2010年11月12日

●薩摩藩と長州藩の経済連携の中身(EJ第2937号)

 薩長同盟には、いわゆる6ヵ条の取り決めとは別に、薩摩藩と
長州藩の経済提携も含まれているのです。この提携は薩長同盟の
交渉と並行して進められていたのです。しかし、この経済提携を
巡ってユニオン号事件が起こり、その関連で亀山社中の中心人物
である近藤長次郎が切腹することになります。
 ここで「亀山社中」の「社中」の意味について触れておくこと
にします。「社中」は会社や商社を意味する造語と解釈する見解
がありますが、これは龍馬らの造語ではなく、古くから「神社の
氏子仲間」などのグループを指す言葉として用いられている一般
名詞なのです。したがって、亀山社中は「亀山に居を構えた商売
のグループ」、いや政治結社と解釈すべきです。
 さて、薩摩藩と長州藩の経済提携とは、どういう内容だったの
でしょうか。まとめると次の4つになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.薩摩の名義で長州のための武器その他の物質を購入する
 2.上記1の他の物質の調達の中には船舶の購入も含まれる
 3.薩摩藩兵の糧米を下関で補給・調達できるよう配慮する
 4.長州の物産を諸国に販売──実務は亀山社中が担当する
―――――――――――――――――――――――――――――
 この経済提携に基づき、亀山社中が購入した船は、イギリス製
の70馬力、300トン、長さ25間2尺(約46メートル)、
幅3間4尺(約6・7メートル)のユニオン号であり、のちに長
州藩が薩摩藩名義で購入することになります。船の代金は、3万
7700両(約18億8500万円)であり、これが引き渡し価
格であったと考えられます。
 しかし、ユニオン号は軍艦なのです。これに名義を貸すという
ことは相当のリスクがあり、薩摩藩としては相当悩んだものと思
われます。歴史研究家で、フリーライターの竹下倫一氏は自著で
次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 薩摩藩は、長州藩の武器調達に当たって名義を貸してはいるが
 軍艦の購入にまで手を貸してやることは、ためらっていたよう
 だ。その理由は、一つには当時はまだ幕府に対する遠慮があっ
 たこと、もう一つは、長州にそこまで便宜を与えることは、薩
 摩にとっていいことかどうかという迷いがあったことだと思わ
 れる。この頃、幕府の権威は落ちているといえども、まだまだ
 その力は強大だった。幕府が本当に権威を失墜するのは、この
 直後の対長州戦争で敗北してからである。だから、薩摩藩とし
 ては、幕府の機嫌を損ねてまで、長州に軍檻を買ってやること
 には、まだ踏み切れなかったのです。    ──竹下倫一著
         『龍馬の金策日記』より/祥伝社新書038
―――――――――――――――――――――――――――――
 薩摩藩の心配は当然です。しかし、切実なのは長州藩の方なの
です。長州藩は外国との交戦によって海軍が壊滅状態になってい
たので、第2次長州征伐が目の前に迫っているだけに、どんな不
利な条件を飲んでも、軍艦はどうしても欲しかったのです。
 この長州藩の切実な事情と幕府を倒して世の中を変えようとし
ていた西郷ら薩摩藩の目標という双方のエネルギーをうまく調整
したのが龍馬率いる亀山社中であり、それが実現困難と思われて
いた薩長同盟を実らせた力であるといえます。
 この軍艦ユニオン号のほかに大量の銃器も薩摩藩名義で亀山社
中は扱っているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   ミニエール銃など  ・・・・・・・ 4300挺
       7万7400両(約38億7000万円)
   ゲベール銃(中古) ・・・・・・・ 3000挺
       1万5000両(約 7億5000万円)
             ──竹下倫一著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 これを見ると、亀山社中が長州藩との取引ではユニオン号を含
めて、13万100両(約65億500万円)もの金額を扱った
ことになるのです。
 仮に5%の仲介手数料を取ったとすると、6505両(約3億
2525万円)の収入があったことになるのです。それならばま
さに大儲けということになります。
 しかし、亀山社中は儲けていないのです。当時としては進歩的
な龍馬たちといえども、斡旋仲介をするだけで手数料を取るなど
武士としてやるべきではないと考えていたからです。しかし、岩
崎弥太郎だけは違っていたようです。彼だけが、現代の商社の感
覚でビジネスをやっていたのです。
 木戸孝允にしても西郷にしても、龍馬たちが世の中を変えたい
という純粋な気持ちで動いていたことが分かっていたので、龍馬
を仲立ちとして薩長同盟や経済提携が実現したといってよいと思
います。少し意地悪な見方をすれば、薩摩藩と長州藩が直接取引
するのではなく、亀山社中を介在させておくと、最悪の場合、都
合がよいという事情もあったと思われます。
 もともとユニオン号の購入については、長州藩、薩摩藩、亀山
社中の間で三者三得のメリットがあったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 桜島丸条約(薩摩藩の名義で買うのでそういう名称になってい
 る)では、薩摩藩の名義で買い、平時の運用は亀山社中が行う
 ことになっていた。これにより、長州藩は軍艦を手に入れるこ
 とができ、薩摩は名義を貸すことで長州に恩を売ることができ
 亀山社中は運用できる船を手に入れることができるという、三
 者三得となるはずだった。   ──竹下倫一著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、この案は亀山社中の近藤が主導したもので、井上聞多
や木戸は承知していたものの、実際に船を回航する段階になって
長州側からクレームがつき、三者間で紛糾するような事態になっ
たのです。        ―─ [新視点からの龍馬論/28]


≪画像および関連情報≫
 ●ミニエー銃とゲベール銃について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ミニエー銃とは、1849年にフランス陸軍のクロード・エ
  ティエン・ミニエー大尉によって開発されたミニエー弾を使
  用する歩兵銃の総称である。ただし一から製造された物では
  なく、旧来のゲベール銃に照尺を取り付け、ライフリングを
  刻んだものである。ミニエー銃は、滑腔砲であるマスケット
  銃にライフリングを刻んだ銃である。前装式のライフル銃で
  充分な回転と弾丸周囲からのガス漏れを防止できるため、装
  弾の作業効率が向上し、飛距離と命中精度が飛躍的に向上し
  たのである。            ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ゲベール銃とミニエール銃.jpg
ゲベール銃とミニエール銃
posted by 平野 浩 at 04:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 新視点からの龍馬論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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