元年6月10日のことです。グラバーは2人を英国公使館に送り
届けています。それから少なくとも一ヵ月以上2人は英国公使館
にいたことになります。
その間、オールコック英国公使は、アメリカ、フランス、オラ
ンダの3ヶ国に対して、英国が長州藩との交渉に当ることの了解
を取り付けていたのです。
7月になって伊藤と井上は、英国軍艦バロッサ号に乗船させら
れています。その船には、次の2人も乗り込んできたのです。
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1.アーネスト・サトウ
2. 中沢見作
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アーネスト・サトウは、生粋の英国人であり、英国公使館付き
の日本語の通訳であるが、フリーメーソンであるといわれていま
す。歴代の英国公使に仕えましたが、後にアーネスト・サトウ自
身も駐日公使を務めています。中沢見作は表向きは、英国公使館
付きの日本語教師となっていますが、アーネスト・サトウととも
に諜報部員と考えられます。
加治将一氏によると、伊藤と井上は英国の諜報部員として使わ
れていたというのです。ちょうど、薩英戦争のときの五代友厚と
寺島宗則と同様の役割です。しかし、そのとき英国の諜報部員と
して動くことが英国の国益にかなうと同時に長州藩、いや日本の
国益になったということがいえるのです。
バロッサ号は、もう一隻の軍艦コーモランド号と一緒にゆっく
りと下関に向かっています。そして6日後に下関海峡、本州と九
州の間にある姫島に着いたのです。このときのサトウの日記によ
ると、上関の島の砲台をはじめ、長州側の戦力が詳しく記されて
います。おそらく伊藤と井上から聞き出したものと思われます。
もうひとつ艦内での作業があったのです。それは、英語、米語
フランス語、オランダ語で書かれた覚書の翻訳です。これには、
伊藤と井上のほか、サトウ、中沢が手伝っています。そこに書か
れていたことは、攘夷の無意味さ、開国のもたらす利益が書かれ
ていたのです。英国公使館の考え方は、伊藤と井上にこれを長州
藩主の毛利敬親にところに持っていかせ、藩主を説得させようと
していたのです。
しかし、中沢見作はそんなことをすれば、伊藤と井上は殺され
るに行くようなものと考えていたのです。実際タイミングは最悪
だったのです。なぜなら、朝廷の第一次長州征伐が決まり、長州
藩は朝敵になり、その直後に起こった池田屋事件で多くの長州藩
士が殺されたり、捕えられたりしていたからです。長州藩として
は追い詰められていたのです。
そんなときに米英仏蘭の4ヶ国連合軍に攻め込まれたら、大変
なことになることぐらいは、伊藤と井上にはよくわかっていたの
です。確かに伊藤と井上は藩を捨て、英国に組みしていると見ら
れていますが、逆にいうと長州藩は、伊藤と井上の2人を使うこ
とによって、英国と話し合いができる余地が残されており、伊藤
と井上自身は殺されることないと思っていたのです。
4ヶ国の覚書を持った伊藤と井上は、姫島に下ろされ、任務を
遂行するよう指示されるのです。10日後に船に戻るという約束
です。そのとき、伊藤と井上が実際に何をやったかはわかってい
ないのですが、彼らは藩主には会えなかったものの、長州藩から
砲撃を仕掛けてはならないとして幹部を説得していることはアー
ネスト・サトウの日記からわかっています。
船に戻った伊藤と井上は、藩主毛利敬親に会って覚書きを渡し
たが、藩主の攘夷行動は天皇の命令であって、4ヶ国への返事に
は天皇と将軍の許可が必要であってできないと報告しているので
す。しかし、長州藩主は最終段階で連合軍側に書面を提出すると
伝えています。
8月6日の深夜2時に伊藤と井上は下船させられています。何
らかの指示が与えられての下船と思われます。オールコック公使
はここで話し合いに終止符を打ち、8月28日に米英仏蘭の連合
軍は17隻で横浜を出発し、下関に向かったのです。
連合軍が姫島に着いたのは9月2日のことです。この大艦隊を
目にした長州藩の上層部は、伊藤と井上の意見に耳を貸すように
なったのです。そしてこの事態になって、藩主毛利敬親は次のよ
うな書状を書いたのです。
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今後は一切、外国船の通行を妨げない
──加治将一著、『あやつられた龍馬』/祥伝社刊
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残されている資料によると、この藩主の書状は間に合わなかっ
たことにされています。伊藤博文と長州藩海軍局総督松島剛蔵は
藩主の書状を持って船でユーリアス号に行こうとしたのですが、
既に艦隊は下関に移動していて断念して引き返しています。
長州藩は慌てて今度は井上馨と前田孫右衛門を下関に派遣して
和平交渉を試みています。9月5日に下関に着いた井上たちは、
英語のできる戸田亀之助を停泊中のキューパー提督のところに行
かせ、2時間の攻撃延期を交渉させています。それと同時に井上
は、味方の砲撃隊に「発砲するな」という折衝をしています。
そのうえで、井上と前田はユーリアス号まで行き、アーネスト
