在になるのです。はじめて龍馬が注目され
るのは、1883年(明治16年)なのです。自由民権運動の新
聞──「土陽新聞」上の連載小説においてです。
 この小説は「鳴々道人」という著者名で連載されたのですが、
この人は自由民権運動家の文筆家の坂崎紫瀾という人で、坂本龍
馬をテーマにして68回の連載を書いたのです。このようにして
維新後、龍馬は薩長の独裁的支配に不満を持つ反薩長の人たちか
ら注目を浴びることになったのです。
 第2回は「1904年」です。
 1904年(明治37年)2月、ちょうど日露戦争の直前だっ
たのです。福沢諭吉が創刊した日刊新聞である「時事新報」は、
昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が葉山の御用邸で龍馬の夢を見た
と報じたのです。作家で歴史家の加来耕三氏は、このことを次の
ように伝えています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 臣は維新前、国事のために身を致したる坂本龍馬と申す者にて
 候。海軍の事は当時より熱心に心掛けたる所に候へば、魂魄は
 御国の海軍に宿りて忠勇義烈なる我軍人を保護仕らん覚悟にて
 候。武士はここで「かき消す如く失せ」てしまうのだが、その
 翌日の夜も、再び皇后の夢枕に立ったという。皇后は不思議に
 思って、側近の者に下問したところ、龍馬の写真を見せられ、
 この男でしょうかと聞かれた。(皇后)容貌風采ともに、この
 写真に寸分の違いなし。          ──榊原英資著
 『龍馬伝説の虚実/勝者の書いた維新の歴史』/朝日新聞出版
―――――――――――――――――――――――――――――
 このブームの中で、京都にある龍馬の墓には新たな石碑が建立
され、にわかに坂本龍馬が注目されたのです。何しろ無敵艦隊と
いわれたロシアのバルチック艦隊に立ち向かうので、日本海軍を
創設した龍馬に祈るような思いが集まったのです。そして、日露
戦争に勝利するに及んで、龍馬ブームは一層高まったのです。
 第3回は「1926年」です。
 大正末期から昭和初期──いわゆる大正デモクラシーの中で、
龍馬の船中八策が注目されたのです。つまり、龍馬は、デモクラ
シーの元祖として注目されるようになったのです。あの「広く会
議を興し万機公論に決すべし」のモデルとしてもてはやされるこ
とになったのです。「船中八策=坂本龍馬」の考え方からきたも
のと思われます。
 ちょうどそのとき、1928年8月、新国劇によって帝国劇場
で大ヒットした真山青果の戯曲『坂本龍馬』によってブームは頂
点に達するのです。何しろ30日間にわたって帝国劇場を大入り
満員にしたのですから、大変なブームです。
 加来耕三氏はこの戯曲について次のように記しています。少し
長いが、引用します。
―――――――――――――――――――――――――――――
  劇中、クライマックス近くで、龍馬と中岡慎太郎の二人が、
 激しくいい争うシーンがある。龍馬は口をきわめていう。
 「天下を王政に復古する。もちろんそうあるべきだ。しかし、
 同時にまた、それは国家を全国民の関心のもとに置く意味でな
 ければならない。天皇の国民であって国民の陛下だ。二にして
 一、一にして二、到底分裂を許さないのだ」。
  さらに龍馬は反論できない中岡に向って「真理」を説いた。
 「−−天地を始終し、古今を貫徹して動かざるものはただ理の
 一字だ。われ等の待ち望む人間平等の世界とは、また平等の政
 治とは、四民をして理によっで存在せしむることだ。人は理に
 よって生き、理によって殺され、与うるも奪うも、ただ道理の
 支配をうけることだ。法も権も理をはなれては存在し得ないの
 だ。既に王法に復古せる以上、王法もまた理によって立たねば
 ならぬ。而して理は常に公衆とのみ存在する。僕が代議政治を
 主張し憲法の創定を急務とするも、眼目はただこの理の一つに
 あるのだ」。この龍馬=和平革命論者の像は、第二次世界大戦
 後、アメリカ風の民主主義が導入されても、いっこう色褪せる
 ことなく、明治維新百年前後の時期を迎え、第三の大きな波と
 も連なった。               ──榊原英資著
 『龍馬伝説の虚実/勝者の書いた維新の歴史』/朝日新聞出版
―――――――――――――――――――――――――――――
 どうでしょうか。佐久間象山や横井小楠ならともかく、龍馬の
いうセリフではないと思います。坂本龍馬という男は、こういう
理論的なことをいう人ではないのです。大河ドラマでも龍馬をそ
ういうように描いていないのです。しかし、「船中八策=龍馬」
という考え方によってイメージがつくられてしまうのです。
 榊原英資氏によると、坂本龍馬は思想家でも政治家でもなく、
商人としての才能を持って、勝海舟の弟子として時代を超スピー
ドで駆け抜けた風雲児だったといえるのではないでしょうか。
 われわれは少しイメージを修正して、龍馬を見直すことが必要
であると思います。    ―─ [新視点からの龍馬論/47]


≪画像および関連情報≫
 ●大正デモクラシーとは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  何をもって「大正デモクラシー」とするかについては諸説あ
  る。政治面においては普通選挙制度を求める普選運動や言論
  ・集会・結社の自由に関しての運動、外交面においては生活
  に困窮した国民への負担が大きい海外派兵の停止を求めた運
  動、社会面においては男女平等、部落差別解放運動、団結権
  ストライキ権などの獲得運動、文化面においては自由教育の
  獲得、大学の自治権獲得運動、美術団体の文部省支配からの
  独立など、様々な方面から様々な自主的集団による運動が展
  開された。             ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

坂本龍馬/中岡慎太郎.jpg
坂本 龍馬/中岡 慎太郎
posted by 平野 浩 at 04:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 新視点からの龍馬論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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