のです。場所は不明です。紀州藩からは高柳船長ら11人、海援
隊からは龍馬のほか5人、それに土佐商会から2人が参加してい
るのです。なぜ、土佐商会が参加したのかというと、紀州藩対海
援隊ではなく、紀州藩対土佐藩の問題として対応する姿勢を見せ
る狙いで、後藤象二郎が指示したものです。
第1回談判は、両者の航海日記を提出して、互いの立場から事
故の経緯を明らかにしようとしたのです。しかし、龍馬の次の主
張を紀州藩は受け入れ、終了しています。
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今、航海のことを互いに相弁論するとも、海上に証拠なければ
ついに決せざるべし。しばらくこれを置け。
──伊呂波丸航海日記抜書より
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最初の談判では、紀州藩は鷹揚に構えていたのです。紀州藩は
徳川御三家の一つであり、大藩です。浪人集団の海援隊(紀州藩
は当初そのように考えていたと思われる)の勝てる相手ではない
のです。しかし、そこに油断があったのです。
この第1回談判の前後から龍馬は海援隊の隊士に命じて、丸山
の妓楼などで次の俗謡を流行らせたのです。
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船を沈めたその償いは金を取らずに国を取る。国を取ってみか
んを食う。 ──航海日記付録草稿より
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この俗謡は丸山だけでなく、長崎の街中に広がったのです。こ
れは、幕威の低下を物語る一方、被害者と加害者の関係を刷り込
む効果があったのです。龍馬の狙いは、世論を味方につけること
にあったのです。第2回の談判は、翌16日に行われたのです。
第2回からは後藤象二郎が出席しています。第2回で海援隊側が
強く主張したのは、次の2点です。
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・事故当時、明光丸には見張りの士官がいなかったことを海援
隊員が確認。注意義務を怠っている。
・船が沈没したのは、明光丸が船の操縦を誤り、二度にわたっ
て、いろは丸に衝突したからである。
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これによって紀州藩側は防戦一方になりましたが、衝突原因は
いろは丸側の回避行動の欠如にあるとして反論したのです。龍馬
はここで一芝居打っています。会議に出席している海援隊士が龍
馬に向かって次のようにいったのです。
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隊長、あなたの交渉は生ぬるくていけません。談判はすぐ打ち
切って戦うべきです。
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紀州藩は御三家であり、長州征伐戦で敗北を重ねた紀州藩の弱
みにつけ込んだ龍馬独特の脅しです。これが巷で流行らせた俗謡
とうまくリンクして、紀州藩にダメージを与えたのです。その上
で龍馬は、蒸気船同士の衝突という国内初の事例であり、海外の
事例をもって解決しようという提案をしたのです。
第3回談判は、5月22日に行われたのです。この会合にも後
藤は出席しています。そのとき、いろは丸側が徹底的に責めたの
が次のポイントです。
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・事故の処理を行わず、龍馬をはじめ海援隊乗組員を鞆の港に
置き去りにし、長崎に向かっている。
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さらにこの席で後藤象二郎は、長崎に入港した明光丸が土佐藩
に報告せず、長崎奉行に事故責任がいろは丸にあるとの届けを提
出した事実を責めたのです。
これについて明光丸に乗船していた紀州藩・勘定奉行茂田一次
郎は、一方的な報告書提出の非を認めて謝罪し、入港中の英国艦
提督より世界の事故の例を問い、それを参考にして解決したいと
提案し、いろは丸側はこれを受け入れたのです。
この時点で紀州藩は完全に敗れています。しかも、それをさら
に決定的にしたのは、茂田がこういうことに詳しい薩摩藩士の五
代友厚に調停を頼んだことです。茂田は龍馬と五代が近い関係に
あることを知らなかったのです。
そして、賠償額は「8万3500両」というとんでもない高額
になったのです。この数字の根拠について、加治将一氏は次のよ
うに述べています。
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なぜべらぼうかというと、まず賠償金額の算出方法だ。「いろ
は丸」の値段は4万2500両だと言っているが、それ自体怪
しい。「いろは丸」は大洲藩がグラバーの影響下にあった五代
から買ったもので、価格操作などいくらでも可能である。なお
かつ、沈んだ積荷価格を上乗せしている。上乗せはいいが、問
題はその積荷値の算出方法だ。その数字をあわただしくはじき
出したのは、土佐藩の豪腕番頭、岩崎弥太郎(後の三菱財閥オ
ーナー)だ。龍馬、後藤、五代、岩崎、役者がそろいすぎてい
る。 ──加治将一著、『あやつられた龍馬』/祥伝社刊
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紀州藩がいろは丸側の要求を一方的に飲まされたのは、賠償金
額が提示された時点で次の不気味なつながり──龍馬=五代=薩
摩=グラバー=英国──が判明したからです。これは下手をする
と英国に攻められるという恐怖です。
8万3500両は現在の価格で41億円ぐらいになります。船
は約18億円程度であり、あまりにも巨額です。それは船の積み
荷の中に「金」があったという主張で20億円ぐらいが上乗せさ
れているからです。最終的に賠償金は7万両でけっちゃしている
のです。 ―─ [新視点からの龍馬論/44]
≪画像および関連情報≫
●龍馬が妻のお龍に宛てた手紙
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先日から、たびたび紀州藩の奉行、船将などに会って議論し
たところ、先方は女のいい逃れのようなことばかりをいって
おりました。この頃は病気などといって会わないようになっ
ていたのだけど、後藤象二郎と二人で、紀州奉行に出かけ、
十分にやりつけ、また、昨夜、今井妄岡謙吉)、中島(作太
郎)、小田小太郎なども押しかけ、うるさくやりつけて、夜
九つ過ぎに帰って来ました。昨日の朝は、私が紀州溝の船将
に会って十分に論じ、また後藤象二郎が紀州の奉行に行き、
うるさくやりつけたので、「もうたまらん」ということにな
ったと見えて、紀州藩はどうにか解決を計らってくれと、薩
摩藩に頼んだとのことです。 ──竹下倫一著
『龍馬の金策日記』より/祥伝社新書038
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紀州藩勘定奉行/茂田一次郎役