・サトウに書状を渡しています。しかし、サトウは「平和的な交
渉は既に終わっている」とし、彼はこの書状を受け取らないこと
にしているのです。
オールコックは最初から砲撃する気でいたのです。しかし、薩
英戦争のように砲撃は本国の意向に沿わないのです。そこで、最
後の最後まで、和平に努力したが、敵が聞き入れず、やむなく開
戦したというかたちをとりたかったのです。伊藤博文も井上馨も
それを知っていて、和平交渉のコマとして使われた──これが加
治将一氏の分析なのです。 ―─ [新視点からの龍馬論/36]
≪画像および関連情報≫
●アーネスト・サトウについて
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天保14年(1843年)スウェーデン人貿易商ハンス・ダ
ビッド・クリストファーの四男としてロンドンに生まれる。
父親の商売柄、転々と国籍を変える生活であった。小さい時
から聡明で学業成績は抜きんでたものがあったが、十四才の
時、兄が図書館から借りてきた「支那日本訪問見聞録」を読
んで、大きな衝撃を受ける。東方には僕が知らない文明国が
ある・・・、おとぎ話に魅入られるが如く未知の日本に興味
を持ち、外交官を志すこととなる。大学を飛び級で卒業し、
日本駐在通訳に応募して、念願の来日を果たしたのが文久2
年(1862年)9月8日のことである。この時、若干19
才。その後はオールコック、パークスと二代に渡り、通訳と
して仕える事となるが、その才能は技能者のみに留まらず、
匿名で英国策論という論文を発表した。
http://www.k2.dion.ne.jp/~bakumatu/bas12.htm
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アーネスト・サトウ
記事のコメントでなく、申し訳ありません。
私は、今年の5月より、拙ブログ「一市民が斬る!」を書いて、意見を発信しています。このたび、100万人請願署名集めを提案させて頂きました。
平野先生に、署名集めがはじまったことをお知らせ頂き、皆様からの応援をお願いできないでしょうか。
署名を多く集める方法もご伝授頂ければ幸いです。
以下に請願の内容、請願署名集めの内容を記載します。
詳細についてはブログ「一市民が斬る!」に載せています。
http://civilopinions.main.jp/
請願のタイトルは
『「小沢一郎議員強制起訴議決」を行った東京第5検察審査会が秘匿する情報の公開を求める請願』です。
今般、審査員、審査会議の存在すらわからない、全く不透明なプロセスで、強制起訴議決がなされました。これは民主主義の根幹を揺さぶるものです。
日本は法治国家ではなくなってしまいます。これなら誰だって裁判に引っ張られてしまう可能性があります。
このことに抗議し、議員さんや市民の方、私も審査会に出かけ、「情報の公開」を求めてきましたが、未だ秘匿されたままになっています。
(審査会訪問記事を「一市民が斬る」ブログに掲載しました)
そこで、今回「東京第5検察審査会が秘匿する情報の公開を求める請願署名」を多く集め、紹介議員を通じ国会に提出することにしました。
100万筆もの請願署名集めを何故提案したか、ということに触れます。大きく言うと理由は2つです。
一つめですが。情報公開を求めることは国民の知る権利だと思います。この権利を100万もの国民が主張すれば、国会はそれを無視できなくなるからと考えました。
もう一つは、大々的な請願署名活動をやることにより、メディアが報道しない「不透明で、不条理な審査会議決の事実」を多くの国民に知らせることが出来ます。
そして「この審査会の実態」を知らせることにより、大きな国民運動に展開しようと考えました。
次に請願署名集めの具体的なお願いのポイントお話しします。
@ご家族の方、お知り合い、地元の議員さんなど多くの方に、「請願署名のお願い」を見せ、「検察審査会の実態」を説明し、請願署名集めの協力をお願いしてください。事実を知れば、これは日本の国の一大事だと考え、請願署名集めに協力して頂けると思います。
A請願署名は年令を問いません。お子様でも署名できます。
Bフリージャーナリスト、ブロガーの皆様にお願いがあります。ご自分のホームページ、ブログ等に、「署名のお願い」「署名用紙」を貼り付けるなどして、この請願署名集めを紹介していただければ助かります。
よろしくお願いします。
Cなお、送って頂いた署名は、取りまとめ先である「小沢一郎議員を支援する会」の代表伊藤章弁護士さんの事務所から、衆参の議員事務局に直接提出します。従って、他人の目に一切触れません。安心して署名をお願いしてください。
D年内に一回目の請願提出を考えています。その都合で一次の締めを12月15日とさせて頂きます。
一介の市民が100万もの署名を集めることは到底できません。請願署名にご賛同される皆様の、
お一人おひとりが、この日本を良くするため、多くの署名を集めて頂きたいと存じます。
請願署名集めの活動はまさに国民運動です。この国民運動の輪を広げ、みんなで100万筆の請願署名を達成して頂きたいというのが、私のお願いです。
よろしくお願いします。メールにご連絡頂ければ幸いです。